2025/03/07号 4面

民主と独裁の相克

民主と独裁の相克 岩谷 將著 若松 大祐  著者岩谷によると、「本書は、中国国民党が唱導し、一九二八年から導入された「訓政」と呼ばれる国家統治モデル(段階)の分析を通じて、中国における党主導による民主化と国民国家建設が、なぜ、またいかにして挫折を余儀なくされたのかを究明するものである」(一頁)。こうした問いに対し、本書はつぎのように答える。すなわち、中国国民党は「内外の敵対勢力が依然として存在する状況のもとで、党外において地方自治を推し進め、党内においては合議と党内民主を維持しようとした(…中略…)」(二五九頁)から、国民党における個人独裁、あるいは管理的な統治体制へ志向した(二五九頁)。つまり、革命政党主導の民主化と国民国家建設は挫折したのである。  政治の世界において、近代という時代の特徴は、国家権力と諸個人が直接つながることであろう。国家は国民一人一人を統治し、国民一人一人は国家の運営に参与する。中国において、国家と個人とは、とりわけ国家と農民(基層社会の構成員であり、人口の大部分を占める人々)とは、長らく没交渉であった。二一世紀の現在もなお両者(国家と農民)の直接的なつながりが希薄である、と指摘する識者がいるほどである。中国国民党は一九二〇年代後半に訓政(の実現)というスローガンを掲げ、両者をつなげるべく取り組んだのである。  中国国民党のリーダーであった孫文(一八六六―一九二五)は、中国が「三序」(三つの段階)を経て民主主義を実現する、と唱えた。すなわち、まずは「軍政」(革命政党が軍事力を使って国民を統治する)、続いて「訓政」(先知先覚の革命政党が国民を指導して統治する)を経て、そして「憲政」(憲法に基づき国民が国家を運営する)を実現すると唱えた。新たなリーダーとなった蔣介石(一八八七―一九七五)が一九二八年八月に訓政を始め、そして、一九四七年に中華民国憲法を公布し施行して憲政を始めた。訓政とは、民主主義実現のための過渡期の国家統治モデルなのである。  本書は、訓政の挫折を次のように説明する。序論では本書の議論の内容を予告する。第一章は社会構造を扱う。訓政が実施される中国社会の特徴を明らかにする。第二章は理念を扱う。訓政という理念の内容を示すとともに、理念が現実に直面して引き起こした諸問題を明らかにする。こうした諸問題を第三章から第六章で検討する。第三章は党組織を扱う。中国国民党という党組織が散漫かつ機能不全に陥った原因を探る。第四章は地方政治を扱う。あえて地方軍事指導者(いわゆる軍閥)の影響力の強い地域を事例にして、中国国民党による訓政推進の実態を描く。第五章は政策決定を扱う。複数の指導者ごとによる訓政実施の内容の異なりを踏まえ、訓政という理念の変容を指摘する。第六章は体制(構造、機制)を扱う。そもそも政策決定の行われる構造に注目する。第七章は、戦時における訓政体制の展開と変容を検討する。訓政体制の帰結を論じる。結論では、なぜ訓政が独裁と非民主的な統治制度に帰結したのか、という問いに答える。  以上の概括からわかるように、本書はいくつかの論点にわけて訓政を議論しており、(第七章を除き)時系列的に議論するものではない。そして、記述的であり、規範的ではない。いわば、本書は一九二〇年代後半から一九四〇年代前半までの中国における民主主義の姿を、複数のキーワードから具体的に描く政治学の専門書である。著者岩谷は、事実上の一党独裁という共通点に基づき、一九四九年に中国共産党の建てる中華人民共和国の統治との比較を念頭に置いて、訓政期の中華民国の統治を論じている。  一九七八年末に中国で改革開放が始まる。歴史研究の世界でも、従来の階級闘争史観や発展段階論や中国共産党史とは異なる中国近代史研究が始まる。一九九〇年代には、民国史研究や中国国民党史研究が特に日本や台湾の学界で盛んになる。二〇〇〇年代になると、中国国民党の主導した時代(一九二〇年代後半から一九四九年まで)の中国基層社会に、中国の研究者が関心を及ぼす。本書は、こうした学界の機運の中で著者岩谷の書き上げた博士論文(二〇〇八年、慶應義塾大学)が基となっている。かつて中国国民党が一九四九年に中国大陸から台湾へ移転する際に帯同した行政文書(檔案)は、中央政治に関するものが多く、地方政治に関するものは中国大陸に残したままだった。著者岩谷は台湾のみならず中国大陸の檔案や刊行史料を駆使し、中央政治と地方政治の連動を描く。そうした著者の研究スタイルは、とりわけ本書第四章「地方政治」に現れている。そこで、著者には二〇二四年に改めて南京国民政府時期の中国基層社会を論じる意義について、説明してほしかった。  そもそも著者の想定する内容と中国国民党の掲げた内容とに、どうやらズレがある。中国国民党による訓政の実施を挫折(または蹉跌)というふうに、著者は評価する。しかし、中国国民党自身は、訓政の実施を挫折というふうに公式に評価していない。一定の成果を挙げたから、訓政を完了し、一九四七年に憲政を実施したのである。だからこそ、民主主義とはいったい何なのか。本書は民主主義の意味を定義し、内容を明示すべきだった。(わかまつ・だいすけ=常葉大学准教授・現代台湾地域研究・中国近代思想史)  ★いわたに・のぶ=北海道大学大学院教授・日中戦争史・中国政治史。著書に『盧溝橋事件から日中戦争へ』など。

書籍

書籍名 民主と独裁の相克
ISBN13 9784805113288
ISBN10 4805113286