2025/07/11号 3面

〈いのち〉をケアする医療

加藤眞三著『〈いのち〉をケアする医療』(柏﨑郁子)
〈いのち〉をケアする医療 加藤 眞三著 柏﨑 郁子  本書は、「患者学」の実践的な手引きであり、同時に医療者に倫理的指針を与える書である。著者は2004年、2014年にも患者学をテーマに著作を重ねており、医療の中心に患者を据えるという理念を一貫して追求してきた。  第一部では、医療がかつての父権的な形態から患者中心の医療へと変遷してきた歴史的背景を踏まえ、患者が医療情報を理解し、医師や病院を選び、薬を正しく服用することなど、実践的な知見が平易に解説される。さらに、医師という職業の歴史的変遷や現代医療の限界についても触れられ、医療者への信頼と疑念が混在する中で、患者自身が主体的に医療にかかわる重要性が強調される。患者の医療者に対する態度を五つに分類し、特に「患者が医療者を育てる」という視点が理想像として提示されている点は特徴的である。  第二部では、患者と医療者のパートナーシップ形成の必要性が説かれる。生活習慣病を例に、従来のコンプライアンスから、患者の主体的な行動変容を尊重するアドヒアランス、さらに話し合いと合意のコンコーダンスへと、関係の深化が示される。患者や市民が医療の質や方針に参与する時代が訪れており、AI技術の発達により、医療相談が医療の手を離れていく未来が展望される。  そして、本書の核心に位置するのが「全人的医療」の提唱である。これは病気そのものだけでなく、人間全体――その精神、価値観、魂の願いまで――も含めてケアする医療を指す。その考察の基礎として、著者はヴィクトール・E・フランクルの「人生(Leben)」の概念を援用し、〈いのち〉の意味を再考する。  さらに著者は、フレデリック・ラルーの「ティール組織」の概念を医療に当てはめて、斬新だが説得的な論をすすめる。ここでは、〈いのち〉の呼びかけ(calling)に応じること(responsi-bility)を医療職の役割と捉えるだけでなく、患者自身が「ソース」として自律的に医療にかかわることも重視している。評者は、フローレンス・ナイチンゲールが看護の使命について“calling”と書いたことを想起した。ナイチンゲールは、医療者が耳を傾けるべきは「自然(Nature)」であると述べたのであり、それは本書における〈いのち〉概念に近似する。ただし、「時代」や患者の自律性のなかにも“calling”を認識することには陥穽もあるのではないだろうか。  というのも、医療が病気の器官しか見ないことを批判するなら、「全身的医療」を提唱すれば済むはずなのに、スピリチュアルな側面が強調されるのはなぜか、と思われるからである。教科書的にも、非人道的な医学研究が行われた歴史や「患者の権利」認識を経てそうした包括的医療が求められてきたのだといわれるし、実際そうなのだろう。しかしその反面、〈いのち〉の広がりを患者の自律性ということに還元する傾向や、医学の貢献や身体の物質的実在を後景化するような「全人的医療」という言葉の用いられ方に対する批判的視点も、医療の外側でこそ先鋭化してきている。  その意味で、「全人的医療」の理想が語られるときには終末期医療の位置に注目すべきである。終末期医療は治療の限界が明確な状況において、患者の苦痛を和らげ、尊厳ある死を支える医療とされ、その存在が「全人的医療」概念の拡大に大きく寄与しているからである。治療的介入をより少なくすることが社会的に受容され、健全に差し控えられる医療の理想像として、「全人的」終末期医療の重要性が強調されてきたのである。  その一方で、医療者だけでなく患者自身も、〈いのち〉の呼びかけに真剣に耳を傾けるなら、生きようとする「自然」の努力を思い知ることになるはずである。医師にとってそれはあまりに自明のことであるから、あえて明言する必要がなかったのかもしれない。そうであれば、理論と実践、倫理と理念が交錯する本書の内容は、理知的な患者たちに希望と示唆を与えるだろう。(かしわざき・いくこ=東京女子医科大学看護学部准教授・基礎看護学・生命倫理学)  ★かとう・しんぞう=慶應義塾大学名誉教授・医学。著書に『患者の生き方』『肝臓病教室のすすめ』など。一九五六年生。

書籍

書籍名 〈いのち〉をケアする医療
ISBN13 9784393710883
ISBN10 4393710886