日常の向こう側僕の内側 No.695
横尾忠則
2025.6.9 午前中、首とコロナ後遺症を押して制作。
午後、妻、徳永と世田谷美術館へ。今日の休館日を利用して行く。妻は車椅子で楽ちん。身内の者だけの創作の秘密が理解度を高めたのか、来週も来たいという。自己暴露をすることはこちらも解放されて自由になれる。
2025.6.10 〈郷里の山奥の学校からもし講演を依頼されたら、朝から出掛けて、夜に大阪のホテルに入って、翌日帰京できるので、引き受けてもいいかなと、最もにが手な講演の依頼について妄想する〉という夢を見る。
GUCCIのダニエレ・ジート社長と佐藤さん来訪。今後のGUCCIとのコラボについての確認など。
午後、小林整形外科へ首のマッサージに。効いているのか効いていないのかよくわからない。
2025.6.11 〈女性に肘鉄を食わされた男性が首吊自殺をするというアニメーションを作る〉という夢を見る。
〈堤清二夫人を軽井沢に訪ねる。目下詩吟に凝っているとおっしゃる〉夢を見る。
首が痛いというより、重いのである。まるで頭が岩のようになって、それを支える首が耐えられなくなっているという感覚かな。
お笑いを世界に拡げたいというプロジェクトの海外向けの「OWARAI」のポスターの依頼に中京テレビ放送の人達来訪。展覧会の制作が一段落して、手持ち無沙汰になると同時にポスターの依頼が7件もある。どうしてぼくが暇になったことがわかるのかな。天上にぼくの担当プロデューサーでもいるのかな。
2025.6.12 アトリエの向いの建物がリニューアルしてカラフルになったかと思ったら、大きい赤と緑の国旗が掲揚された。なんでも世界一貧しい国の大使館ができたようだ。そういうとこの間から黒人が出入りしてガーデニングをしていた。
すでに4月にオープニングしたGUCCIでの「未完の自画像」展をコロナになったために見ていないので、今日、やっと妻と娘と徳永と観に行く。キュレイターの南さんも来館してくれていて、実に展示が素晴らしい。人ごとのようだが、いい展覧会だ。
このあと、上野の東京国立博物館の「蔦屋重三郎」展を観に行く。文化財活用センター企画担当課長の松嶋さんに、一点一点解説してもらう。いい勉強になりました。表慶館での「浮世絵現代」展も観る。自分の木版画も出品されているが、なんだか知らない作家の作品が大量に展示されているが、怪奇趣味的な作品ばかりで、気持悪くなる。
インドのアーメダバードで旅客機墜落事故。アーメダバードには2度ばかり滞在し、一度は妻と長期滞在して現地のアーティストとコラボなどもする。
2025.6.13 〈絞首刑を執行されることになって刑場に引っ張り出された。床が四角に切り取られた場所に座らされて、首に縄がかけられ、一気に床をはずされる。するとストーンと下に落ちる仕掛けらしい。だけど一向に床が落ちない。いつ落ちるか不安の時間の中で死を待つ。何も起こらないので一端休憩を取ってもらう。二度目も中々落ちない〉。そんな恐怖の夢は首の激痛に関係があるのかな。
2025.6.14 はっきりしない躰ははっきりしない天気同様、何もかもを灰色一色に染めてしまう。そんな灰色の世界に消えてしまった野良の黒兵衛(特定の名がないが、妻はおお黒と呼ぶ)の喪失感も灰色。
2025.6.15 毎日のように絵を描いているが最終的には手元に一点も残らないと思う。一生描きためた絵が、生涯が終るようにどこかに消えてしまう。正に裸一貫で生まれて、裸一貫でバラバラになって遺骨のように消えていく。実に無情である。妻子を振り切って出家するようなものだ。(よこお・ただのり=美術家)