大豆生田啓友対談集 保育から世界が変わる
大豆生田 啓友著/木村 明子=聞き手
安部 芳絵
我が家の子どもたちが保育園児さんだった頃、地元を歩くとよく声をかけられた。保育園のお散歩で毎日のようにまちを歩いていた子どもたちは、お店屋さんや駅員さん、おまわりさんや地域のみなさんと顔なじみなのである。昼間は仕事で地元にいない私と地域社会をつなげてくれたのはまぎれもなく子どもたちであり、保育園だった。
青山学院幼稚園教諭などを経て玉川大学教授として乳幼児教育学や子育て支援を専門とする著者を、テレビで見たことがある人も多いだろう。本書は、こども基本法時代の子育て・子育ちを考える上で、押さえておくべき文献である。
こども基本法時代の子育て・子育ちは、国連子どもの権利条約抜きには考えられない。この条約は、子どもにとって一番いいことを、子どもに聴いて子どもと共に考え実施していく国同士の約束事である。2023年に施行されたこども基本法には、この条約が理念として組み込まれている。
著者は、こども家庭審議会とその部会である「幼児期までのこどもの育ち部会」の委員として、「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」策定を牽引した。「はじめの100か月」とは、妊娠中から小学校1年生までのおおよそ100か月を指す。人格の基盤ができるこの時期のウェルビーイング(幸せな状態)が、その後の長い人生の幸せにつながっていくという視点でつくられた。本ビジョンの根幹となる保育・幼児教育政策の歴史的経緯や意義、保育の豊かさや遊びの重要性が語られているのが本書である。
本書の第一の特徴は、平成から令和にかけての「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」策定の経緯とその裏側を垣間見る重要な史料であることだ。日本の保育・幼児教育界をリードしてきた渡邉英則・無藤隆・秋田喜代美との活き活きとした対談は、保育の過去と現在から未来を見据えるヒントとなる。第二は、哲学・経済学・現象学・認知発達科学・法学といったさまざまな領域の研究者と対談している点である。他領域の第一線の研究者である苫野一徳(哲学)・山口慎太郎(経済学)・明和政子(比較認知発達科学)・村上靖彦(現象学)・荒牧重人(法学)との対談からは、子どもをさまざまな角度から見ていくおもしろさがあり、保育の奥深さに気づかされる。いずれの対談にも通底するのは、子どもを客体として位置づけるのではなく、主体として捉えつつ子どもの声を聴くこと、保育を通して子どもから世界を見ることである。
ところで、「保育から世界が変わる」とは具体的には何を示すのか。著者は、子どもと保育者の日々の営みを「一見小さく見えるかもしれない」としつつ、「私たちは保育という営みを通して、社会問題に対峙している」と指摘する。「経済優先、効率優先、個人優先の社会は子どもが健全に育つことに困難さ」をもたらすものであるだけでなく、「私たち大人やその社会の健全さに闇をもたらす」ものでもある。だからこそ、「子どもの問題は私たちの社会全体の問題」であり、保育を考えることは、世界を変えることにもつながっていくのだ。
コロナ禍になされた対談ではあるが、災害等緊急時の保育について十分に検討されてはいないことは少し残念である。大人が他者と話をすることで経験を外在化し自分を取り戻していくのに対し、子どもは遊びを通して危機的状況から回復する。緊急時こそ、遊びを通した子ども同士・保育者とのかかわりが重要なのではないか。とはいえ、災害等への言及がないからと言って本書の価値が薄れるわけではない。
保育は、子どもの根っこを育てる営みである。私たち大人は、子どもに目に見える成果ばかりを要求する。大きいこと、早いこと、うまくできること、まちがわないこと。けれど、大きな木には同じくらい大きな根が必要である。小さくても、ゆっくりでも、うまくできなくて失敗しても、自分で考え誰かと共に何かにチャレンジする。そんな目に見えないところでしっかりと貼られた根こそが、子どもの人生を支え、親を励まし、社会を変える原動力となるのではないか。保育について誰かと語りたくなる一冊である。(あべ・よしえ=工学院大学教授・こども環境学・子どもの権利条約)
★おおまめうだ・ひろとも=玉川大学教育学部教授・乳幼児教育学・保育学・子育て支援。著書に『子どもが中心の「共主体」の保育へ』など。
(対談者=渡邉英則・無藤隆・苫野一徳・山口慎太郎・明和政子・村上靖彦・荒牧重人・秋田喜代美)
書籍
書籍名 | 保育から世界が変わる |