「わだつみ」の歴史社会学
那波 泰輔著
清水 亮
著者は一九八九年生れ。一九四九年に戦没学生の遺稿集として名高い『きけわだつみのこえ』が東京大学協同組合出版部から刊行されてちょうど四〇年後に生まれた。その四〇年間はおおよそ東アジアの冷戦の幕開けと終焉に対応する。本書が、主な研究対象とする日本戦没学生記念会(わだつみ会)も、朝鮮戦争に巻き込まれる危機感のなかで立ち上がった。
本書を読む際にもう一つ押さえておきたい前提は、知識人性だ。記念対象の戦没学徒たちは大学進学率が数%にすぎない時代のエリートであり、戦後の記念の担い手も当初は文化人を中心としていた。彼らは『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、一九六一年)とは対照的に、言葉を巧みに操ることができる階層にある。
そのため当然ながら先行研究では、戦争体験をめぐる「言説」や「思想」や「議論の内容」が論じられてきた。担い手たちが出版している数多くの著作を各時代の文脈と対応させつつ解読して戦後史の記述を立ち上げるのはたしかに正攻法だ。
しかし本書は、「そうした議論を成り立たせていたわだつみ会自体の構造」に注目し、「集団」「組織」(とその背後の「制度」)と、戦争体験の語りとの相互影響関係の分析というアプローチの開拓に挑戦する。個人の思想と、「マクロ」な時代状況との間に位置する領域に踏み込んでいく姿勢が「歴史社会学」という言葉に表れているようにみえる。
ゆえにキーワードは、「思想」に加えて、「行動」だ。組織内で展開されてきた「活動」や「実務」に分け入っていくために、著名な文化人に限らない計二〇人のインタビューや、「会員の交流の場」として機能してきた機関紙が、有用なデータとなる。
第四章まで読み進めると、さらにひとひねり。わだつみのこえ記念館という、わだつみ会という組織とは別の活動の場が、重要な研究対象として浮上する。東京大学そばの「赤門アビタシオン」なるマンション内のミュージアムである。それは小さくとも、九段坂上の靖國神社はもちろん、小石川台地の東京都戦没者墓苑とも、本郷通りの東京大学戦没同窓生之碑「天上大風」とも別の記念空間を形成している。
設立は二〇〇六年で、戦後日本に数多く作られてきた戦争ミュージアムとしては新顔の部類に入る。しかし、本書が明らかにしたように建設構想は一九五〇年代にさかのぼるのだから、「わだつみ」の歴史の厚みをまるごと追跡しなければ理解できない対象だ。その意味で本書は、わだつみのこえ記念館のディープなガイドブックにもなる。
わだつみ会に長年かかわってきた記念館長は「記念館を作ってからは、人と会う、会話できる喜びがある」と著者に語っている(一三一頁)。「継承」や「思想化」といった使命感に満ちたフォーマルな言葉では捉えきれない、等身大の「活動」の動機が垣間みえる。ひょっとすると、冷戦期の戦争体験者の組織や平和運動にも「本来なら出会うことがなかった人びとが出会い、そこでの交流によって新たな世界を知る」素朴な喜びが動機の底流にあったのかもしれない、などと想像しながら、ぜひ記念館に足を運んでほしい。評者も、本書に登場する人々と記念館一階のテーブルを囲んでお話をして「繫ぐ場所」の意義と「喜び」に触れたこともある来館者の一人である。
一方で、本書掲載の記念館内部の写真をみれば、遺書以外にシンボルの「わだつみ像」が目立つ。『きけわだつみのこえ』初版本も、裏表紙に刻まれた、学徒兵・関口清の痩せ衰えた身体と空想の食べ物のスケッチが鮮烈な印象を残す。そして映画化も一九五〇年と一九九五年の二回なされた。「わだつみ」の世界は、言葉のみならずイメージから成り立つ。だから本書の副題「人びとは「戦争体験」をどう紡ごうとしたのか」の「紡ぐ」活動には、書くことのみならず、描く、彫刻する、映画を製作する、ミュージアムをつくるなど実に多様な活動が射程におさまるはずだ。
こうしてみると「わだつみ」は、エスノグラフィーも、メディア研究も、オーラルヒストリーも、文化資源学も様々展開可能な研究のフロンティアだ。博士論文ゆえか、記述は硬く禁欲的だが、フィールドワークで得た発見やエピソードは書ききれないほど持っているに違いない。あとがきでは、もっと著者の個人的な人生語りも聞きたかった。戦争体験世代が続々と鬼籍に入る時代に第一歩を踏み出した著者の「ライフワーク」の第二歩、第三歩へエールを送りたい。(しみず・りょう=慶應義塾大学専任講師・社会学・記憶論)
★なば・たいすけ=成蹊大学社会調査士課程室調査・実習指導助手・歴史社会学。一九八九年生。
書籍
書籍名 | 「わだつみ」の歴史社会学 |