いつもおなじ雪といつもおなじおじさん
ヘルタ・ミュラー著
斎藤 佑史
チャウシェスクと言えば、一九八九年十二月、東欧革命の最後に民主化暴動で倒されたルーマニアの独裁的大統領であるが、処刑後の夫妻のテレビ画像が今も生々しく記憶に残っている人々も多いであろう。本書はその政権下、ドイツ系少数民族の生まれで、二〇〇九年ノーベル文学賞を受けたヘルタ・ミュラーのエッセイ集である。本書は十八篇の小品からなり、各種の講演が多いのも一つの特徴である。評者にまず目についたのは、ストックホルム市庁舎で行ったノーベル文学賞受賞テーブルスピーチである。短いながらこのスピーチには、受賞に至るまでの著者の暗い生い立ちと、作家としての文学言語の可能性が実に簡潔に述べられていたからだ。暗い生い立ちとは、ドイツ系少数民族の出身、チャウシェスク独裁体制下での監視と迫害、さらに文学活動故にドイツに亡命を余儀なくされた著者の作家としての軌跡であるが、それがよく読み取れるスピーチである。
著者のノーベル文学賞受賞理由は、「故郷喪失の風景」を「濃縮した詩的言語と事実に即した散文」で描いた点とされる。著者の作品は五〇以上の言語に翻訳され、日本でも『澱み』、『息のブランコ』、『心獣』など主要作品はほとんど訳され、現代ドイツ作家として著者は一応知られている。ただこれらの作品がどれだけ日本で読まれているか、ドイツ文学の専門家ならともかく、チャウシェスク独裁体制下の過酷な現実の証言とも言える著者の文学作品が一般読者に届いているかは疑問である。その意味では「トウモロコシは黄金色、時間がない」というエッセイは、長編小説『息のブランコ』の執筆の過程が述べられていたり、その他のエッセイでは、著者独自の創作論、読書論、詩論、歌唱論もエピソードを交えて書かれているので、本書は日本の読者にとっては多彩で難解とも言えるミュラー文学の入門書としても読むことができるであろう。
本書で評者に最も印象的と思われたエッセイは、タイトルともなっている「いつもおなじ雪といつもおなじおじさん」である。「いつもおなじ雪」というフレーズは、ドイツへ一緒に国外移住する際に、著者の母が呟いたものだが、この雪には、母の若い時のソ連への強制移住、父の死、ドイツへの移住と繰り返される不幸への怨念が込められている。これがさらに「いつもおなじおじさん」と表現されることによって、雪は母だけでなく、ヒトラー親衛隊の伯父、さらには二〇世紀ルーマニアのドイツ少数民族の過酷な運命まで象徴するものになる。ここでは、さらに「わたしは言語を信じてません」という著者が、「虚構する」ことによって現実を把握する著者ならではの創作の核心に触れる独自の虚構論が展開されている点も見逃せない。また読書論や詩論も含まれているのも本書の特徴である。例えば、読書論では、ブルガリア出身のノーベル賞作家エリアス・カネッティの『群衆と権力』についての著者の受け止めはたいへんユニークである。つまり「群衆」を「権力」に読み替えることによってルーマニアの社会主義の現実が把握できるという大胆な仮説である。これは監視と迫害の中で文学活動をせざるを得なかった著者ならではの解釈である。詩論では著者と同郷の詩人オスカー・パスティオールの実験的な詩を詳細に読み解いている点も注目すべきである。
以上、本書の概要を述べてきたが、巻末に十八篇のエッセイの原題、初出情報、丁寧な解説があり、本書の内容把握の参考になろう。世界は今、十九世紀後半の帝国主義に似たような権威主義的な国家が増加し、残念ながら監視社会とは無縁でなくなりつつある。それ故にこそ、著者が身をもって体験したルーマニア監視社会の恐ろしい現実を描いた作品を読む必要があろう。その意味で、本書にはミュラー文学を深く知る手掛かりが随所に見られるので、特に著者の作品にまだ触れていない人には本書の一読を勧めたい。(新本史斉訳)(さいとう・ゆうし=東洋大学名誉教授・ドイツ文学)
★ヘルタ・ミュラー=作家。ルーマニア・バナート地方にドイツ人マイノリティとして生れる。一九八七年にルーマニアからベルリンに移住。クライスト賞、ノーベル文学賞受賞者。近年はロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・ガザ紛争についての論評も発表。一九五三年生。
書籍
書籍名 | いつもおなじ雪といつもおなじおじさん |
ISBN13 | 9784384060287 |
ISBN10 | 4384060289 |