2025/08/29号 6面

働きたいのに働けない私たち

働きたいのに働けない私たち チェ・ソンウン著 北條 一浩  「働きたいのに働けない」人がいる社会には、その背景として「特に働きたいわけではないが、働ける環境にあるし、生活には金も必要だからまあ働くことにする」とでもいった人がいるはずだ。前者は相当に多くの女性たち、後者は少なくない数の男性たちがそれに該当するだろう。つまり、女性であるというだけで働く機会を奪われるいっぽうで、男性であるというだけで優遇され、優遇されている人間がそれを優遇だと気付くことはほとんどない、という不毛な真実が再確認されるばかりの、相変わらずの男性優位社会について書かれたのが本書である。  とはいえ本書は、近年だいぶ知られるようになってきた女性差別の問題をただ追認するような内容ではない。本書の強力な柱は少なくとも3つある。まず著者が、女性や子ども、少子化などについて徹底的に調査し、実際に政策立案に携わるプロの研究者であること。次いで著者自身、子育てと仕事を両立させているワーキング・マザーであり、子育ても仕事も夢もあきらめたくないというあたりまえの希望を実現できず、何度も絶望の淵に立たされてきたこと。そして3つめとして本書には具体的な法律の名前や、先行する研究からの引用、さらに労働、賃金、出生率などの最新データがおびただしい数引用されており、有無を言わせぬ完璧なファクトチェックが全体を貫通していることである。  いつ頃どんな法律が施行され、それによって何がどう変わったのか。実際の労働の現場、就職率はどうなのか。これらは有無を言わせぬ数字として明らかにされ、そうした数字が次々に現れるから、「いや、そうは言っても5年前、10年前と比べたらフェミニズムも浸透してきたことだし、差別を受ける女性が主人公の『82年生まれ、キム・ジヨン』があれだけの大ベストセラーになったことだし、かなり男女平等になっているでしょ」といった、漠然とした男性読者の認識=願望は簡単に覆される。  事実、恥を忍んで書くことにするが、本書に頻出する「高学歴女性」という言葉が現れるたび、私はうっすらと不快感のようなものを憶えていた。これは高学歴の女性ほど離職率が高いという事実について考察したものだが、私は浅はかにもなんとなく著者のエリート意識のような匂いを、実際に嗅いだのではなく、嗅ごうとしていたふしがある。そして私は翻訳者の小山内園子さんによる「訳者あとがき」の中で「学会の基準によれば、「高学歴」とは短大卒業以上の学歴を指し、女性の大学進学率が七割を超える韓国では、現在社会生活を営んでいる女性のほとんどが高学歴女性となる」とあるのを読んで、一気に顔が熱くなるのを感じる羽目になった……。  書物としての構成の妙にもぜひ触れておきたい。この本には、150ページほどの中に、著者の本文、韓国で原書が出てから6年の歳月を経て(小学1年生だった著者の娘さんは中学1年生になった)、「日本の「働けない女たち」へ」と題された補論、東京大学多様性包摂共創センターDEI共創推進戦略室副室長・中野円佳氏による解説、翻訳者・小山内園子さんの訳者あとがき、さらには「ブックガイド――「女が働くこと」を考える」として10冊の本が紹介されている。これらによって読者は韓国と日本との違いと共通点の双方を学ぶことができるはずだ。  そして驚いたことに、本文に対する多数の注釈には2種類あり、著者による注釈が★、訳者によるそれが☆とわざわざ区別しており、読者へのこの配慮にはうなるばかりだった。  シリアスな内容で、男性読者には痛みを伴うはずだが、それでも著者ばかりでなく、引用も含め、解説、訳文と、さまざまな言葉のミルフィーユとして差し出された本だと思う。私が特にハッとしたのは、原題が『働けない女たち』であるのに対し、日本語訳の本書では『働きたいのに働けない女たち』となっていることだ。ここには、原著に出会い「働けないとはどういうことか?」を読んで理解し、これをなんとしても日本に紹介したいと考えた訳者の意志が込められている。実際、『働けない女たち』と『働きたいのに働けない女たち』では初見の印象はかなり異なるだろう。  関わった人々の熱量を真摯に受け止めなければならない貴重な一冊である。(小山内園子訳)(ほうじょう・かずひろ=ライター・編集者)  ★チェ・ソンウン=大田世宗研究院世宗研究室の責任研究委員・行政学。世宗特別自治市の女性、子ども、少子化政策の課題を研究。淑明女子大、延世大、明知大などで教鞭をとる。

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