2025/02/21号 3面

「沖縄報告」

「沖縄報告」 沖本 裕司著 大野 光明  本書は二〇一四年から十年間にわたる沖縄での反基地運動の記録である。著者が「週刊かけはし」に二〇一五年から定期的に寄稿した記事やその他の運動団体の会報やブログに書いた記事がもととなっており、それらはA4で千五百枚、写真は数千枚あったという。本書はそれらを省略・圧縮しまとめられたが、それでも四〇八ページの大著だ。  本の物的な厚みは沖縄での反基地運動の分厚さを示している。言葉をかえれば、本書の存在は、人びとが長年にわたり運動を続けざるを得ない沖縄に対する抑圧の強度をあらわしている。この十年間、翁長雄志の知事就任(二〇一四年一二月)、沖縄県による辺野古埋立承認撤回、日本政府と沖縄県との裁判を経ながら、日本政府は基地建設を強行してきた。本書はこうした政治過程を背景に、いかなる抵抗運動がつくられたのかを克明に記録する。同様のものに、たとえば目取真俊のブログと著作、影山あさ子・藤本幸久の製作したドキュメンタリー映画があるが、これほどの分量で運動の記録をまとめた本はないように思う。  本書の最大の特徴は、基地・軍隊への抵抗運動が何に取り組んだのかを克明に記録している点である。辺野古と高江の基地建設現場での阻止行動や座りこみにとどまらず、大小さまざまな集会、専門家を招いた講演会、沖縄県や防衛省などとの直接交渉、住民投票と選挙、裁判闘争、海外の運動との交流など、基地建設を止めるためにできるおおよそすべてのことが取り組まれている。工事車両が出入りする米軍キャンプシュワブのゲート前、埋立土砂の搬出拠点の安和桟橋、大浦湾の海上、あるいは高江の森の中などに、人びとは状況を読みとり抵抗の「現場」をつくる。そして、建設予定地の軟弱地盤や活断層の存在を明るみにし、国の相次ぐ違法行為と脱法行為、直接的・構造的な暴力を鋭く批判してきた。こうして運動は確実に基地建設を遅らせ、沖縄の軍事化の不当性と不正義を示してきたのだ。「国家権力が本気になって強行する国策に立ち向かうことは、例えれば、象に蟻、巨石に卵のようなものかもしれないが、『雨垂れ石を穿つ』のことわざ通り、継続と蓄積が不動のものと思われた国策を止める力になる」(二五八頁)との言葉はとても重い。「国の決めたことだからしょうがない」という諦念に覆われている日本社会において、沖縄での運動から学ぶべきことはあまりに多い。  また、本書は運動を担う広範な人びとの存在を豊かに記録している。「現場」には沖縄戦のサバイバーや「復帰」運動の経験者を含め、沖縄各地から人びとが集まる。また、日本「本土」、韓国、中国、台湾、米国、グアムなどからの参加者も多い。中国、米国、日本という「大国」の利害関係に翻弄される人びとは沖縄を出会いの結節点にしてきたのだ。著者はその様子を、「平和と人権、人間らしい暮らしを求める」という「共通の価値観」や「自己決定権」の希求が「共感と連帯」をもたらしていると的確に表現している(三二六頁)。  「次の10年へ向けた闘い[の]糧とな」るという著者の意図をくみとるならば(六頁)、さらに踏みこんだ内容を求めたくもなった。たとえば、いつ、どこで、何が行われたのかは丁寧に記されている一方で、人びとがなぜ行動したのかについてはあまり多く書かれていない印象をもつ。一部の参加者の語りは丁寧に紹介・引用されているが、それは運動のごく一部である。参加者それぞれの思いは、これからの運動参加を呼びかける力になるように思う。  また、運動内部にあった争点が記されていない点も気になった。「オール沖縄」内部での高江ヘリパッド建設反対運動や自衛隊配備反対運動の位置づけ、運動の幅を広げることとラディカルな阻止行動との関係、「争うよりも愛しなさい」という集会スローガン(二七〇頁)をめぐってなど、さまざまな争点があった。これらの争点は、沖縄内外の運動を豊かにするために、あるいは、沖縄の人びとの「自己決定」を豊かに構想していくために、議論されつづけるものではないだろうか。  日米両政府と大手ゼネコンは基地建設をやめようとしない。私を含む読者は沖縄での運動から何を学び、どのように連なるのか。自戒をこめてこの問いを改めて記しておきたい。(おおの・みつあき=滋賀県立大学准教授・歴史社会学・社会運動史)  ★おきもと・ひろし=一橋大学中退。現在、島ぐるみ八重瀬の会事務局長・南京・沖縄をむすぶ会事務局長。

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