2025/08/01号 8面

「読書人を全部読む!」③(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光 第3回 創刊号を眺める  前置きのような話が続いた。そろそろ「週刊読書人」を読み始めよう。  創刊号は1958年5月5日号(223号)である。創刊号なのに「223号」なのは、前回述べた理由による。前身の「読書タイムズ」が222号まで発行されたのを引き継いだために、このような号数になっている。  まずは同号全体を大きく眺めてみる。全部で8面から成るのはいまと同じ構成。全体を眺めてみると、顔写真があちこちに見える。1面には佐藤春夫、手塚富雄、2面には中江兆民、3面には高見順、小田切秀雄、深沢七郎、といった具合で、いまなら日本文学史に並ぶ面々である。江藤淳(文芸評論家/1932-1999/26)が、小田切秀雄『現代における自我』(平凡社)を「この努力を現在はなはだ貴重なものと考える」と前置きしつつも、「ものたらなさ」を感ずると書評した文章では、小田切秀雄(法政大学教授・日本文学専攻/1916-2000/42)の写真が載っているから、記事を書いた人の写真とも限らないようだ。  ところで、江藤淳や小田切秀雄といった人名のうしろに「肩書き」と「生没年」と「年齢」(執筆時)を添えてみた。肩書きは紙面に記されたものを写してある。表記がない場合、私のほうで補足する(〔〕に入れる)。年齢は当該号の西暦から、当人の生年を差し引いた値で目安程度のもの。こうした要素は、少しごちゃごちゃして見えるかもしれないが、それぞれの時代にどういう人が寄稿していたかを窺い知るための材料として試しに書き添えてみる。  さて、内容はどうか。1面には紙名、「本号の目次」「改題発足のご挨拶」「御購読について」「第一回城戸賞綿貫氏に決る」といった編集部によるお知らせを別とすると、佐藤春夫(作家/1892-1964/66)の「批評のない国 現代の書評とジャーナリズム」という評論、手塚富雄(東京大学教授・ドイツ文学専攻/1903-1983/55)「ひとりごとの読書論 騒音時代の読者に求められるもの」、横山泰三(〔漫画家〕/1917-2007/41)の「泰三書評」というコーナー、「泡言録」というコラムが並ぶ。紙面の地のほうには、いわゆる「サンヤツ」や「突き出し」があり、ほとんどは本や雑誌の広告で占められている。  2面には「サラリーマンの読書生活 アパート都市光ヶ丘にみる」という調査報告や、リレー連載「民衆の中の作家」(第1回は中江兆民)があり、3面から「文学 芸術」、4面「社会科学」、5面「自然科学」、6面「児童 教育」、7面「雑誌」「海外展望」、8面「家庭 趣味」と面ごとに大きな分類が施されている。  私のように分野を気にせずものを読む者にとってうれしいのは、「文学 芸術」「社会科学」と並んで「自然科学」のコーナーがあるところ。いつ頃からか分からないけれど、現在の書評紙は、どちらかといえば、人文・社会科学を中心とする紙面構成になっている気がする。これは良し悪しというよりは、時代の変化や学術の細分化の結果などもあってのことではないかと睨んでいるけれどどうだろう。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)