書評キャンパス
朽葉屋周太郎『おちゃらけ王』
野原 泰靖
本来であれば、書評の場においては太宰や漱石などのような純文学、もっと言うと「読んでいると格好いい」小説を取り上げるべきなのだろう。私は国語科の教員を目指しており、念願叶って教員になることができた際には、生徒には教科書に載るような「ためになる」本を薦めることが理想的であるとされるはずだ。 しかし、今回取り上げたのは、それらとは対極の位置に存在する小説である。
この物語は、プライドだけは天井知らずで怠惰になり果てた大学生・名雪小次郎と、幼少からの腐れ縁「魔王」の二人によって、舞台となる鳴鼓宮で、周囲の人間を巻き込みながら面倒事が引き起こされる。その面倒事というのも、魔王が一年かけて築き上げた膨大な借金を取り立てんと、決死の覚悟で襲い掛かる借金取り「債鬼」から華麗に、卑怯に、滑稽に逃げ回るという、珍妙奇天烈な鬼ごっこである。小次郎は魔王の術中に嵌まり、何故か魔王と正体を偽って、鳴鼓宮を逃げ回ることになるのだが……果たして逃亡劇の結末やいかに。
『おちゃらけ王』という名が体を現すように、二人の登場人物によって馬鹿話が繰り広げられ、物語が織りなされていくのだが、そうした展開は、特に珍しいものというわけではない。似た系統の小説にはたとえば、森見登美彦著『四畳半神話体系』などが挙げられるだろう。
ただしこの物語の魅力は、まさにその「よくある展開」に付随する、もはや上品とも錯覚するほどの馬鹿馬鹿しさと屁理屈に塗れた、流れるような言葉の応酬にある。
「あんな可憐な女性が君みたいな倒錯型無限屈折病患者を慕ってくれることなんか本来ならば原理的にあり得ないのだが、今回ばかりは神様の野郎が諸々の手続きを間違えて運命がけしからん方向に暴走しているみたいだから、この機を逸するなよ」
罵倒に似た激励、と見せかけた罵倒だったが、幸せいっぱい夢いっぱいな私の気分を害するには至らなかった。
初めてこの箇所を読んだとき、途中からにやけが止まらなかった。こんなに語呂がよく、流れるような文章をどうやったら思いつくのか。作者の朽葉屋周太朗は言葉選びが天才的なのである。しかも一見すると賢しいような文章でも、私のような頭のあまりよろしくない人間にも分かりやすい言葉を選びつつ、しっかりと笑いを取っている。
このような読んでいて「面白い」と体感的に感じることのできる小説は、人にも薦めやすいからありがたい。
最後にもう一つの魅力を挙げる。本作ではちょっとした異能力バトルのような一面があったり、人間で無いかの描写があったり、そもそも鳴鼓宮という実在しない地名が舞台であったりするが、れっきとした現代日本を想定して描かれている。現実から隔離された特殊な設定があるわけではない。つまり、明らかに異質な世界が、現実と地続きで存在するような感覚に陥るのだ。本を手にすれば、まるで祭の中にいるような、不思議でどこか温かい、鳴鼓宮に誘われることだろう。
文章を読むことそのものに面白さを感じるという点において、絶対の自信をもって本書を薦めることができる。ぜひとも小次郎と魔王が借金取り達から逃げ惑う珍道中を、多くの人に見届けてもらいたいものである。
書籍
| 書籍名 | おちゃらけ王 |
| ISBN13 | 9784048702829 |
| ISBN10 | 4048702823 |
