百人一瞬
小林康夫
第81回 ミケル・バルセロ(一九五七― )
それが哲学者であれ文学者あるいはアーティストであれ、一個の固有名詞を冠した一冊本を書くことがなかったわたしだが、例外がひとつあって、それが『ミケル・バルセロの世界』(未來社)。だが、研究書ではなく、マジョルカ島、パリ、ジュネーヴ、京都、東京など、世界のあちこちで生命の原始的なエネルギーが溢れ出る不思議な〈現場〉を経験させてもらった記録を残しておくべきだと思ったのだった。
いや、もっと深い動機もあって、それは、ミケルがわたしを描いた絵があって、それが(わたしはわざわざ観に行ったのだが)ウィーンの展覧会に展示され、さらにはアメリカの展覧会にも出品されて、なんとそこで売れてしまった(たしか億のレベルの価格だった)という「事件」があったからだ。しかも、その絵は、二〇一一年の東日本大震災の翌日の夜、ようやく成田から飛び立ったフライトに衝撃に心乱れたまま乗り込んでパリに着いたわたしを、白黒写真のように、一面の黒にブリーチの技法を使って描いたポートレート。つまり、被災者とは言えないにしても、巨大なカタストロフィーに打ちのめされた精神状態のわたしのポートレート。それがアートの歴史のなかに残る! そして、いつか、どこかで、クロスオーヴァーするように、その時の「わたし」の眼差しに注がれる誰かの眼差しがある。そんな誰のものでもない「希望」をわたしに開いてくれたのがミケル。そのことを書いておきたかったのだ。
いや、まだある。どんなアーティストも、真正であれば、かならず大地に、あるいは別のところに、独特の「根」を深く張っている。その「根」を感じ取ることがそのアーティストの存在を理解するには決定的に重要。ミケルの場合は、アフリカの大地もあるが、まずなによりも故郷のマジョルカ島。その海を、その大地を感覚しておかなければならない……と気負ったわけではないのだが、震災の翌年、サバティカルをもらってパリに滞在していたわたしは、ミケルの呼びかけに応えてマジョルカ島に飛んで、一頭の豚を屠って一年分の保存食を準備するという儀礼的でもあるような、その土地特有の生々しいイベントに参加させてもらった。そこで、わたしは彼の「海と大地」――まさしく二〇一〇年アヴィニョンでのミケルの展覧会のタイトルであったTERRAMARE――の「根」に触れたのだった。
そのようにミケルの絵画に随伴することで、大袈裟に言うなら、「わたしの原点」とも言うべきメルロ=ポンティがセザンヌの絵画から学び続けていたように、わたしはミケルから、直接に「絵画とは物質からイマージュが生まれてくる激しい暴力」なのだということを学んだ。生命と物質、そのあいだをイマージュという暴力が架橋する。
二〇二一年、大阪の国立国際美術館を皮切りにして全国四箇所で大規模なミケル・バルセロ展が開かれた。そのカタログに「生命を荘厳する〈最初の画家〉」と題したテクストを寄せたわたしは、そこでミケルが「ラスコー・ショヴェ・アルタミラ、あの洞窟の画家」であり、また「大きな動物」でもあると口を滑らせてしまったのだった。
なお、青山のファーガス・マカフリー東京ギャラリーでは十一月九日までの会期でミケルが作った信楽焼の陶器の展覧会が開かれている。ミケルも来日するそうなので、久しぶりに再会できるかな?(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)