2025/05/16号

「働けない」をとことん考えてみた。

「働けない」をとことん考えてみた。 栗田 隆子著 石田 月美  「普通」に働けるとはどのようなことだろう。なぜ、働けない、働かない、働きたくない人は非難の対象となるのだろうか。  昨今、仕事や労働に関する書籍は数多く出ているが、本書ほど地に足のついた目線で論じられているものはない。実感をもって納得しながらページをめくった。  みずからを「不安定労働者」とする著者は、1973年生まれ、ロスジェネ世代の独身女性。元不登校児であり、高学歴だが、うつになり障害者年金を受給。現在はアルバイトをしながら文筆活動をしている。生活保護を受給したこともある。「普通」に働くことが困難な著者が描く、歴史やデータの丁寧な解説を踏まえた鋭い主張、時折挟まるユーモラスな表現。そして圧巻なのは、制度や社会構造へ溜飲が下がるような問いを立てつつも、著者自身の「煮え切らなさ」を保ち続ける筆力だ。  本書の指摘通り、「普通」という言葉で覆い隠されているものは「マジョリティの詰め合わせ」であり、そのマジョリティとは、「シスヘテロ男性/健常者/在日日本(ヤマト)人/会社勤め/既婚者/子持ち」である。現在の日本の制度や社会構造は、この「普通」を基準として作られている。しかもその「普通」の人々に、資本主義社会の能力主義は「今よりさらに頑張って生産性をあげる」ことを求める。これが「普通」なのはおかしい。ほとんどの書籍はここまでで議論が終わるだろう。しかし、本書はここからが本番と言わんばかりに論を展開する。全三章のうち、まるまる一章を「『普通』になりたいという願望」に捧げるのだ。  生活を安定させたい、他人に非難されたくない、安心したい……。そのために「普通」に働きたい。多くの人、特に心身が弱っている人ならなおさら、こう願うはずだ。著者もうつ状態のときに、「『マジョリティの詰め合わせ』に少しでも近づきたいという情けなくも悲しい願望」を持つと告白する。さらに、体力がなくフルタイム勤務は無理だとアルバイトを探すことにした著者は、金欠状態を脱するためバイトを掛け持ちした挙句、ダブルワークどころかクワドルプル(quadruple:四倍の意味)ワークになってしまったりもする。  働きたいのか、働けないのか、働きまくっているのか。「不安定労働者」の文言に偽りなしである。この煮え切らないリアリティこそが本書の地に足のついた議論を支えるのであろう。歪んだ日本の労働状況において、自身の労働に対する立場を明確にすることは難しい。しかもその立場は自由に選び取れるわけでもない。特に女性はより不安定で困難な状況に置かれることになる。にもかかわらず、歪みから溢れ出る鬱憤は、制度への非難に向かわず、「普通」に働いていない人への苛烈なバッシングとなってあらわれる。  その現状に著者は、「肝心な問いは、『仕事をしないでいる(とみなされる)人に対してなぜ人はかくも怒りを覚えるのか』という点である」と、的確に問いを立て直す。マイノリティの権利が守られるためには、マジョリティが変わらなければならない。けれど、その特権性ゆえマジョリティは変わらない。そう思われがちだ。しかし著者は、その特権が真に幸福なのかと問う。「あなたたちの立ち位置が本当にまっとうなのか、疑問も怒りも感じなくていいのか」と。  本書は、働けない、働かない、働きたくない人だけでなく、「普通」に働ける人にも揺さぶりをかける。読者は揺れ動きながら、今まで当然だと思っていたもの周縁が見えるはずだ。そして、「金を稼げない/稼がない」とされている人たちの労働にも目を向けて欲しい。労働は、それが生活に必要な仕事であればあるほど見えにくい。もしも「自分はちゃんと働いている」と思う人がいたら、その「ちゃんと」を支えているのはどこの誰なのか。どう呼ばれているのか。幾らで働いているのか。しっかりと目を凝らしていただきたい。(いしだ・つきみ=文筆家)  ★くりた・りゅうこ=文筆家。著書に『ぼそぼそ声のフェミニズム』『呻きから始まる』『ハマれないまま、生きてます』など。一九七三年生。