2025/02/21号 6面

「原爆裁判」を現代に活かす

「原爆裁判」を現代に活かす 大久保 賢一著 石田 昭義  本書の表紙の絵が印象深い。漆黒の闇に浮かぶ青い地球。そのまあるい地球の上に一人立つ幼い少女。こちらをじっと見つめる瞳は何を言おうとしているのか。本書を読み通して、改めて絵を見ると、本書の副題にある「核兵器も戦争もない世界を創るために」弁護士として生涯をかけてきた著者の思いが凝縮されて伝わってくる。  帯文は「ノーベル平和賞」受賞記念講演の田中煕巳氏による。「「原爆裁判」の経緯、意義を明確に解説する本書は、核兵器廃絶を願う私たちと世界中の市民に勇気と希望を与えてくれる一冊です」  本書の内容は、重くて深い。それだけに、著者は平明な文章で具体例も入れて丁寧に語りかける。  「原爆裁判」は一九五五年、被爆者五名が、米国の広島、長崎への原爆投下は国際法違反であるとして、日本政府に賠償請求した裁判である。裁判を提起する際、そもそも敗戦国の民衆が戦勝国の軍の行為を違法として、自国の裁判所に訴えることなどできるのか。岡本、松井の両弁護士はその可能性を探った。戦後十年を経て、日米両国から見捨てられ、悲惨の極にある被爆者を思い、「被爆者救援」と「核兵器禁止」を念願に、訴状を練った。当時、被爆者は、いわれのない差別を受け、身を隠すように暮らしていた。岡本弁護士は熱意をもって説得し五名の被爆者が原告として名乗りを上げた。提訴から三年、岡本弁護士は判決を見ることなく他界した。  〈夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり〉(岡本氏短歌)         一九六三年、東京地方裁判所で画期的判決が下された。  「広島、長崎に対する原爆投下は国際法違反である」ことを世界で初めて明言し、「日本政府に被爆者への支援を強く促した」  この判決により、「被爆者援護法」が制定され、さらに「核兵器禁止条約」の成立へとなった。ただ田中煕巳氏は記念講演で「原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」と「被爆者援護法」がいまだ実現されていないと訴える。  著者は、原告たちの「請求」は認められなかったが時代に挑戦する勇気ある判決だとし、その背景について語る。  一九四七年、最高裁判所初代長官三淵忠彦氏は就任挨拶で「裁判所は、国民の権利を擁護し、防衛し、正義衡平を実現するところであって、圧制政府の手先となって国民を弾圧し、迫害するところではない」と。著者はこの言葉に三淵氏の固い決意と新鮮な響きを感じたという。それから十六年後の原爆裁判の判決にも「国民のための裁判所であれ」という言葉は生きていた。三淵嘉子氏(『虎に翼』の主人公)らによって書かれた判決は、義父三淵長官の思いに深く共鳴しての判決であった。しかしこの間、田中耕太郎長官による司法の反動化が始まっていた。反動化とは「国民の裁判所であることを放棄し、時の政治権力に迎合すること」(著者)。田中長官が係わった二件の事件、松川事件と砂川事件に顕著である。前者は、検察が諏訪メモという決定的証拠を隠匿、被告四名に死刑を求刑。その後証拠が提出され、最高裁で実質無罪判決が下された。四名は寸前で死刑を免れた。しかし田中氏は、執拗に被告人らの死刑を求めた。砂川事件では、統治行為の論法で最高裁は憲法判断を避けた。後に、アメリカ公文書開示資料により、田中氏とアメリカ高官との内通が判明。その底意は「長官として要望に従って処理します。ご心配なく」であった。司法権の独立はそのように破壊され、形骸化されてきた。  日本被団協は、「日本政府に戦争責任を認めること、アメリカに原爆投下の謝罪と核兵器を廃絶すること」を求めている。人間一人一人が自分事として、胸に手を当てて考えれば当然の帰結なのに、未だなされていない。田中煕巳氏も、それができなければ人類は滅びに向かう旨を話している。  ロシアのトルストイは絶対平和、絶対非暴力の道を唱え、インドのガンジー、キング牧師が続き、その流れは地下水脈のように今も流れている。まさに憲法九条の、そして人類が滅びずに生きていくための源流ではないか。トルストイの思想に共鳴した北御門二郎も、「人は人を殺すために生まれてきたのではない」と大学在学中、死刑覚悟で徴兵を拒否し奇跡的に命を永らえ、トルストイの翻訳と農業者としての生涯を終えた。  宇宙にあって、塵のような存在の地球。この小さな星から命をもらっている人類は、地球を何度も破壊できるような核兵器をため込んでにらみあっている。これからを生きる若い人たちにも、本書を読んでほしい。(いしだ・あきよし=地の塩書房主)  ★おおくぼ・けんいち=弁護士・日本反核法律家協会会長。著書に『憲法ルネサンス パンと自由と平和を求めて』『体験日本国憲法』『日本国憲法からの手紙 拝啓お母さん こんにちは子どもたち』など。一九四七年生。

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