2025/07/11号 5面

食わず女房から源氏物語へ語りをたどる

藤井貞和著『食わず女房から源氏物語へ語りをたどる』(鈴木貞美)
食わず女房から源氏物語へ語りをたどる 藤井 貞和著 鈴木 貞美  詩的想像力と学的研鑽が混然として展開する「藤井ワールド」が一望できる。自身の歩みを振り返りながらだから、その秘密も垣間見える。  一章・二章「昔話始まる」(上・下)では「語り」の文学史の最前線が提示される。若いときに学んだレヴィ=ストロースの構造人類学が昔話論のベースと言いおいて、縄文文化と弥生文化の長いあいだの摩察から双方の昔話の原型群が発生したという新しい二項対立構図が提示される。三章では昔話の語りはじめの決まり文句「今は昔」を探る。これが藤井さんの「語りの時制」論の始原にあたるだろう。  四章は「神話」への展開で、『古事記』のスサノオ神話が読み換えられる。五章では柳田國男の『遠野物語』(一九一〇)で、佐々木喜善の語る説話は当時の遠野の現在話だったことと、物語では眼前に展開する語りが進行することをアニメなども持ち出しながら考え併せてゆく。  物語論に入って、六章「源氏物語の空間」は、四季の御殿をもつ六条院での舞台進行を読み、ところが二条院の場面に四季の庭の景色がちらりと覗く。この「混乱」をめぐる考察のあと、七章では「紫上の死去」の季節が読み違えられてきたのは、宮廷生活では暦と節季の巡りが毎年ズレることをつかみきれずにきたことを説く。『源氏物語』の場所と時間のそれぞれを読み破ったのち、八章から「歌謡とは何か」「歌語りを位置づける」「演劇言語論」「語り物の演唱」と四章、文学史上の大きなテーマのそれぞれに先行研究の空隙に踏みこむ大胆な見解が披瀝される。とくに九章、平安前期、一世紀にわたる漢詩の時代に昔話は沈黙していたが、その陰で実は『伊勢物語』が準備されていたというアイデアには驚嘆した。  十二章では沖縄の語り研究の集大成『琉球文学大系』の刊行開始を寿ぎ、十三章は一九七〇年代からの「物語研究会」の活動の総括論議。「ポスト・モダンの功罪」を併せ考える角度も参考になる。十四章「詩学を語る」、十五章「深層に降り立つ」は、長年の蓄積から割り出した和歌と物語の基礎論。十六章に大江健三郎追悼詩を挟み、終章は関東東北大震災が引き起こした「語り」をめぐるやや長いエッセイ。自身の体験を語りながら旺盛な批評精神が運ばれてゆく。  十四章、十五章に見える「秘密」は、相手の思考枠から美点を引き出し、改作して、自身の基礎論をつくる手腕にかかわる。時枝誠記が日本語の動詞が時制(テンス)をもたないことに着目し、前近代の「国語学」史を探って、対象指示性をもつ「詞」と、もたない「辞」の二分法を引きだしたことはよく知られるが、藤井さんは、その「辞」を、はたらきだけの「機能語」と呼び換え、古典の完了の助動詞を「非過去」と呼んで、まず、これは過去のことと断ったうえで、現前する出来事を次々に語ってゆくしくみを浮かびあげた。  その「物語の時制」論の講義をアメリカでしたとき、大学院生が時制をもたない言語に対するアメリカ人の優越意識を語るジョークを紹介してくれたという(44頁)。なるほどと思った。明治初期、お雇いアメリカ人は、英語の時制の定訳語を決めるのに熱心だった。それらは結局、残らなかったが、これで、どちらの理由も明らかになった。  時枝の国語論は、ソシュールの言語システム論に対して「言語過程説」と呼ばれ、「内言」が「外言」に転化する二段階と考える人たちもいたが、藤井さんは「内言」に言及したことがないなと思って読み進めてゆくと、時枝文法論とチョムスキーの生成文法論に似ているところがあるといい(184頁)、今日の脳科学者の理論を持ち出して、古代日本人は外国語の表意文字(漢字)を受け入れ、表音文字(かな)と組み合わせてきたとある(190頁)。その後には漢字が表音機能を併せもつことが明記してあったが、このあたり、しばし考えこんだ。総じて、日本の文芸史には、まだまだかなりの空隙があることを教えられた次第。(すずき・さだみ=国際日本文化研究センター名誉教授・日本文化史)  ★ふじい・さだかず=東京大学名誉教授・日本文学。著書に『源氏物語論』『文法的詩学』『日本文学源流史』『古日本文学発生論』『〈うた〉の空間、詩の時間』など。一九四二年生。

書籍

書籍名 食わず女房から源氏物語へ語りをたどる
ISBN13 9784838234295
ISBN10 4838234295