2025/09/05号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 77

百人一瞬 小林康夫 第77回 シャンカル・ヴェンカテーシュワラン(一九七九―     )  南西インドの山岳地帯、野生の象や虎も出没するという奥深い山のなかに舞台がある。ジャングルのなかにぽっかり空いたコンクリートの野外舞台・サヒヤンデ劇場。同時にシャンカルさんと奥さんの聡子さんのお住まいでもある。  コインバトール空港から車で二時間あまりのそんな山奥に行ったのは、二〇一七年の九月。じつは前回語らせてもらった安藤朋子さんとともに、東大の院生十数名を率いて演劇実習のために訪れたのだった。シャンカルさんは太田省吾さん(第9回)の「水の駅」を海外で、いや、日本の京都でも上演した演出家。そこには数名のインド人のダンサーや役者の方々まで来てくれていて、彼らとともに、インドの野生の自然の只中で、シャンカルさん・安藤さん二人からの演劇指導を受けるという、なんと贅沢な貴重なレッスンだったか!  そうしたら、わたしのなかでなにかが起きた。  演劇は門外漢、わたしはただ学生たちの引率者という立場であったのに、滞在の最終日、突然、この土地に、前日にみんなで登った聖なるマリシュワラ山に、もちろんシャンカルさんに、感謝の儀礼としての「劇」を捧げなければならないと思った。そして、わたしの詩的ファンタジーのひとつである「火と水の不可能な婚礼」というテーマを軸に、タルコフスキーの「ノスタルジア」や、ジャン=クロード・カリエール仏訳の「バガヴァット・ギータ」(「マハーバーラタ」)の一節、さらには説教節の「山椒太夫」やバリ島のケチャ、中国の民謡などを編み込んだアクション・スキームをつくって、学生たちに即興演技の指示を出した。しかも、参加してくれていたインド人のダンサーのカップルには、ひとりは「火の神」、もうひとりは「水の神」となって「不可能な婚礼」を踊ってくれ、と頼んだのだった。  もちろん「司祭」はわたし。舞台上に小さな「祭壇」を置き、そこに一本の蠟燭を立てて「火」を点した。そして「劇」が始まると、器に入れた「水」を舞台全面に振り撒き、さらに「火」を運んで、最後には、舞台正面、シャンカルさんの前に、それを供えた。  いかなる練習もない、ただ一度きりの「劇」だった。  練習し、訓練してしまえば、「藝」であり「アート」となる。だが、わたしにとっては、「ただ一度、その時、その場、その人」に湧き上がる「激しさ」こそ存在の冒険、サヒヤンデ劇場は、普段はわたし自身にも秘めているそんな「激しさ」を解き放ってくれたのだった。  だが、「激しさ」は反動を呼ぶ。「水」が暴走する。その夜、あたり一帯がモンスーンの豪雨に襲われ、サヒヤンデの舞台も土砂崩れで埋め尽くされる。道路も通行止め、帰国のために空港に行けるかどうかもわからない状態になったのだった(なんとか行き着けたが)。   それから一年半後、東京にやって来たシャンカルさんと再会した。わたしの顔を見るなり彼は言った、「あなたはシャーマンだよね、あの土砂崩れはあなたがあのパフォーマンスによって惹き起こしたのだと思う」と。  返す言葉がなかった。インドの遠い「宇宙」の光を湛えて、まっすぐわたしを見つめたそのときのシャンカルさんの眼差しを、いまでもわたしは忘れていない。  この「火と水との不可能な婚礼」パフォーマンスについては、わたしの個人編集雑誌『午前四時のブルー』第1号(水声社)に詳細が語られている。なお、シャンカルさんは、来年、上田で共同制作作品「羽衣」を上演する予定とうかがった。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)