対談=内海 健・檜垣立哉
<変わる時代の「臨床哲学」の思想>
『精神医学と哲学のあいだ 木村敏が考えたこと』(創元社)刊行を機に
精神病理学者の木村敏氏が2021年に逝去して4年。木村氏の「臨床哲学」の思想を次代に継ぐ論集『精神医学と哲学のあいだ 木村敏が考えたこと』(創元社)が上梓された。芝伸太郎・野家啓一の両氏が編著者となり、深尾憲二朗・谷徹・野間俊一・檜垣立哉・内海健の各氏を著者に迎えた本書は、木村精神病理学の入門にしてその発展を目指す書だ。刊行を機に、著者の内海健氏・檜垣立哉氏に対談をお願いした。(編集部)
檜垣 本書は、2024年2月、龍谷大学で2日間にわたって行われたシンポジウム「木村敏が伝えたかったこと 精神医療が紡ぎ出す人間理解」をもとにしています。このシンポジウムは、これから後の人にも木村敏という人の本を読んでほしい、と未来に向けた願いを込めて催されました。実は、2011年に木村先生は生誕80年記念シンポジウムを開いており、これは翌年、野間俊一編『いのちと病い』(創元社)として出版されています。また、2016年にはまさに私と内海さんが『現代思想』(青土社)の木村敏特集で対談をしています。
木村敏は、今まで少なくともある世代には非常に熱狂的に読まれてきました。その思想――臨床哲学――は一体どういうアクチュアリティを持ち、将来に向けてどんな意味を持つのでしょうか。
内海 木村先生は、精神病理学がもっとも輝いていた時代の、まさにその中心におられた方です。当時、安永浩、笠原嘉、宮本忠雄、中井久夫といった錚々たる人たちが輩出されました。大学紛争によって科学的研究がストップしていたことも、精神病理学の流れを加速させたように思います。しかしそれ以上に、当時は哲学という大樹がしっかり根を張っており、一般の人のリテラシーも高かったということが背景にあったのではないでしょうか。木村先生が講演する際には、多くの聴衆が集まり、先生が艶のある低い声で"Zu den Sachen selbst"であるとか「物来たって我を照らす」などとおっしゃるのを、静まり返って拝聴していたような時代です。
精神科医というのは、自分たちの実践が確たる根拠を持っていないのではないかという疑念に、常にとらわれているものです。それゆえ、一方では、自分が医学の一員であること、つまりは身体に基礎づけられたものであることを求めます。しかし当時の神経科学はまだプリミティヴなものでした。研究もストップしている。そして他方では、思想や哲学に自分たちの営みのバックグラウンドを求めるという志向があったわけです。
檜垣 その中で、木村先生と中井久夫は特異な存在でした。中井は、ギリシアの詩人の翻訳をしたり、『分裂病と人類』で人類学的な話を精神医学と交差させたり、あるいは阪神淡路大震災の後、種々の組織を立ち上げたりした。私たちが現在イメージする精神科医の先生とはかけ離れた活躍をしています。木村先生は言うまでもなく、ハイデガーとメダルト・ボスの『ツォリコーン・ゼミナール』の翻訳をしたり、ブランケンブルク、ビンスヴァンガー、ヴァイツゼカーといった人たちの膨大な量のドイツ語著作を日本語に訳したりと、翻訳の専門家でもできないほどの仕事を、医者でありながら行っていました。
私のような素人から見てもあの二人は飛びぬけていた。これが2020年代となると、そのような方がいなくなってしまって非常に寂しく思います。それは時代の必然なのでしょうか。
内海 こうした時の流れを象徴するものとしては、DSM〔米国精神医学界:精神疾患の診断・統計マニュアル〕の世界制覇が挙げられるでしょう。私は研修医になりたての頃、おもにドイツの精神医学を中心に勉強していましたが、その頃登場したのがDSM第Ⅲ版(1980年)です。しかし、取り寄せて読んでみると、研修医の眼からもちゃちなものに映りました。診断基準が、内科疾患のように、命題の束で書かれているのです。設計思想の基礎とされている操作主義にしても、まったく原義と異なっている。むしろ無思想であることを全面に押し出していました。それ以前のアメリカ精神医学は、精神分析学の流れの中で、フロム=ライヒマン、アリエティ、サリヴァンといった傑出した人たちを輩出していたのですが、「どうしてこんなものになってしまったのだろうか」というのが正直な感想でした。
ところが、DSMは80年代後半から90年代にかけて世界中にどんどん浸透していく。そしてそこへ製薬企業や保険会社が参入し、精神医学はがんじがらめになっていきました。研究もそうです。例えば今、一流のジャーナルに投稿しようと思ったら、DSMの診断を使わなければ採用されません。もちろん木村先生は、別に身体医学を否定しているわけではありません。むしろKörperではなくLeibとしての身体には強いアフィニティをもっていたと思います。薬物療法も積極的にされました。ですが、上のような潮流には与しなかったのも事実です。今ではそうした人は少なくなりました。私がDSMに批判的な記事を書いただけで、「勇気がある」と囁かれる始末です。
檜垣 今、薬のお話が出ました。精神障害に処方される薬は、三環系抗うつ薬から四環系に移り変わり、そしてSSRIが登場してNaSSAが出てきて、と変遷してきました。ですが、その重篤な副作用さえなければ、三環系で十分なところがあると聞きます。三環系というのはある種哲学的な薬で、要するに鬱を増悪させる。服用してしばらくは効かない、むしろ落ち込みが激しくなるが、しかしあるところで急速に、自分から治ってしまう。つまり、必ずしも調子をよくするのが正しいわけではないのです。調子を落とし切ってしまって生命の根源のようなところに底落ちすると、「これは立ち上がらなきゃいけない」という反応が起こる。
内海 三環系を服用して睡眠が取れるようになると、実感として、「これは休まなければならない」という覚悟ができるようです。木村先生も若い頃、イミプラミンという最初の抗うつ薬に関する論文を書いています。振り返ってみると、現代の精神薬理学において、主要な発見が二つあります。統合失調症に対するクロルプロマジンと、双極性障害に対する炭酸リチウムです。これらはまさに画期的なものでしたが、しかしすでに半世紀以上前の発見です。そこから先、次々と新しい薬が開発されますが、これらの二剤以上の画期性はないのです。確かに副作用は大幅に減りましたが、効果については、わずかに有意差が出るか出ないかというところです。
ちなみに、精神科の薬の作用機序もまだ解明されていません。開発もほとんどセレンディピティ、偶然の発見によるものでした。今は「創薬」という発想があり、病態生理に対する効果的な作用をもつようにあらかじめ設計したうえで開発されます。しかし、まだ成果は十分ではありません。理屈はよくわからないが、なぜか効く。例えば、抗うつ薬の作用機序から導かれた「モノアミン仮説」は、うつ病の機序として半世紀もの間、掲げ続けられています。しかしそんなに長い間、仮説が検証も棄却もされぬままであるのはめずらしい。
檜垣 診断技法や薬学もそうですが、木村先生や中井久夫の著作を読むと、隔世の感を感じざるを得ません。例えば中井は患者の家に赴くとき、「腹は空かせず、トイレは済ませて」という風に、完全に気合を入れた状態で訪問します。そしてあらかじめ患者の家の間取りをアタマに入れておき、雰囲気を摑もうとする。医者としてというよりは人間として患者とぶつかる感じです。でも今は、医者は病院に陣取って薬を処方し、ひどくなったら入院させる。精神療法は心理士に任せる。そのような形になってきているのではないでしょうか。
内海 そこまで極端に変わったわけではないでしょう。私も、患者さんと散歩に出かけたり、一緒に就活に行ったり、あるいは往診にも赴きました。入院を説得するのに、患者さんと二人で煙草を吸いながら話したりしたこともあります。往診について、今は「アウトリーチ」という制度があります。ただ、昔のようにアドホックに工夫をしてやっていくことに縛りがあるのは確かです。何にしても窮屈ですね。
檜垣 ところで、本書で芝さんは「ポスト・フェストゥムの消滅」という論考を書いています。また内海さんは『「分裂病」の消滅』(青土社)という本を2003年に出している。木村先生の一つの大きな業績は、ハイデガー的な時間論と西田幾多郎の哲学を彼なりに混淆させたことにあるでしょう。初期はアンテ・フェストゥム〔祭りの前〕としての分裂病。続いてポスト・フェストゥム〔祭りの後〕としての鬱病。そして西田の「永遠の今」概念とも非常に強く繫がるイントラ・フェストゥム〔祭りのさなか〕、癲癇に相当する時間性を論じました。最後のイントラ・フェストゥムは、ドストエフスキーやモーツァルトといった大天才が癲癇持ちであったことにも通じています。現在にすべての時間が集約されて溢れてしまう、そういった神秘的な時間性です。こうして、時間論的な区分を前面に押し出したというのは、木村先生の仕事の中では割とわかりやすい。
この議論は中井久夫にも援用されています。例えば彼は、アンテ・フェストゥムの時間性を革命意識に準えました。この意識は、資本主義的な、常に変転しなければならない社会とも親和的です。あるいは反対に、メランコリー性の重篤な鬱、全く言葉を発することのできない患者を、いわばベルクソン流の「閉じた社会」に相当させて論じた。つまり、木村先生の議論は文明論との結びつきも強かったわけです。これが1970年代から80年代の彼の仕事の大きな柱でした。
内海 その後、1980年の「てんかんの存在構造」という論考を皮切りに、『直接性の病理』(1986年、弘文堂)が出て、先述の「イントラ・フェストゥム」という時間性が明確に打ち出されます。
檜垣 そうですね。そして90年代には、ヴァイツゼカーの『ゲシュタルト・クライス』(みすず書房)や『パトゾフィー』(同)の翻訳をします。その頃になると木村思想は生命論に傾斜していく。こうした議論の変遷として捉えると、木村先生の思想は割と頭に入りやすく、なおかつ事柄としてもよく理解できるところがあります。
檜垣 しかし、21世紀に入るあたりで時代そのものが変化し、精神疾患の症例も変わってきますよね。統合失調症の重篤例などはもはや古典的なものとなり、あまり現場で見られなくなります。あるいはポスト・フェストゥム的な病態を示す鬱病者も姿を消す。木村先生が想定したのは、ここ20年ほど見られがちな、患者が「ちょっと鬱っぽくて」と訴えて来院するのなどとはレベルの異なる、40年間一言もしゃべらないでいるような病態でしたから。
21世紀にはそれまでの典型的な精神病ではなく、境界例や軽症鬱、解離症がクロースアップされてきたわけです。斎藤環さんが引きこもりについて議論を始めたのもその頃でしょう。精神病のあり方自体が大きく変わってきている。それらは果たして木村敏的なアンテ・フェストゥム/ポスト・フェストゥムの構図で語られうるのか。これが大きな問題だと思います。もし、木村先生が若くしてこうした症例に当たっていたら、木村敏的な思考構図は変わったのでしょうか。
内海 本書の芝さんの論文に野間さんの議論が引用されています。彼は上の三つの時間様態にコントラ・フェストゥム〔祭りの外〕を補完して、直交する四つのベクトルを備えた時間論の完成形を示します。しかし、木村先生はコントラ・フェストゥムには言及されませんでした。そこで「コントラ」の典型とされているのはASD〔自閉スペクトラム症〕ですが、そういった患者の臨床経験をされてこなかったからかもしれません。
コントラ・フェストゥムについては、社会学的な視点から別の見方もできます。かつては所謂「ハレとケ」における「ハレ」、つまり祝祭が周期的に、期間限定で、苛烈な興奮をともなう例外的な時間として確保されていた時代がありました。それに対して現代は、そうした文化装置が希薄になっていく。その代わり、瀰漫化した形でのべつまくなく空騒ぎが起こる状況が現れた。他方で「ケ」は「ケ」で、作業効率やコンプライアンスが求められ、窮屈なものになってくる。いわゆる「メンタルを病む人」も出てくる。こうしてかつてのハードなリアリティというものが希薄になっています。自傷や過食嘔吐などといった現象は、こうした背景から浮き上がってきたとも考えられます。癲癇や非定型精神病のようなハードなイントラ・フェストゥムではない、瀰漫化した病態が出現してきたのはある意味当然かもしれません。
檜垣 仰る通り、前近代社会において「ハレとケ」は明確でした。ハレは、身分や仕事や立場、結婚相手が明確に決まっている社会において、爆発的に生じます。身分を取り違え、王様が乞食になり乞食が王様になる。 要するに祝祭には、身分固定されている社会でガス抜きをする機能があるわけです。時に身分を劇的に破壊して、そしてまた元の生活に戻る。この仕組みが、周期性として人間社会には備わっていた。しかし資本主義社会後期になると、どこに行ってもみんなが祝祭をやっている。インターネットなどその最たる例です。もはや「イントラ」の意味が分からなくなってしまっている。
内海 そこには生命性が希薄ですね。「コントラ」の一つの範例となるのは、トラウマではないでしょうか。発端には、フェストゥム的な、例外事象が置かれます。ただし、フェストゥムと言っても、陰湿なもので、祝祭性とは真逆です。トラウマを被った人は、些細な出来事に遭遇するだけでフラッシュバックを起こしてしまう。そのため、感情閉鎖をして、フェストゥムにできるだけ遭遇しないようにする。コントラ・フェストゥム的な状態に自身を置いてしまうのです。今の社会は、フェストゥム的なものが溢れかえっている。その中で、引きこもりやASD、PTSDはスッと身を引いていく。
檜垣 本書で芝さんが引用した図では、コントラ―イントラの軸に「疎」と「密」が割り振られています。「密」にあたるのが情報の氾濫する現代社会なわけです。一日に入ってくる情報量にはすさまじいものがある。それに飲み込まれると自分が保てないから、反動的にそこから自分を閉ざしていく。これを時間論として解釈するとどのようになるのでしょうか。「コントラ」というのは、やはり現在の中での精神の動きになるわけですよね。
内海 木村先生の時間論は、当初はハイデガーに依拠します。ハイデガーは未来を軸に据えました。先ぶれする予兆の見え隠れする時間です。未来というのはある意味、不可能性の次元に当たる。それに対してイントラ・フェストゥムは、垂直に不可能性が割り込んできます。例えばトラウマのように、現在において、経験不可能なものが無文脈的に切断してくる。
檜垣 そうするとコントラ・フェストゥムの時間には過去と未来というものがあまりなく、分断された今しかない。これが「希薄」ということの内実なのでしょうか。普通人間は、過去があって今があって未来があるという横の方向に時間を捉えています。ですが、PTSDやASDの症例においては、今という時間性こそ残るものの、未来や過去が遮蔽されてしまい、そこで何をしていいのかわからなくなる。
内海 我々が青年期に感じたような、戦慄する未来というものは希薄です。それが戦争なのか革命なのか明るい未来なのかはともかくとして、未来に何かが起こるという予兆や戦慄、そうしたものが青年からなくなっている。統合失調症の時代が終わりつつあることを実感させられます。
それを象徴する事例があります。統合失調症で入院している青年の例です。彼は「いじめが怖い」と訴えていました。一昔前の症例なら、この「いじめ」は彼の中の妄想的な恐れなのだろうと理解します。しかし彼が恐れているのは、現実のいじめだったのです。彼にとっては、統合失調症の超絶的な体験よりも現実のいじめの方が怖いのです。
檜垣 昔であれば、統合失調症は父や神といった超越者と接続する方向に向かっていたわけですが、今は卑近な対象に向かっている。もちろんそれは、卑近だからどうでもいいという意味ではない。ですが、世界の破壊のような超越的な体験への恐怖ではなく、身近な人間にどう思われるかをひどく気にするようになったということですね。
内海 私も大学生を長く診ていましたが、なんでそこまで気にしてしまうのか。本当に痛々しいほどです。
檜垣 今は昔の共同体や身分制社会に比べると、別の共同体に移動することが自由なはずですよね。なのになぜそうした近い関係性の問題が噴出しているのでしょう。
内海 やはり縦軸、つまり超越的な審級が衰弱したことでしょう。
檜垣 ラカンの言うような、得体のしれない大他者への恐怖ではなく、鏡の小他者への恐れが中心になっている。
内海 俗な解説になりますが、独裁的な指導者の姿を見れば、明らかだと思います。ブレジネフや金日成は本当に不気味だったし、はるか彼方の存在だった。それに比べればプーチンは俗っぽい。トランプもそうです。
檜垣 木村先生が生きていたら、こういう状況をどう論ずるのでしょう。「コントラ・フェストゥム」を認めるか。
内海 体質に合わないでしょうね。ニーチェやバタイユといった思想家に親和性の高い人でしたから。ちなみにこのあたりが、木村先生の思想がファシズムと親和的なのではないかと、つまらぬ誤解をされやすいところです。木村先生におけるゾーエー〔根源的生命。個別的生命=ビオスに対置される生命原理〕は、個体の死を含み込んでいます。イメージとしては、バッハオーフェンの母権社会や、ギリシア神話におけるディオニソス、日本神話に言うイザナミの腐乱した身体といったものです。あるいはヴァイツゼカーが「生命自体は決して死なない、死ぬのは個々の生きものだ」と語る時の「生命」にあたるものであり、ファシズムとは関係ありません。木村先生がコントラ・フェストゥムを語ると、いわば干上がった木村敏になってしまうでしょう。ある意味で幸せな時代を生きておられたということかもしれません。
内海 ここまで精神医学について話してきましたが、一方で私が気になるのは、哲学の側が木村敏をどう受け止めていくのかということです。晩年の木村先生は、「臨床哲学」という枠組みを打ち出され、自身のライフワークとして掲げられました。翻って、昨今の哲学はどこか足元がぐらついているところがあるのではないでしょうか。
檜垣 木村先生が臨床哲学を語り出すのは1990年代です。それと同時期に、脳科学者の養老孟司さんや現象学者の鷲田清一さんも、同じ語をスローガンに思索を展開してきた。養老さんは臨床哲学のシンポジウムを開きました。鷲田さんは、文学部倫理学科はもはやカントやヘーゲルを読んでいる場合ではないと言って、「ベッドサイドからの哲学」と称し現場に飛び込みます。大阪大学の村上靖彦さんのやっている質的現象学もそれに続くものです。
彼らが臨床哲学でやろうとしていたのは、理系の学問と哲学の交錯ではないでしょうか。理系の学問自身が哲学を欲していて、反対に哲学の側も理系の学問を組み込まねばならないと考えていた。
しかしそうした試みでは、哲学の側からすると、原理的な思索に軸足を据えるという本質の部分が揺らいできます。一方で、70年代や80年代、かつてニュー・アカデミズム以前の現代思想に浸ってきた世代は、単なる頭のよさで余技に哲学をやるのではなかった。理系の先生でも哲学書を読み込んでいたし、それは絶対に必要なことでした。木村先生もその世代です。理系の学問で数値を計測したりゲノムが解析できたりしたからといって、人間とは何なのかがわかるわけではないからです。本書でも頻出しますが、木村先生が西田幾多郎の哲学を求めたのはそういった事情なのではないでしょうか。
他方、それでは今哲学者が何をやっているのか。今一番勢力の強い分析系の科学哲学はそういう話には乗りませんよね。あるいはケアの倫理。大切だとは思うし、それで助かった人もいるでしょうが、哲学のパラダイムを急速にシフトさせるかといえば、そうは思えません。
内海 「臨床」とは、資格を持って、一定の社会的責任を負う中で行う営みです。「書を捨てよ町に出よう」だけではむずかしい。毎年開催されていた「臨床哲学シンポジウム」で、木村先生は最晩年になって「きれいごとでは済まないんですよ」ということを何度も強調されていた。暗に、一部のケアをめぐる風潮を批判されていたのだろうと思います。私個人としては、哲学は哲学として思惟をとことん突き詰めてくれればよいと思っています。哲学はまだ終わっていないはずです。
檜垣 哲学は今、アングロサクソン系の分析哲学が中心です。しかしネタに行き詰まり、最近は人生の意味の分析哲学だとか、サルトルを扱った実存論的分析哲学とかに手をのばしている。他方でドイツも新しい人が出てこない。ではフランスはと見ても、未だにデリダ、ドゥルーズ、フーコーが最前線です。
木村先生は晩年、ベルクソンやデリダ、ドゥルーズなど様々なところに材料を求めました。うまくいっている部分もあるし、必ずしもうまくいっていない部分もある。ですが一貫しているのは、哲学に対する大きな期待です。理系の視角から見ても、身体、生きているということ、精神の失調、といったことはうまく捉えられない。それを解明するのに、哲学の役割は本来まだ十分あると思います。
内海 生産性や社会貢献に直接寄与せずとも、「デクノボウの崇高さ」があってよいでしょう。
檜垣 ところで、昨年の学部ゼミで『分裂病の現象学』(ちくま学芸文庫)を講読したのですが、冒頭に木村敏の自伝的なまとめが収録されていました。気になったのは二点です。一つは、彼がドイツに二度目の渡航をした際、ブランケンブルクと知己になります。そこで木村先生はこう言うのです。ブランケンブルクの言っていることはすごく役に立つが、彼の精神病理学は現象論だ。つまり、病の現象以外をすべて捨象して、病が現れていること自身を追究している。それではだめで、成因論が重要なのではないか。そう語り、ブランケンブルクから離れていく。
二つ目は、木村先生の活躍当時、社会は政治の季節だったということです。反精神医学隆盛の当時、精神科医には非常に政治的な判断が求められていました。木村先生も、R・D・レインの反精神医学の本をドイツ語で読んでいた。木村先生は、レインの思想に心情的には共感していました。しかし、だからといって反精神医学が病気の原因を社会に求めたり、患者の閉じ込めを非難したりすること、これには乗ることができない。そう考えてもいたわけです。例えば、極端な言い方として「狂気も一種の多様性だ」といった言説が今も昔も存在します。しかし、患者が苦しんでいるということは明らかな事実である。苦しみから解放されたいと思っていることは確かなわけです。それを全部、社会が悪い、閉じ込めがいけないと決めつけて、どうにかなるとは思えないと書いている。そうした、成因論と社会とのつながりの問題があります。
内海 木村先生にとってブランケンブルクは確かに盟友のような存在でした。代表作『自明性の喪失』(みすず書房)を読めばわかるように、非常に精緻に議論が展開されています。当時の水準で言えばフッサールをあそこまで読み込んで、精神病理学に導入した人はいませんでした。でもどこか物足りない。では、木村先生のものをはじめ、私が心惹かれる精神病理学には、どのような臨床的効用があるか。それは、患者に対して良質な転移が起こることだと思います。
言い換えるなら、患者と関わるためのポイントが生まれる。患者のことが単に知的に理解できるというのではない。ましてや自分の知的関心を充足させることではありません。人と関わることに困難を抱いている人に対して、ポジティヴなつながりが見出せるようになる。それが木村先生の著作の魅力だと言えるでしょう。その点において、ブランケンブルクは物足りないかもしれません。
政治の問題については檜垣さんが指摘された通りです。当時の精神医療の運動家の中には、患者を権力に虐げられた人と見立て、それに事寄せて反体制運動を展開した人たちがいます。確かに統合失調症という病は、近代社会という特定の制度の中で起こります。しかし、それは現実の収奪とはまた別の問題です。全ての成員にあまねく降りかかる社会構造の中で、特定の人が病に罹患します。そして結果として収奪される対象になる。確かにそこに対しては、何らかのアクションを起こす必要がある。しかし、収奪されて患者になったと見るのでは、理屈がおかしいわけです。
檜垣 患者解放と反精神医学というキーワードからは、ガタリが想起されます。ですが、木村先生はガタリについて何も書いていません。ガタリはラ・ボルド病院でジャン・ウリと共に精神病院の「開放病棟」化を試みました。ラ・ボルドはパリから電車で2時間、そこからタクシーで30分走ったところにあるのですが、しかしそこは牛と馬しかいないようなところなわけです。現代日本でやったなら「田舎に閉じ込めている」とでも言われかねないような試みだと個人的には思います。
ウリはラ・ボルドで「制度的精神療法」を提唱し、実践しました。患者が自分で時間割を設計して、自分を管理する制度を作っていくものです。ガタリもそれに協力した。しかしながら重要なのは、それはあくまでも病院の中のことであって、病院自体をなくす方向は取らなかったことです。病院の中での権力闘争や経営者の糾弾はありましたが、病院という制度自体をどうこうするということはなかった。
内海 私は研修医の頃、赤レンガ陣営に属する人と民青系の人の両方が勤務している病院に勤めていました。政治的には両者は相容れない敵同士でしたが、病院の中ではそれほど仲が悪いということはなかった。臨床において対立することはない。そこには、容易ならぬ病を病んでいる患者さんがいるという厳然たる現実があるからです。「きれいごとでは済まない」という木村先生の言葉の裏面が現れているようにも思います。
檜垣 患者さんに向かうまなざしに関連して、木村理論は臨床像をどれほどカバーできていたのか気になっています。身体医学もそうですが、病因をきちんと同定できていないと正しく対処することができないわけです。木村先生の理論は精神疾患の鑑別診断にどれほどの力を持っていたのでしょう。
内海 木村先生は、医者としてオーソドックスでしっかりした人だったと思います。医療というのは、患者の実利を第一に考えます。そこを外す人ではない。ですが、それだけでは済まない部分もあります。人と人とが関わることであり、精神の病は一般に患う期間が長いからです。長い闘病の中で、回復をどうやって支えていくか。それ以前に患者とどのように出会うのか、どう関わるのか。こうしたことに関しては、通俗的な医学の視線だけでは足りません。
しかも回復というのが問題です。病気になる理屈というのは相対的にはわかりやすい。もちろん精神医学の場合、厳密に原因がわかっている病はほとんどありません。それでも回復の理屈を考える方がはるかに難しい。回復はどういう過程をたどるか。発病の逆ではない。全く別の理屈でことが動いている。そしてそこでは、ふとした偶然や幸運、あるいはささやかなことが、意外に大きな役割を果しています。ただ、そういったものを呼び込むためには〝支える力〟が必要になる。
木村先生の精神病理学は、患者さんをネタにして自分の趣味の哲学をやっているなどと言われることがあります。ですが、臨床家の立場から言わせてもらえば、それは本来〝楽屋裏話〟なのです。本番、つまりは臨床に、何かテイストのようなものとして役立てられる。ただ、臨床と関わるかぎり、楽屋裏話であっても真剣な議論です。とはいえ、楽屋裏しか見ていないと、「こんな臨床をやっているのか」「遊んでいるのではないか」と思う人もいるかもしれません。
檜垣 精神病理学の場合、回復ということはなかなか議論の中心に上がりづらいところがあるでしょう。発病を精神病理学が担い、回復を臨床が担っていると考えられますが、とりわけ木村先生の場合、臨床について記述を残さなかった。
内海 回復というのは、ある意味〝剰余〟として生まれてくるところがあります。それは良くなる理屈があって、それをたどれば回復する、というものではない。もちろん良くなるための布石を打つことはできるし、条件を整えることもできます。しかし、それ以上のことはなかなか人知の及び難いところがある。
ハンガリーの精神科医マイケル・バリントは、精神分析で言う三者関係、二者関係に並ぶものとして、一者の創造領域というものを提唱しました。三者関係は、所謂エディプス水準にある神経症の関係。二者関係は、境界例のような基底欠損の領域です。そして創造領域とは、まさに創造が営まれる過程ですが、その他にも、妊婦がお腹の中で胎児を育んでいる状態、あるいは病が癒える過程がそれに該当します。つまり、何かが育まれているが、そこで実際何が起こっているかは傍から測り知ることができないということです。このように、病の治癒には「こうすればこうなる」という理屈を立てにくいのです。何かが不意に到来していく、展開していく、そういったものが大きな契機になります。我々ができるのは、そのための良い条件を整えることなのです。
檜垣 さて、最後になりますが、精神医学はこれからどうなっていくと思いますか。木村的な人間学的精神病理学は退潮してしまっていますし、今の医師に政治性を求めても全く関心を持たないでしょう。
内海 このままいくと、精神科医の役割は限定されていくのではないかと思います。多職種間での共同が当たり前になっているし、流れとしてはそうなっていく。社会のあり方も精神疾患の病態も、そうした方向を向いていると思います。しかし臨床における責任主体であることには変わりありません。そのような中で、木村理論は未だ輝きを失っていません。こと患者を理解しつつ支えるという点において、木村先生の議論は一つの達成を示しています。人間理解に対する大いなる足跡を残した木村敏の著作が、今後も読み継がれることを願っています。(おわり)
★きむら・びん(一九三一―二〇二一)=精神病理学者。旧朝鮮生まれ。著書に『時間と自己』『自己・あいだ・時間』『偶然性の病理』『分裂病と他者』など。
★うつみ・たけし=東京藝術大学名誉教授・精神病理学。著書に『「分裂病」の消滅』『さまよえる自己』『金閣を焼かねばならぬ』など。一九五五年生。
★ひがき・たつや=専修大学教授・哲学。著書に『ベルクソンの哲学』『ドゥルーズ』『西田幾多郎の生命哲学』『生命と身体』など。一九六四年生。
書籍
書籍名 | 精神医学と哲学のあいだ 木村敏が考えたこと |
ISBN13 | 9784422118468 |
ISBN10 | 4422118463 |