装束と武具の有職故実
近藤 好和著
谷口 雄太
源頼朝や足利尊氏の顔といえば、肖像画に描かれた「例の顔」を思い浮かべるかもしれない。だが、前者については足利直義説が、後者については高師直説などが唱えられたことで、像主は不明瞭となってしまい、現在では伝源頼朝像・伝足利尊氏像(騎馬武者像)とされるにいたった。
このように、絵画を子細に眺めると思いがけない発見につながることがある。しかし、それはそう簡単な作業ではない。そこで、本書である。有職故実に精通した著者が、肖像画に描かれた装束や武具の見方・読み解き方を丁寧に教えてくれるのだ。まことにありがたい一冊といえよう。
本書では、九点の肖像画が示される。具体的には、俗体像として嵯峨天皇像・伝源頼朝像・後醍醐天皇像・後鳥羽上皇像・金沢貞顕像の五点、法体像として後水尾法皇像・花園法皇像の二点、そして、武装像として伝足利尊氏像・細川澄元像の二点である。伝源頼朝像も金沢貞顕像も公家装束姿で、いずれも高貴な身分の男性ばかりであり、製作年代は中世のものが中心となっている。
内容は事典の如く精緻を極め、図版も多数。本来「甲」は「よろい」、「冑」は「かぶと」と読むが、混乱が生じ対応関係が逆転することもあるなど(一五三~四頁)、貴重な指摘は数限りない。
そうしたなかで、やはり気になるのは、伝源頼朝像と伝足利尊氏像についての著者の見解だ。
著者は、「像主の問題は、本書の意図するところではないので、深く踏み込むつもりはない」と慎重に断りつつも、「しかし、神護寺三画像に関しては、像主と装束の関係について第二章で若干ふれるつもりである」としているので(七頁)、第二章の当該箇所を見てみたい(八九~九八頁)。
伝源頼朝像で注目されるのは、「毛抜型太刀」を佩帯する武官であることだ。これを前提にして、源頼朝(旧説)と足利直義(新説)の年齢・身分などを検討していくと、いかなる結果が出たか。
以下のように著者は述べる。源頼朝の場合、「身分相応とまではいえないが首肯できる」。これに対して、足利直義の場合、「身分相応」。このように見ると、新説のほうが優勢に映るであろう。
しかし、伝源頼朝像は「神護寺三画像」の一つであり、旧説だと源頼朝・平重盛・藤原光能、新説だと足利直義・足利尊氏・足利義詮がセットとなる。これで見た場合、前者は平重盛が身分不相応、藤原光能が身分相応、他方、後者は足利尊氏が身分不相応、足利義詮が身分相応となる。
つまり、「旧説・新説それぞれに問題が残る」との結論を著者は導き出しているのである。もちろん著者は、「ただし、あえていえば」と、他の可能性も残していて、さらなる検証が期待される。
この他、像主の向き(左向きか、右向きか)や製作年代(中世前期か、中世後期か)についても追究し、旧説・新説いずれであっても必ずしもおかしくはないことを指摘していて留意される。
では、伝足利尊氏像(騎馬武者像)はどうか。こちらについては、足利尊氏であれ、高師直らであれ、製作年代・像主ともに南北朝期とされていて、武装姿の検討からも同時期でよいという。
要するに、現状ではもはやこれ以上、像主解明に向けての手がかりはなかなかなさそうである。
いずれにしても、像主の特定は本書の眼目ではない。評者のような素人には気になるものの、著者が、「極論すれば、肖像画を装束や武具・武装の資料とする場合、製作年代は重要だが、像主名は、身分的に重要な場合もあるものの、多くはただの記号にすぎない」と断言しているのは一つの見識である(九八頁)。有職故実の奥深い世界に慣れ親しむことこそ、本書の肝といえよう。
最後に、些事だが一つだけ。巻末の「主要参考文献一覧」は膨大で配慮が行き届いているが、そこにウェブ関係としてウィキペディアが掲載されているのは違和感を禁じえなかった。匿名で無責任な記述は、「学術若くは事実考究の道に非ず」。近代歴史学の創設者の一人・星野恒の言葉だが、ネットやSNS、AIが全盛期を迎え、著作権・人格権も問われるいま、改めて嚙み締めたい。(たにぐち・ゆうた=青山学院大学准教授・日本中世史)
★こんどう・よしかず=元神奈川大学大学院特任教授・日本中世史。著書に『弓矢と刀剣』『天皇の装束』など。一九五七年生。
書籍
書籍名 | 装束と武具の有職故実 |
ISBN13 | 9784642048026 |
ISBN10 | 4642048022 |