病と障害のアメリカンルネサンス
髙尾 直知・伊藤 詔子・辻 祥子・野崎 直之編著
伊藤 淑子
逆転の発想である。本書が示す新しい文学研究の展開に驚嘆させられる。健常性という幻想を一つひとつ引きはがして見えてくるのは、まったく新しいアメリカンルネサンスの風景である。見方を変えるとか、新たなパースペクティブから見なおすとかというような生半可なことではなく、十九世紀アメリカ文学の作家たちが、いかに病や障害を見つめ、そこからどのような文学的創造性を獲得したか、という本書の探究が鮮明に打ちだすのは、文学研究がテクストのなかに隠されていた新たな意味を引きだす営みであるというまぎれもない事実である。病や障害から文学を読むことは、たとえば二〇〇一年にロイス・キースが少女小説を分析し(Take Up Thy Bed and Walk:Death,Disability and Cure in Classic Fiction for Girls)、病や障害を治療しなければならないものとして描くことを批判したように、いま始まったばかりのことではないが、本書があきらかにするのは、一般的には負とみなされるような状況そのものに、アメリカンルネサンス期の作家たちが、苦悶とともに、むしろ創造的な可能性を見出したということである。
本書は三部で構成され、第一部「疫病とアメリカンルネサンス期」では、ナサニエル・ホーソーンが『七破風の屋敷』において、国家による健康推進や個人の身体に完結される正常性のイデオロギー的潮流を冷徹に見ていたこと(第一章「ロマンスを呼吸する」野崎直之)、ハーマン・メルヴィルが『ピエール』や『レッド・バーン』において、コレラ流行に逸早くグローバリゼーションを読み、社会的弱者としての移民の問題を描いていたこと(第二章「ハーマン・メルヴィルと十九世紀コレラ流行」古屋耕平)、ヘンリー・デーヴィッド・ソローが日記や『コッド岬』において、みずからの病をとおして自然を観察し、病もまた生の一部であるという考えに到達していったこと(第三章「多孔的身体の詩学」貞廣真紀)、ウォルト・ホイットマンが『草の葉』において、空気を共有されるものであり、人びとの声を共鳴させる空間であると捉え、デモクラシーと感染の不可分性を提示していたこと(第四章「空気の詩学」小椋道晃)、また、エミリー・ディキンソンの眼病が詩作を支える感性の源流になったこと(第五章「榛色の不安」山本洋平)が論じられる。
第二部「障害の意味の文学的探求」では、マーガレット・フラーが『湖畔の夏、一八四三年』において、多様な文学形式を採用することでフロンティアの雑多な状況を描き、そこに発生する困難をテクストに映しとることによって、西部開拓の単純な言説に対して異議申し立てをし、新たなフェミニズムを打ちたてる契機を得たこと(第六章「肉体の苦悩と精神の歓喜」髙尾直知)、メルヴィルがアメリカ社会における障害者への対応の変化を読みとり、『白鯨』と『信用詐欺師』において障害者の立場や絆を対照的に描いていること(第七章「アンテベラム期アメリカの変容と不安」辻祥子)、ディキンソンが他者の痛みを覗き見したいという欲望のなかに、共感と暴力性の両方を意識していたこと(第八章「痛みをまなざす」古井義昭)、ルイザ・メイ・オルコットが『リトル・メン』において障害児教育をめぐる当時の教育思想を取りいれていること(第九章「実践へのマイルストーン」本岡亜沙子)、メルヴィルが晩年詩「ティモレオン」と「シェリー幻視」において、窮地に陥る人物への共感を込めながら、幻聴や幻視によってもたらされる癒しを描いていること(第十章「メルヴィルの晩年詩「ティモレオン」と「シェリー幻視」における幻聴と幻視」大島由起子)が論じられる。
第三部「トラウマとレジリエンスの文学」では、ラルフ・ウォールドー・エマソンが目を患ったことによって、逆説的に、「真理」を見通す「透明な眼球」という思想にたどりつき、そのレジリエンスを反映する「アメリカの学者」において精神的自伝を述べていること(第十一章「エマソンと不透明な眼球」成田雅彦)、エドガー・アラン・ポーがトラウマを克服してレジリエンスの文学を打ちたてたこと、とくに昆虫譚三作として「告げ口心臓」「スフィンクス」「ゴールドバッグ」に焦点を当てれば、ポー自身の経験とアメリカの歴史が自然の在り様と交差し、そこにレジリエンスの発現を見出せること(第十二章「ポーのゴシック・インセクト」伊藤詔子)、ハリエット・ジェーコブズが『自伝』において、白人中心主義の医学的権威による奴隷制の正当化に対して抵抗するとともに、レジリエンスの戦略を立てて、精神と身体の解放を求める闘争を描いていること(第十三章「疫病体験記としての『ハリエット・ジェーコブズ自伝』」中村善雄)、フレデリック・ダグラスが自伝三部作『フレデリック・ダグラス自伝』、『私の奴隷時代と自由』、『フレデリック・ダグラスの人生とその時代』において、奴隷に対する過酷な暴力を容認する社会の病理を論破するとともに、自身の奴隷経験のトラウマを超克し、努力と修練の実行力によって精神的な強靭さを発揮し、レジリエンスを体現していること(第十四章「フレデリック・ダグラスの身体表象」佐久間みかよ)が論じられる。
いずれの章も読みごたえのある論考である。作家自身が患う病とアメリカ社会がかかえる困難が重なりあい、正常性、健常性、標準性へのあらゆる思い込みに揺さぶりをかける。そして見たことのないアメリカンルネサンスの構図が打ちだされる。丹念なテクストの分析は、作家が意識せずに描いたことにも光を当てる。本書の新しさに覚える興奮は、その地平線のさきには、まだ私たちの知らないアメリカルネサンスの文学の読み方があるかもしれない、という予感さえも呼びおこす。文学研究がつねに新しい発見を生みだしつづけるものであることを本書は存分に味合わせてくれる。文学研究の醍醐味を知る一冊である。(いとう・よしこ=大正大学教授・アメリカ文学)
★たかお・なおちか=中央大学教授。
★いとう・しょうこ=広島大学名誉教授。
★つじ・しょうこ=松山大学教授。
★のざき・なおゆき=東京薬科大学准教授。
書籍
書籍名 | 病と障害のアメリカンルネサンス |
ISBN13 | 9784867800768 |
ISBN10 | 4867800767 |