母と娘。それでも生きることにした
黒川 祥子著
歌代 幸子
かつて児童養護施設に通っていたことがある。職員と数人の子どもが個々の家に分かれて暮らす施設で、幼児から高校生まで家族のごとくにぎやかに生活している。だが、子どもたちの多くは親からの虐待や育児放棄の末にそこへたどり着いていた。あどけない笑顔を見せても、心にどんな傷を抱えているのか。思春期になると精神障害を発症する子、自傷行為を重ねる子もいて、いずれ施設を巣立つ子どもの将来が気がかりでならなかった。
そんなときに出合ったのが、著者が二〇一三年に出版した『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』だった。同書では、里親家庭に預けられた子どもたちの物語を通して、虐待が子どもに与える深刻な後遺症を描くとともに、愛情深く育てられることによって里親と信頼の絆が築かれ、心の傷を少しずつ回復していく姿が浮かびあがる。〝希望〟の光がともる労作だった。
あれから十二年、その続編となる『母と娘。それでも生きることにした』が刊行された。本書には、前作の中でただ一人、大人になった元被虐待児として登場した沙織さん(仮名)をめぐる物語が描かれていく。
彼女も乳児の頃から里子として育ったが、養育のありようは他の主人公たちとは真逆だった。当時、京都府で「里子村」と呼ばれた地域の寺の軒先に捨て置かれ、劣悪な環境で育つ。小学校卒業と同時に実父に引き取られるが、再婚した父と継母との生活は苛酷で、実父から受けた性的虐待によって多大なトラウマに苛まれながら生きることになる。
前作の取材では、実母に育てられた記憶のない沙織さんが二児の母となり、育てにくい傾向を持つ娘への虐待が止まらない苦しさを赤裸々に語っていた。著者はその後も沙織さんと会い続け、過去のさまざまな虐待の後遺症を抱えて生きる姿を垣間見ていく。やがて十二年の歳月を経て、再び取材者として向き合ったとき、それまで語られなかった壮絶な経験の詳細が明かされたのだ。
幾度もフラッシュバックする性被害の恐怖、最初の結婚生活の破綻。再婚して授かった娘は非常に育てにくい子だったことから、殴る蹴るの暴力が止まらず、「このままでは子どもを殺してしまう」と医師に訴えたことも……。
著者は、母の沙織さんのみならず、成長した娘にも取材を重ねていく。娘は就学前、母親から激しい虐待を受けていたが、その記憶はすっぽり抜け落ちていた。無意識のうちに精神のスイッチを切ってやり過ごしてきたかのように。だが、小学生になると自分のママが周りのお母さんと違うことに気づく。沙織さんは虐待の後遺症である解離性同一性障害によって複数の人格を持ち、どこで怒りのスイッチが入るかわからない。さらに夫の不倫発覚を機に心身が壊れていく母の傍らで、娘も「死にたい病」に苦しむことになる。
本書はこうして交錯する母と娘のモノローグで綴られていく。二人はこの先どうなってしまうのだろう、著者もいかなる思いで二人と対峙していくのかと、読み進むほどに胸が痛む。それでも、どうか耳を傾けてほしいと著者は願う。〈どうやっても交わらない母と娘の眼差しと、それでも率直な関係の母と娘に変わりたいという痛切な思いと、そんな交錯するそれぞれの苦しみと願いを、あなたなりにただ、受け止めてほしい〉と。
母と娘がそれぞれ目指すのはどのような生き方か。二人のモノローグに耳を傾けながら、私自身もいつしか娘と過ごした時間を顧みていた。子育てと仕事、家事に追われる中で葛藤する日々があった。あのとき、娘にかけた言葉は間違っていなかったか、彼女の寂しさをもっと受け止めてあげていたら……と、悔やむことばかりである。
過去に掛け違えたボタンは治せないけれど、それでも、ともに生きていくために大切なものとは何なのか。本書にはその一つの答があり、確かな希望も見えるような気がした。(うたしろ・ゆきこ=ノンフィクション作家)
★くろかわ・しょうこ=ノンフィクション作家。著書に『誕生日を知らない女の子』『県立!再チャレンジ高校』『心の除染』『8050問題』『シングルマザー、その後』など。
書籍
書籍名 | 母と娘。それでも生きることにした |