川崎 在日コリアンの歴史
山田 貴夫・服部 あさこ・橋本 みゆき・中山 拓憲・加藤 恵美編著
山口 祐香
この夏、「日本人ファースト」という言葉が社会を席巻した。少子高齢化が進む現在、日本には360万人以上の外国人が在留し、多くの観光客も来日する一方で、排外主義的な言説が国政選挙を通じてメディアを賑わせた。ここで語られる「日本(人)」の定義の危うさは言うまでもない。ただ、「多文化共生」が論じられるはるか以前から、この社会は既に多様な人々によって支えられてきた。だが、その「現実」を直視するためには、国家を主語とする歴史の語りではなく、「日本人」に限らない多様な人々によって生きられた歴史を通じて、日本社会の輪郭を捉えかえす必要があろう。本書は、関東有数の在日コリアン集住地域である神奈川県川崎市の地域史を通じ、そうした視座を提供してくれる好著である。
本書は全4章で構成される。第1章では、1900年代前半の工業都市・川崎の発展と共に、日本の植民地支配を背景に移住した朝鮮人たちの暮らしや、過酷な差別と抵抗の実態を取り上げる。第2・3章では、1945年から60年代にかけ、川崎の朝鮮人たちが戦後日本の「外国人」政策において、「在日コリアン」となっていく中で、貧困や差別、社会保障からの疎外、南北分断などに直面しつつも、日々の生業や民族教育に取り組み、地域に定住していく様が詳細に述べられる。そして第4章は、「日立就職差別裁判闘争」(1970年)の支援を契機に、民族差別の克服と「外国人」との共生を掲げる草の根市民運動が川崎で活発化し、行政とも関わりながら「多民族・多文化が共生する地域社会」の創出に向けた現在の取り組みと接続していく流れが紹介される。
川崎の在日コリアン史や運動史に関する先行研究は多いが、本書は多様な文献や聞き書き資料を駆使し、戦前から現代までの「まちの歴史」を網羅した初めての通史である。そして、「日本人」と「朝鮮人」の二項対立といった図式ではなく、「様々な人が住民として地域で反感と共感を交えながら共に生きてきた歴史」(5頁)の記述に主眼が置かれている。確かに本書では、差別や貧困の中でも懸命に働いて根を下ろし、不条理に声を上げ、市民としての権利を求めてきた在日コリアンや、彼・彼女らを取り巻く構造的差別に時に加担し、葛藤し、そして連帯してきた日本人たちなど、生身の川崎の人々の声が行間から浮かび上がってくる。
本書の執筆陣は「川崎在日コリアン生活・文化・歴史研究会」で地域史研究や差別撤廃運動に取り組んできた市民である。現在146ヵ国5万人を超える外国籍住民がいる川崎市では、全国に先駆けて「川崎市多文化共生社会推進指針」(2005年)が採択されたが、外国人差別やヘイトスピーチの問題は未だ根強い。その中で、100年以上に渡って在日コリアンが地域に息づき、日本人と共に闘い生きてきた蓄積を歴史として残す活動が川崎で続けられ、2024年には「多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム」設立準備委員会が発足した。国籍の違いを超える生き生きとした「まちの歴史」を取り上げる本書は、そうした市民による歴史実践のひとつの成果である点にも触れておきたい。
「日立就職差別裁判闘争」に際し、全面勝訴した在日コリアン青年に送られてきた手紙のひとつには「人種差別して何が悪い。日本の企業は日本人のためにあるのだ(中略)目ざわりだ。うす汚い!朝鮮人め!」(168頁注2)と書かれていたという。今日のSNS上でも見られるような言葉である。在日コリアンの人々が直面してきた構造的差別や生きづらさは、現代日本の外国人たちが置かれている状況と変わらない。無知や偏見、行き過ぎた不安や敵視が、関東大震災の朝鮮人虐殺をはじめ剝き出しの暴力に繫がることを歴史が証明している。同じ過ちから逃れるためには、形だけの「共生」ではなく、過去に学び、同じ地域に生きる者として関わろうとする市民の知性と実践の積み重ねに懸かっている。「川崎」は現在進行形の「闘い」を意味する動詞なのであることを本書は知らせてくれる。(やまぐち・ゆか=九州大学韓国研究センター助教・在日コリアン史)
★やまだ・たかお=フェリス女学院大・法政大学非常勤講師・川崎在日コリアン生活・文化・歴史研究会代表。
★はっとり・あさこ=日本女子大学ほか兼任講師・教育社会学・マイノリティ問題。
★はしもと・みゆき=立教大学ほか兼任講師・社会学。
★なかやま・たくのり=神奈川県立大和高等学校教頭・世界史教育。
★かとう・えみ=帝京大学准教授・国際関係論。
書籍
書籍名 | 川崎 在日コリアンの歴史 |
ISBN13 | 9784846125066 |
ISBN10 | 4846125068 |