書評キャンパス
湊かなえ『Nのために』
宮本 幸一
湊かなえといえば、「読んだ後にイヤな気分になるミステリー=イヤミス」の女王として知られる。だが、この作品は、その枠に収まることなく、犯人を探し求めるだけでもない、登場人物たちの「誰かを想う気持ち」が織りなす、切なくも愛に溢れた「純愛ミステリー」として読まれるべき作品である。
超高層マンション「スカイローズガーデン」の一室で、そこに住む野口夫妻が殺害された。この現場には、男女四人の若者が居合わせていた。彼らには、ある共通点があった。それは名前が、みな「N」から始まるということだ。杉下希美、成瀬慎司、安藤望、西崎真人。それぞれ異なる家庭環境、過去を背負う「N」という共通点を持つ彼らが、それぞれに「誰かを思う気持ち」が、この殺人事件を通して静かに深く交差していく。
第一章では、各人物の証言を元に、事件の大枠が提示されていく。事件は、法的には判決が出ているが、その後、各人物の視点から章が進んでいく。彼らの過去、事件当時、十年後の現在という三つの時間軸で話は展開されていく。彼らが何を知り、何を知らなかったのか、そして「誰のために」動いたのか。一つひとつ、パズルのピースが埋まっていく。
読者は、登場人物が知ることのできない情報のズレを、唯一知ることができる立場から、この事件を把握し、理解し、全貌を組み立てていくことになる。そして明らかになるのは、「犯人は誰なのか」という表面的な事実だけではない。「何が彼らをそう動かしたのか」「本当は誰を想っていたのか」という本質が読者の前に浮かび上がってくるのである。
中でも西崎の視点による「愛」の描写は、特に印象的な場面のひとつである。西崎が人生で見出した愛とは、他者から「烙印」を押されることだった。母親からの虐待で体中に痣を持つ彼の過去は決して「愛」として受け入れられることはない。しかし彼は、そうした痛みや過去は、文学の世界でこそ真の愛として受け入れられるのだと信じていた。
登場人物それぞれが様々な形の愛を持つ中で、西崎の愛は、最も苦しく、それゆえに最も純粋なものとして心に残る。彼の孤独と痛みが生んだその表現は、読者にとって「愛とは何か」を改めて問いかける場面であった。
「Nのために」というタイトルは、登場人物たちが「誰かを想い」「誰かのために」行動したことの積み重ねである。真実を隠してでも、自らを犠牲にしてでも、守りたいものがあったのだ。この作品は、犯人を探すためのミステリーにとどまらない。立場も過去も異なる人が織りなす、複雑で、静かで、切ない、愛の物語である。
本作は、ドラマ化もされており多くの人に知られる作品となった。ドラマで見たことがある方もいるかもしれないが、原作でこそ感じられる、著者の想いに触れ、自らで感じて考えて頂きたい。映像では描ききれない感情の奥行き、語られない視点のズレ、静かに積み重ねられた「誰かのため」の行動。その一つひとつが、丁寧に組み立てられている。ドラマで味わった記憶を持つ読者にこそ、ぜひ原作の持つ静かな熱を感じてほしい。
書籍
書籍名 | Nのために |
ISBN13 | 9784488024550 |
ISBN10 | 4488024556 |