2025/02/21号 5面

現代女性文学論

現代女性文学論 新・フェミニズム批評の会著 泉谷 瞬  これまで「明治」から「大正」、「昭和前期」、「昭和後期」と近代女性文学の軌跡を丹念にたどり直し、正典化された文学史へ常に異議を唱え続けてきた新・フェミニズム批評の会によるシリーズ最新論集である。  第一章「越境・攪乱するジェンダー/セクシュアリティ」は、笙野頼子『母の発達』において、〈母殺し〉を敢行した語り手のありように着目し、観念と実践が表裏一体したかのような相対化の効果を探る矢澤美佐紀氏の論から始まる。続いて藤木直実氏は、川上未映子『夏物語』を取り上げて、作品に示された具体的な生活や語りの実感の中より、形而上学的な問いからこぼれ落ちる生殖の権利と倫理の難問を導き出す。小川洋子の芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』の語り手に内在する感情を、素朴な意味での〈悪意〉とのみ受け止めることなく、そこにヤングケアラーとしての孤独を剔抉した溝部優実子氏の指摘には目を開かされた。西荘保氏は角田光代『八日目の蟬』を対象に、様々な女性たちの行動が積み重なりつつも現実的な制約と巧みに調整を図る物語の様相から、血縁だけに規定されない新たな〈母性〉のあり方を思考し、次の永井里佳氏は金原ひとみ『マザーズ』を手掛かりに、新自由主義が支配する社会において母親として生きることの辛苦を浮かび上がらせ、さらに自己を統御するという強迫的な論理が蔓延し、その代替となる論理的基盤の不在に現代の課題があると見抜いている。  第二章「変容する家族とケアの倫理」には、岩淵宏子氏による江國香織『きらきらひかる』論が最初に配置され、「結婚/性/生殖」という近代における家族制度を超えて、「ケアの絆」の可能性を示す物語として同作が位置づけられている。松浦理英子『最愛の子ども』に含まれる〈ファミリー〉像の両面(ユートピア/ディストピア)を読み解く近藤華子氏は、現実のシミュレーションが家族ごっこによって試みられることで、男性中心的な社会における醜悪な現実がかえって露呈されるというテクストの戦略を明らかにする。シングルとして生きる女性像を群ようこ『パンとスープとネコ日和』から考察する羅麗傑氏は、中庸に留まること(=「ほどほど」)の重要性を強調するが、これは端的にして新自由主義的価値観への率直な批判として機能するものだろう。また、超高齢社会を迎えた日本において、本書は中島京子『長いお別れ』(石田まり子氏の論)と若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(菊原昌子氏の論)を取り上げることで、前者では現実における家族内部の介護問題(主に性別役割分担)の困難を、後者では〈老い〉がもたらすネガティブな状態を想像力によって可変させる意義を照らし出してみせる。  そして第三章「紡がれる記憶/記憶の継承」は、そうした想像力の効用に関する独壇場と言ってもよい。上戸理恵氏は谷崎由依『遠の眠りの』で紡がれる〈虚構〉が現実と反転し織り込まれていくことで、〈虚構〉こそが現実を変容させる大きな契機になると論じ、山﨑眞紀子氏は須賀敦子「ふるえる手」を中心に、彼女の私淑したナタリア・ギンズブルグとの記憶や敬愛が卓抜な技術によっていかにして形象されたかを検討する。現実的な媒体ではおよそ実行不可能な「死の向こう側を描く」スタイルを柳美里『JR上野駅公園口』より見出す真野孝子氏は、作品に伏流する社会的・文化的トラウマへの服喪・追悼という観点から柳美里作品と「世界文学」との回路を設定する。本章の末尾に置かれた高山羽根子『首里の馬』(山田昭子氏の論)では、人類全体の〈記憶〉を引き継ぐ方法をSF的な想像力とも交差させながら模索する道筋が投げかけられており、記憶の継承が単純な記録の蓄積(=アーカイブ化)とは異なることを思い知らされる。記憶は死蔵させては駄目なのだ。  女性作家たちによる文学表現は小説のみに限らない。第四章「短歌・演劇表現から探る現代」で、高木桂子の短歌に女性を抑圧する社会構造への告発を察知する遠藤郁子氏は、高木の短歌に潜むその姿勢が東日本大震災という現在進行形の状況と結びつき、沈黙を強いられた個別の存在が対話・協同する可能性を抽出している。内野光子氏は、美智子皇后の短歌を安易に称揚する〈リベラル〉な評価軸が結果的に天皇制維持に加担することへの警戒を説き、有元伸子氏は、永井愛の戯曲「見よ、飛行機の高く飛べるを」に、女性同士が必ずしも繫がりきれない状況における保身や転向、あるいはリベラル的な立場の限界性を看破した。  これらの論考以外にも、今村夏子と森崎和江に関する研究ノート(但馬みほ氏、中村純氏)と二〇二〇年代の現在を俯瞰するためのコラムが複数収録されている。『明治女性文学論』の刊行が二〇〇七年であるから、本書が扱う「現代」の作家たちへ追いつくまでに二〇年弱を要したと言えるが、このことは、それだけの時間を必要とする厚みが「女性文学」の歴史に存在していることを物語っているだろう。現在の日本社会は、フェミニズム批評の成果が学術研究の枠を飛び越える形で多様な市民に共有されつつある一方で、素朴な誤解や反感に基づいた幼稚な「女性叩き」の言説も根強く流通しているという混迷した状況にある。本書が提示する明晰な理論的背景と、それら理論に回収しきれない微細な声や記憶へと向き合う作業、この二つを両立させることは、「現代」以後も引き続き求められている。(いずたに・しゅん=近畿大学准教授・日本近現代文学)  ★執筆者=秋池陽子、阿木津英、有元伸子、石田まり子、岩淵宏子、上戸理恵、内野光子、遠藤郁子、菊原昌子、北田幸恵、小林富久子、小林美恵子、近藤華子、佐川亜紀、但馬みほ、永井里佳、中村純、西荘保、藤木直実、松田秀子、真野孝子、溝部優実子、矢澤美佐紀、山﨑眞紀子、山田昭子、羅麗傑、渡辺みえこ

書籍

書籍名 現代女性文学論
ISBN13 9784877374860
ISBN10 4877374868