文芸 7月 山田昭子
顕微鏡、双眼鏡、そしてスマートフォンのカメラ機能。身体に密着するものでいえば眼鏡やコンタクトレンズも含まれるだろう。私たちは日常の中でさまざまなレンズを用いているが、レンズは時に思いもよらないような世界を写し出すことがある。
『新潮』の新連載、村田喜代子「その後の桜」はレンズを通して見た世界に魅せられた「わたし」の物語だ。夫の一周忌を済ませた「わたし」は、同級生のフジイ君にあてたメールで近況を語る。夫の遺品の双眼鏡で自宅の洗面所の窓から向かいの谷に咲く桜を眺めることに興味を抱いた「わたし」は、「レンズでこの世を覗いてみたい」と、フジイ君からカール・ツァイスの10×42を借り受け、二つの双眼鏡で世界を見比べる。双眼鏡で覗く世界は、手に届きそうなほどに対象物を身近に引き寄せるが、決して触ることはできない。レンズに映し出される「ここ」ではない「あそこ」は、「今は戻れない時空」であり、その実感は自身の過去、そして亡夫への思いに重なっていく。レンズを通して見た世界の美しさに魅せられた「わたし」は、これまでの自身の来し方もまた、記憶という脳のレンズに映し出されてきたことを思う。「わたし」が眺めていた桜もやがて過去になるが、桜が散ったあと、「わたし」が新たにレンズに写すものは何なのか。双眼鏡を通して世界を楽しもうとする「わたし」の姿に新たな希望を予期させる作品だ。
私たちは、写真は撮影者の視点をそのまま映し出すものだと思っている。だが、世界を正確に写し取る写真は時にこちらが予期しなかったものまで切り取ることもある。今号の『すばる』は「特集 戦争を書く」と題し、六編の短編が収載されており、清水裕貴「光の味を知るものたち」は、原爆投下当日の広島市を撮影した元中国新聞社カメラマンである松重美人がかつて所有していたカメラ、マミヤシックスの視点で描く。
知覚を持たないカメラは、時に残酷なまでに人間がとらえきれない細部や事実を写し取ってしまう。だが、現像された写真は撮影者の「見た」世界であると見なされてしまうことが分かっているからこそ、人はシャッターを切ることに慎重にもなる。五枚の写真を残したことで、あの日の広島の街を目撃した者の責務を負うことになった松重と、それを傍で「見て」いたマミヤシックス。相容れない有機物と無機物という存在が、「記憶」という共通の体験によって結びつく。戦後八〇年経った今、マミヤシックスが自身に問う「自分が何をしたのか」という問いかけは、松重亡きあと、我々すべての人間に投げかけられた問いである。
角田光代「いつかの私の子」(『文學界』)に登場する美容系ライターの向坂円佳は五〇代独身である。「自由」を獲得するために独立を選び、社会を戦い抜いてきたが、一方で自身の老いを感じ、「終わった」存在であると思うことも増えた。同世代の女性につい目が向いてしまう円佳は、年齢を重ねるにつれ、女たちが子連れになり、その子が成長していくさまを見るにつけ、自分の隣に「架空の子ども」の存在を感じるようになる。かつての同僚だった時子と飲んだ円佳は、立ち寄った店で男が頻りに女を家に誘おうと口説いているのを見る。あの男女は、かつて奮闘してきた二〇代の時の自分や時子が作った子どもではないか、と思った円佳は女に「あんな男についていっちゃだめよ」と忠告するが、「おばさんのうざがらみ」と処理されてしまう。若者たちと別れた円佳は、私が「終わった」のではなく、「今」が過去になっただけなのだと思う。彼らもまた、過去となってしまう「今」に追いつかれないように走り続ける存在なのだ。「私はつねに終わり続ける」存在なのだと捉え直すこと、それは前に進むしかない円佳にとっての原動力となる。
長野まゆみ「月の船、星の林」(『群像』)は「ルカとチカ」シリーズの完結編だ。タイトルは万葉集の歌にちなんでおり、作中では、漢詩には月を船に見立てる発想がなかったことから、「月船」が和人の造語であった可能性が指摘されている。和と漢の交わりが万葉集にもたらした新たな世界は、人と人の出会いが複雑に絡み合い互いの世界を広げていく本作の世界観にも通じている。
「ルカチカ姉妹」としてクラフト系のイベントに出店しているルカとチカは、女性でないばかりか血のつながりもない。幼少期に養子となったチカは実父母のことを知らないまま育ったが、人々との出会いを通して実母の過去を知り、実父との再会を果たす。本作における女装や男装はルカ、チカ、ルカの仕事上の知り合いである一実にとってそれぞれ「擬態」、「扮装」、「隠蔽」として表現されるが、本作における性別は彼らを縛るものではない。他者からもたらされる情報を選別し、時に「聞かない」ことで遮断しているチカの行為は終始変わらないが、無関心なのではなく、それはむしろ血縁や変えようのない過去に捉われることからの「解放」であるといえよう。(やまだ・あきこ=専修大学非常勤講師・日本近現代文学)