環境と文学の彼方に
辻 和彦・浜本 隆三・青田 麻未編
私は、去年の冬、日本中を旅行した。印象的だったのは、水俣だった。北風の吹く中、私はエコパーク水俣に立ち、かつて汚染された不知火海を望んでいた。そばにある水俣病資料館には、『あなたがそのとき、患者家族、チッソ社員、水俣市民、周辺住民、だったら、どうしただろう』と言う衝撃的な文言が書かれていた。もう一つ、印象的な場所があり、それは足尾であった。銅山の賑わいはなくなり、観光地化された足尾銅山のそばにある、古川足尾資料館。そこでは、鉱毒の問題はほとんどなかったことにされており、鉱山で賑わった街と、古河鉱業の栄光が展示されているだけだった。東日本大震災で、渡良瀬川流域での、足尾銅山の鉱毒が地表に出てきて、農作物に被害を与えたにもかかわらずである。それはまさに人新世を象徴する出来事ではなかったか。
本書では、今の時代が人新世と呼ばれる以前から、環境人文学はあったと主張している。「文学と環境の研究を目的とする学会」によって編集されたこの論文集は、環境と文学の問題を扱いながら、LGBTQ+問題、動物の倫理まで、幅広く論じられている。まずは石牟礼道子に関する論じられ方である。私は、数年前にポレポレ東中野で観た金大偉監督による石牟礼道子と水俣の映画、『花の億土へ』の舞台挨拶で監督が「石牟礼道子はアニミズムです」と言ったことが印象に残っている。素晴らしいサウンドスケープとともに語られる彼女の生涯は、まさに極上の映画体験であった。本書の「石牟礼道子と音――自伝『葭の渚』が語るサウンドスケープ」にも通底するところがあった。
本論では、石牟礼の自伝である『葭の渚』に現れる音に注目し、それが作者の音に関する経験や記憶と結びつきがあるのではないかという問いから始まる。論者は、その音を「ハイファイなサウンドスケープ」と呼び非現実と現実とが未分化な世界に生きる大人の語りが、石牟礼の基調音だったとする。そこでは、人間には聞き取れない自然の微音が聴こえてきて、水は美や生命の源を示す。また「石牟礼道子『十六夜橋』の自然と記憶」という石牟礼の実家を取材した作品に関する論文では、この作品に貫く原理が「自然が動く、ゆえに人が動く」であるとした。鳥の鳴き声を意味ある言葉として聞きとること。そこに彼女の自然とともにあるアニミズムの世界があった。
アニミズムの世界で言えば、本書にも登場するアイヌの世界観である。イギリスの宗教学者である、グレアム・ハーヴィの、「類似に基づいた思考、つまり類推が思考の基盤にあり、類似性の判断は、およそほぼすべての認知活動を支える」という、ニュー・アニミズムの立場から、アイヌの宗教観が論じられている。それは口承文学であり、非人間の世界が外面にも人間に類似し、非人間が人間と物語内で、直接会話する。人間以外のものはカムイと呼ばれ、それとの会話により、アイヌの人々は、自然と交信し独自の文学を作り出していった。まさに、環境とともに生きる、人々の生活がそこにはあった。
文学から離れて、「映画『キラー・オブ・シープ』における日常としての屠畜場」という論考では、屠殺場を日常に置く、不眠症に悩む抑圧された黒人労働者を描いている。そこから浮かび上がるのは、羊はアメリカ黒人とメタファーなだけでなく、あくまで、殺される動物として描かれている点である。その単調で「静謐」な世界が投げかける問いは、まさに歪な現代社会と、殺される動物との倫理の世界に他ならない。
また、「〈クィア・エコロジー〉〈トランスエコロジー〉の系譜学」というLGBTQ+の論考もある。エコロジーにクィアの視点を入れた、「クィア・エコロジー」という観念は日本ではあまり知られていない。性と自然の交差点を模索し、自然界とそれがいかにして生物社会的に構築されているかの考察を忘れることのない性の政治学と環境の政治を発展させることを目指している。クィアな関係は自然界には、多数見受けられるのである! そこで注目されるのが、小島信夫の『抱擁家族』をクィアと動物の交差性の観点から分析している本論集には収められていない村上克尚の論文であった。また、トランスジェンダーに関する視点が、まだ多くないと論者は言う。多様性と交差性の時代に、クィア・エコロジーとトランス・エコロジーへの注目が現代文学への批評の新たな視点を提供している。
最後に、「ハイチ文学と環境」という論考の中で、精神分析家フェリックス・ガタリのリゾームという概念が援用されていたことに注目したい。リゾーム(=根)は対立するツリーと違って、他者を排除せずにゆるやかに伸びる。政治活動家でもあり、エコロジストでもあったガタリは、エコロジーの挑戦が、古くからの自然を懐かしみ引きこもることではなく、世界の中に存在するために、精神的・社会的エコロジーの発明が必要であると考えた。精神・社会・自然の問題を「三つのエコロジー」として捉えたガタリの思想が、この論考集にも通底していることは、言うまでも無い。(しらいし・じゅんたろう=文芸評論家)
★つじ・かずひこ=近畿大学教授・アメリカ文学。
★はまもと・りゅうぞう=甲南大学准教授・アメリカ文学・文化。
★あおた・まみ=群馬県立女子大学専任講師・環境美学・日常美学。
書籍
書籍名 | 環境と文学の彼方に |
ISBN13 | 9784779130359 |
ISBN10 | 4779130352 |