精神分析的ジェンダー論入門
北村 婦美著
鈴木 菜実子
ジェンダーへの関心が高まるたびに幾度となく、精神分析のジェンダー論は批判の対象とされてきた。論客たちは、精神分析によるジェンダー理解を、歴史的な誤謬として、偏見や差別の元凶として、男性中心社会の写し絵として語り、それを踏み台として自身の理論を展開してきた。本書は、そのように用いられてきた精神分析的ジェンダー論を、現代の臨床精神分析の観点から、具体的に語りおろす試みである。臨床精神分析の観点とは、ジェンダーとセクシュアリティにかかわる苦しみ、悩み、痛みを抱えた人たちに向き合っているそのときを念頭に置いている、ということである。著者は、セクシュアルマイノリティについては自身の臨床経験の不足を理由に取り上げることができなかったと述べているが、逆説的に言えば、本書で紹介されている種々の理論は著者の分析的臨床家として、医師としてのまなざしのもとにあることを意味している。
第一章は精神分析の祖、フロイトから語り起こされ、精神分析の主要概念であるエディプス・コンプレックス、ペニス羨望といったテクニカルタームの歴史的変遷を、フロイト個人の家族史、ユダヤ人としての文化的影響、時代背景を含みこんで概説され、コンパクトながら過不足がない。
第二章ではフロイトと、その革新的後継者の一人であるメラニー・クラインにとってペニスの有無が、精神分析と人間理解にどのような意味を持ったかが対比され、さらに女性心理学、フェミニズムと精神分析の接点であるミラー、ギリガンが紹介される。これらを前提とし、フロイト理論の中にあった心的両性性に光が当てられる。そして、人文科学の文脈からはそれほど関心が払われていないものの、臨床家にとっては極めて重要な英・米の精神分析家たち(ウィニコット、メルツァー、オグデンら)の心的両性性が概説される。
第三章で著者は精神分析的ジェンダー理論の最前線に私たちを連れ出す。ゴールドナー、ハリス、ディメンといった現代米国対人関係論者たちの理論や、ミッチェル、チョドロウ、ベンジャミンらフェミニスト精神分析家の理論を、それぞれを裏付けた臨床例を併記して解説している点は見逃せない。
第四章はここまでの展開を著者なりにまとめた章で、近年、特異的な注目を浴びているケアに関する理論の功罪にも目を配っている。最終的に著者なりの結論として描かれるのは、本書の表紙にも用いられているアルベール・ギョームのダンスの絵画のような複雑なダイナミクスである。それは、世界を親密さと緊張感をもった力の磁場(つまりは人間関係と情緒、性愛を含み込んだダイナミクスが張り巡らされた場)ととらえ、その影響の中を個々人が生きているという理解である。直接は言及していないがこうした描写の中に、二つのセックスには含まれえない様々なセクシュアリティを含み込む可能性を著者は織り込もうとしているのだろう。さらに、この章では第三章に続いて、ナンシー・チョドロウが社会学者からフェミニスト精神分析家となっていった変遷に触れることを通して、社会や環境、文化といった構造のもとに人間があることを認めながら、しかしその人だけの、世界を体験するありようという、よりパーソナルなジェンダー体験に光を当てる臨床家の姿を浮き彫りにしてもいる。
ここまでの部分がおおよそこの本の骨子であり、さらに第五章では、著者の手による邦訳があるジェシカ・ベンジャミンに依拠して、母性と女性性(受動性)、男性性(能動性)について論じたうえで、河合隼雄、北山修といった日本的母性論、女性論との接続を試みている。これらの臨床的な表れとして、最終章では著者の最新の訳書であるガリト・アトラスとベンジャミンを引きながら、性愛転移と母親転移の推移を描いている。
まさに精神分析的ジェンダー論の入門書であると同時に、臨床家がいかにジェンダーと切り結ぶかを提示しているという点で類書とは一線を画す一冊と言えるだろう。(すずき・なみこ=駒澤大学文学部准教授・精神分析・臨床心理学)
★きたむら・ふみ=精神科医・臨床心理士。京都大学医学部卒。現在、太子道診療所、東桐院心理療法オフィス勤務。
書籍
書籍名 | 精神分析的ジェンダー論入門 |
ISBN13 | 9784772421195 |
ISBN10 | 477242119X |