2025/08/22号 6面

わたしの上海游記

わたしの上海游記 夏申著 濱田 麻矢  第二次大戦中、上海を風靡した張愛玲という人物がいた。本書にも登場する作家なのだが、その張愛玲に『封鎖』(一九四三)という短篇がある(藤井省三訳、『傾城の恋/封鎖』光文社古典新訳文庫。以下の引用は評者訳による)。  「もしも封鎖がなかったら、電車の進行は永遠に止まらなかっただろう。封鎖だ。ベルが鳴った。リンリンリンリン、一つ一つの「リン」が冷たい小さな点となり、一つ一つの点が点線を形作って、時間と空間を切断した」。  当時上海を支配していた日本の傀儡政権は、治安維持を理由に恣意的に封鎖(ロックダウン)を繰り返した。一度ベルが鳴れば、封鎖線を越えることは誰にも許されない。権力によって分断された大都会は、いつもと全く違う顔を見せ始める。「上海がこんなに静まりかえったことは絶えてなかっただろう――こんな真っ昼間に!」  ある外教(外国人教師)によるエッセイ集『わたしの上海游記』もロックダウンを語っている。パンデミックによる封鎖の前日、著者は街を歩いて思う。「静かだった。これほどに静かな外灘ははじめてだった」。  もちろん、八十年前とは上海封鎖の理由も方式も全く異なる。それでも、絶対的な権力によって街が細切れにされ、身動きできなくなったとき、上海の別の顔が見えてくるのは同じだ。「封鎖」は電車に閉じ込められた男女の束の間の恋愛を皮肉なタッチで描く。いっぽう本書の著者は、コミュニティの住人の一人として、防護服を身に纏ったボランティアを務めた経験を語る。パンデミックは大きな災難だったが、災難はまた、思いがけない出会いを呼ぶものだ。ロックダウン時のみならず、この本は上海ローカルとの一期一会に満ちている。  中国人名のようにみえる「夏申」とはペンネームで、著者は日本で教育を受けた日本旅券保持者だという。上海在職中の著者が中国国外の媒体に文章を発表するには煩雑な手続きがあるため、名を隠して「本にかかわることなら好き勝手に」書くことにしたという二十三のコラムはどれも読み応えがある。夏申は「中国語について専門の勉強もしたことはないし、中国語を専門的に学んだこともない」といいつつ、気負うことなく中国語/上海語でコミュニケーションを取り、中国語で本を読み、上海の展覧会やコンサートに出掛け、五感から中国/上海を吸収しようとする。もちろんそこには反日感情への緊張感も、微かな恐れもある。それでも上海と中国を知るための読書と街歩きをやめようとしない著者の知的好奇心は、本書タイトルの本歌である芥川の『上海游記』が帯びていた傲慢さとも、中国社会の闇に切り込む、などと言い立てるルポルタージュにありがちな不遜さとも無縁な瑞々しさに満ちている。特に評者の心に残ったのは、ミラン・クンデラの中国での人気を考察した一章だ。言論の自由のない全体主義を批判したクンデラの作品が、なぜ中国で大手を振って刊行されているのか。著者の出した答えは、全体主義とは「自由がない」ことだけではない、というものだった。「言論の完全な自由を有している」と信じ込んでいる人々もまた、全体主義に近いのではないか。それがクンデラが言おうとした小説の精神であり、中国の読者に響いたのではないか。西側、あるいは東側の「どちらかの全体主義」を批判する、そのような二項対立はクンデラの求めた文学ではなかったのではないか。  「わかりやすい図式に依拠して理解したつもりになるよりも、私は「複雑」さの前で慄き、立ち止まりたいと思う」。  日本でも中国でも、「自国」と「外国」、「味方」と「敵」を二色に塗り分けようとする動きが強まってきた。こんな時だからこそ、私たちは自国ファーストというゼノフォビアに陥ることなく、複雑さの前で慄く必要があるのではないか。本を読み、散歩をし、病を癒し、生活する。著者が淡々と描く上海生活のあれこれが示唆するものは大きい。  こんな本こそ中国語に訳され、中国の人に読まれてほしい。それが叶わないなら、せめて日本に暮らし、読書を愛する中国の人に、外国の人々に多く読まれて欲しいと心から願う。(はまだ・まや=神戸大学大学院人文学研究科教授・中国語圏文学・女性表象)  ★かしん=二〇一八年から上海の大学で日本文学・日本文化を教える。夏申は筆名。

書籍

書籍名 わたしの上海游記
ISBN13 9784314012102
ISBN10 4314012102