向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?
向谷地 生良著/白石 正明=聞き手
末井 昭
向谷地生良さんは〈不思議な人〉だ。
大学在学中は、苦労をしたいからと親からの仕送りを断り、特別養護老人ホームに住み込んで働き、卒業すると北海道のうらぶれた町・浦河町にある浦河赤十字病院に、ソーシャルワーカーとして就職する。その病院の精神科を退院した統合失調症の人たちと、ネズミが這い回る教会の一室に住み、1984年に彼らと「べてるの家」を設立する。
向谷地さんは、何故にみんなが行きたがる方向とは真逆の方向に行くのだろうか。向谷地さんは「思いっきり、自分に苦労をさせたいからだ」と言う。不思議な人だ。
就職して5年目、酔っ払ったアルコール依存者の喧嘩の仲裁に入ってボコボコに殴られて、当事者と関わり過ぎるということで、精神科のチームから外され、患者との相談も禁止され、事務の窓際に異動になったとき、絶望感と行きづまり感とともに「これが人の心を病ませる噂の絶望という鉱脈かもしれない」という高揚感に襲われて、不思議なことに身体のなかから震えるようなワクワク感が込み上げてきたそうだ。そこで出てきた言葉が、「安心して絶望できる人生」だ。つくづく不思議な人だと思う。
この本は、「べてるの家」の本をたくさん作ってきた編集者の白石正明さんによる、向谷地さんのインタビューから始まっている。始まりのタイトルは「幻想妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?」だ。
昔の精神医療は、そのことをすごく警戒していた。患者の幻覚妄想が強化されてしまうと信じられていたからだ。ところが向谷地さんは、患者の幻想妄想にどんどん入っていく。
最初は、医師から「統合失調症のなれの果ての人です」と紹介された人の話だ。神様がテレパシーで、「新聞を読むな」など14の縛りによる罰をその人に下してくるというのだ。向谷地さんは14の縛りとはどういうものか具体的に聞いていく。そのなかに「女性の胸を見るな」という縛りが出てきたので、笑ってしまった(ちょっとだったらいいそうだ)。
なぜ神様の怒りを招いたのかと聞くと、3回女性に告白して3回とも振られたことが原因らしい。向谷地さんは、告白するなんて普通のことなのに、なんとも納得がいかないからと、神様に「○○さんの罪を許してください」と陳情書を書く。その陳情書に看護師さんや職員から署名をもらい、それを本人に渡したら、あっという間に14の縛りが7つに減って、突然外出するようになり、院内のプログラムにも参加するようになったそうだ。
次に出てくるのは、身体中にワイヤーが食い込んできてつらいという統合失調症の人だ。向谷地さんは、「ワイヤーって太さが色々あるんですけど、どれぐらいですか」と聞く。あくまでその幻覚をリアルなものとして聞いていくのだ。
5歳のときから山姥に見張られているという人も出てくる。換気扇が自分に話しかけてくるという人も出てくる。向谷地さんはそういう人の幻覚妄想にスルリと入っていく。いまや世界的に有名になった「当事者研究」は、そのスルリが元になっている。
24年前、統合失調症を抱えて「爆発」を繰り返している、河崎寛さんという人がいた。入院先から親に寿司やゲームソフトの差し入れを要求したら断られて、腹いせに病院の公衆電話を壊して落ち込んでいる河崎さんに、「一緒に〝河崎寛〟とのつきあい方と〝爆発〟の研究をしないか」と持ちかけたら、目を輝かせて「やりたいです!」と言ったのが「当事者研究」の始まりだった。
この本に特別寄稿している社会学者の大澤真幸さんは、「当事者研究」を言語学的見地から分析している。「当事者研究」に劇的な効果があるのは、〈知〉が〈当事者にとって〉〈真実〉でもあるからだということだ。この論考は面白い。
2歳違いの長兄・弘さん、次男の生良さん、10歳下の妹・加奈子さん、白石さんも加わって、向谷地さんの家族のこと、子ども時代のこと、中学生のころに教師から殴られてばかりいたことなど、〈不思議な人〉向谷地さんを知る手がかりになる座談会も貴重だ。(特別寄稿=大澤真幸)(すえい・あきら=エッセイスト)
★むかいやち・いくよし=「べてるの家」理事長・北海道医療大学名誉教授。著書に『技法以前』、共著に『安心して絶望できる人生』『当事者研究の研究』、「べてるの家」の書籍に『ベてるの家の「非」援助論』など。
書籍
書籍名 | 向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか? |
ISBN13 | 9784260061537 |
ISBN10 | 4260061534 |