2025/04/18号 4面

「憲政常道」の近代日本

 待望の一冊というべきか。戦前日本の政党政治史研究の飛躍的発展に貢献してきた著者が、ついにその集大成ともいえる一般書を、「憲政常道」をテーマに上梓された。  本書は、著者の代表作である『政党内閣制の成立 一九一八~二七年』(有斐閣、二〇〇五年)、『政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年』(有斐閣、二〇一四年)の枠組みを踏襲しつつ、新出史料や最新の先行研究の知見を踏まえ、第一次世界大戦後から二・二六事件に至るいわゆる「戦間期」の政治の全体像を描き出している。著者の分析はきわめて歴史学的であり、同時代に生じた様々な事象や知識人の感覚を丁寧に紹介し、時代背景を押さえたうえで、戦前期政党内閣制の成立、展開、崩壊過程を実証的に説明することに成功している。  本書の論旨は、戦後歴史学における自省的歴史観を克服し、大正~昭和初期に芽生えた民主的体制(政党内閣制)を高く評価することにある。そのため、立憲政治である以上議会の意思により政権が推移することを当然とする考え方、いわゆる「憲政常道」がいかに近代日本の規範として根付いていたかを中心に歴史が描かれている。  こうした歴史叙述の弱点は、なぜ「憲政常道」が強固な規範であったにもかかわらず、わずか八年しか存続しえなかったのかを説明しにくい点にある。政党内閣制の崩壊に対し本書は、政党政治の「破壊」を目的とする度重なるテロが、「憲政常道」への復元力をなし崩し的に弱めていったという理解を示す。それゆえ、五・一五事件後の斎藤実内閣、岡田啓介内閣では「憲政常道」への復帰が前提とされていたことが強調され、二・二六事件のインパクトを重く捉えている。  以上の基本軸のなかで、特に注意が払われるのは元老・西園寺公望による首相選択である。明治憲法下の日本では多くの場合、元老という明治国家形成の功績から優遇された個人政治家によって首相が選ばれていた。そのため立憲政友会・憲政会(のちに立憲民政党)の二大政党が連続して政権を担当する「憲政常道」の慣例も、あくまで西園寺の判断に依拠する不安定な体制と考えられてきた。しかし本書を読めば、元老の判断は決して個人の独断に基づくものではなかったことに気づく。元老の判断は、社会的潮流から自由ではなかった。  こうした理解から本書では、「憲政常道」を求める社会的動きが、政党内閣制の成立過程において憲政会政権排除にこだわる西園寺を変心に導いたことが動的に描かれる。その一方で、政党内閣制の中断を決定する斎藤実内閣という西園寺の選択については、その背後に存在した社会的政党批判の叙述がやや平面的に感じられた。戦前期の民主化を評価する本書の問題意識は理解できるものの、「憲政常道」の規範自体が動揺するメカニズムについての説明が少ない印象を受ける。政党内閣制崩壊については、選挙で圧倒的支持を獲得していたはずの二大政党が、言論空間においては相当な劣勢に立たされていたことが重要となる。政党内閣制が内部に抱えた弱点や矛盾について、より踏み込んだ説明が欲しかったところである。  この点と関連して興味深い指摘がある。政権担当能力のある政党を複数獲得したことで、元老西園寺が「憲政常道」を意識的に実現していったことは、著者の功績もあり通説的理解になりつつある。それとともに本書では、基本的に天皇や元老、宮中官僚を政治の枠外に置くことで、政党内閣による責任政治の実現に努めていたことも示される。この点は従来から指摘されるところだが、あらためて天皇権力の制限と「憲政常道」がセットだったことは重要だろう。しかし西園寺は、「憲政常道」の一時的中断は容認したものの、日本の国際連盟脱退という外交上の最重要意思決定局面においてさえも、重臣会議構想や元老の介入などの手段を徹底的に否定していく。閣僚すらもこの方法による脱退阻止を期待していたにもかかわらず、である。満洲事変も同様であるが、この結果が日本における政党政治否認、反英米の潮流を加速させたことは間違いない。西園寺が国際協調主義と政党内閣制をセットで認識していたことに鑑みれば、天皇権力が陸軍や右翼の怨府となることに対する、西園寺のより強い危機感が浮かび上がってくる。それは、なぜ西園寺が「憲政常道」を積極的に受け入れたのかという問題にもかかわるだろう。  そう考えたとき、権力分立体制のもとの天皇無答責という、近代天皇制のタテマエが政党内閣の復元阻止に働いた側面もまた大きいのではないだろうか。こうした点は著者からすればすでに前提となっているのかもしれないが、本書が一般向けに書かれた政党内閣全史的位置づけである以上、明治憲法体制とのかかわりについても踏み込んだ叙述が欲しかったところである。  やや評者の関心に惹きつけすぎてしまったが、読者のご海容を乞いたい。男子普選一〇〇年を迎える本年に、本書が上梓されたことの意味は大きい。本書が広範な読者を惹きつけ、戦前期政党政治史に対する世間的関心が高まっていくことを期待したい。(そごう・かずたか=北海学園大学法学部准教授、日本政治史(近現代史))  ★むらい・りょうた=駒澤大学教授・日本政治史(近現代史)。著書に『政党内閣制の成立 一九一八~二七年』『政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年』など。一九七二年生。

書籍

書籍名 「憲政常道」の近代日本
ISBN13 9784140912928
ISBN10 4140912928