記憶の戦争
橋本 伸也著
永岑 三千輝
本書は眼前で展開中の二つの戦争、ロシアのウクライナ侵略戦争とイスラエルのガザ侵攻を世界秩序の危機として、また時代と世界史の転換を示すものと捉える。その見地から、第二次世界大戦後に確立されてきた思考の枠組みや学術的な語彙は「機能不全に陥っている」とする。代表的な専門的学術雑誌『歴史学研究』、『歴史評論』、『現代史研究』、『西洋史学』、『東欧史研究』、さらに『世界』、『思想』などに最近数年間に発表した問題提起的諸論文をまとめたものである。本書は実に刺激的で挑戦的な内容となっている。社会に流布した「ホロコースト」や「ジェノサイド」の捉え方や忘却の問題が剔抉され、ドイツや日本の研究が時代状況に制約され「呪縛」されている側面を鮮烈に批判する。
「正義は逆転する」。対立的な諸潮流・諸国家は歴史の何をどう切りとり、特定の記憶を前面に押し出すのか。国家権力・支配的潮流の変化で、特定の記憶は法律で抑圧され禁止される。特に著者が専門とする中欧東欧史の現場はロシアとドイツのはざまにあって、二〇世紀前半において驚くべき「血塗られた」(スナイダー)地域となった。幾度もの戦争、占領体制とそれに抗する諸勢力の弾圧、国の消滅・復活、領土の削減・膨張、そのたびごとの体制転換において対立する「記憶」が激突し、交替する。この「記憶の政治」問題に携わってきた著者が今回の論集をまとめるにあたって押し出したのはまさに「記憶の戦争」である。
この見地に立ってドイツや日本のホロコーストをめぐる言説に厳しい視線が向けられる。「過去の克服」で模範とされるドイツが実はホロコーストに呪縛された「記憶」の中にある。ドイツにおける支配的潮流は「シオニストの主張が帝国主義諸国から容認され」てきた戦後史を無視し、イスラエルの行っているガザ・ジェノサイド、大量の民間人殺戮と民族浄化政策を根底的に批判できない。現在露呈しているのは、「過去の克服」の「転落ぶり」だと厳しい。日本で範型化されてきたドイツの「過去の克服」はポスト冷戦時代の世界的変動の中で失効し反対物に転化したにもかかわらず、その破綻を糊塗して持続させているとも。
この潮流に抗するものとしてラッセル法廷パレスチナが想起される。また忘却と歪曲の潮流を乗り越えて新たな叙述形式を求める歴史家の一人として著者はオメル・バルトフ『ホロコーストとジェノサイド』を翻訳し、日本の読書人に提供した。それは現在進行形の二つの戦争が、ひとつの大きな構図のもとで相互連関的に論じられている点で傑出し、これまでのドイツ的な語りとは異なる経路でナチ犯罪とホロコーストの記憶の経路の可能性を具体化した業績と評価するからである。同じく、現代史叙述の再審を求めるものとしてバシール・バシールとアモス・ゴールドバーグを編者とする『ホロコーストとナクバ 歴史とトラウマについての新たな話法』を西洋史研究者が「責務として読むべき本」として推奨する。ホロコースト、ナチによる「最終解決」は「パレスチナ人に唆されて始まった」と公言するイスラエル首相ネタニヤフの存在、その政権のジェノサイド政策とガザ征服政策は、シオニスト国家の建国で大量追放されたパレスチナ人のナクバが新段階に達したことを象徴するとみる。歴史研究を踏まえてホロコーストとナクバを「同一の場で関連づけて」論ずる必要性を訴え、われわれの世界史認識に再考を迫る。
連合国がナチス・ドイツ指導者を裁くにあたって「戦争犯罪」、「平和に対する犯罪」、そして「人道に対する犯罪」を基準としたが、それは同じ世界大戦の悲劇を踏まえて提起されたジェノサイドの概念と相互にどのような関係にあるのか。ホロコーストを超える普遍的内容のジェノサイド概念はいかにして再発見され、国際刑事裁判所創設に結実したのか。戦後世界体制の規範が覆されている現在の根本的問題の長期的歴史的背景が問いかける。(ながみね・みちてる=横浜市立大学名誉教授、ドイツ社会経済史)
★はしもと・のぶや=関西学院大学教授・バルト地域研究・ロシア史・教育史・西洋史。著書に『帝国・身分・学校』『記憶の政治』など。
書籍
書籍名 | 記憶の戦争 |
ISBN13 | 9784815811891 |