- ジャンル:翻訳小説
- 著者/編者: ジャン=ポール・サルトル
- 評者: 中村隆之
アルトナの幽閉者
ジャン=ポール・サルトル著
中村 隆之
さまざまなジャンルで著述を展開したフランスの作家ジャン=ポール・サルトルの代表作は何だろうか。哲学では『存在と無』(一九四三)、小説では『嘔吐』(一九三八)、評論では『文学とは何か』(一九四八)などがすぐに思い浮かぶ。
戯曲については『アルトナの幽閉者』(一九六〇)が識者のあいだで概して評判が高い。事実、この戯曲はフランス国内で上演と出版の双方ですぐさま成功を収めた。初訳から六四年ぶりとなる今回の新訳は、二〇一四年の新国立劇場小劇場での本戯曲の上演をはじめとして、多数の舞台翻訳に携わってきた名訳者の岩切正一郎氏が手がけた。
訳者解説によれば、サルトルはこの戯曲を上演用台本というよりも、書かれた作品だと捉えていた。実際、全五幕で約三〇〇頁におよぶ本書は、すべてを上演する場合には五、六時間におよぶ。それゆえ舞台では時間短縮の工夫を施さなければならない。上演に多少の無理を強いるこの戯曲は一体どんなものなのか。
舞台は一九五九年初夏のドイツの都市アルトナに所在するブルジョワ家庭のゲアラッハ家。家長の父はドイツ最大の造船会社の社長にして長男フランツ、次男ヴェルナー、娘レニの親だ。長男は公的には死亡したとされており、喉頭癌を患った父の余命は短い。そこで父はハンブルクで弁護士をするヴェルナーとその妻ヨハンナを屋敷に呼び、ヴェルナーに家督と会社を継がせようとする。
しかし、ゲアラッハ家二階の開かずの部屋には、死んだはずのフランツが幽閉されていることが物語の過程で明らかとなる。フランツは十三年前にナチ・ドイツの兵士としてロシア戦線から徒歩で家に帰還したあと、誰とも話そうとせずにみずからを幽閉したのだった。彼と唯一通じるレニは、兄と秘された関係をもっている。
十三年間、部屋の外に出たことのないフランツは妄想の世界を生きている。兄を妄想のなかに閉じ込めておこうとする共犯者レニが与える情報から、敗戦後のドイツは都市も住民も壊滅して、文字通り地獄となって回復不能になった、と信じて疑わないフランツは自己の殻に閉じこもり、〈蟹〉の姿をした三〇世紀の人間に向けて録音機に妄言を残す。
父の望みは、フランツと死ぬ前に再会することだ。その望みを受け入れた義子ヨハンナはフランツの部屋に行くという危険を冒し、その美貌によって彼に見染められながら、彼の狂気の世界に段々と感染していく。さらにここに兄を慕うレニが加わって虚構的三角関係が形成されるなかで、レニの言葉をきっかけに、語られなかったフランツの過去が露呈する。戦場での捕虜の拷問――これがフランツを妄想の世界に退避させる、苦しみの根源的要因である。
本書の終盤で明かされるこの挿話は、ヨハンナをフランツから遠ざけるとともに、彼が父と再会する動因ともなる。物語は父とフランツが心中目的でポルシェに乗って事故死すること、フランツのいなくなった部屋のなかにレニがみずからを幽閉することを暗示して終わる。
ゲアラッハ家の五人、何よりその中心に精神を病んだフランツを据えたこの戯曲は、複雑かつスリリングな心理劇であり、一家族の崩壊過程を描いたフォークナーの『響きと怒り』にも通じる、サルトルの非凡な文才が存分に発揮されていると言える。
その傑出した文学性を感じながら、一九五九年の初演以降、多くの批評家たちがすぐさま喚起したのは、進行中のアルジェリア戦争のことだった。この戦争でのフランス軍人の残酷な拷問は、アンリ・アレッグ『尋問』(一九五八)などで知られていた。サルトル自身、戯曲構想の動機にはこの戦争におけるフランス軍の戦争責任があることを公言していた。
フランツとは、暗示的には、アルジェリア戦争に従軍するなかで独立派の拷問をおこなったのち、そのことを家族の誰にも吐露できず、良心の呵責で苦しむ一人のフランス人兵だとも捉えられる。劇中の舞台ドイツのように、戦後に経済成長を遂げて豊かな物質文化を享受していたフランスにおいて、『アルトナの幽閉者』もまた、他のサルトルの戯曲がそうであるように、上演を通じて観客を巻き込み、観客が登場人物のうちに自己投影することで演劇世界に主体的に参加するよう求めている。
サルトルにとって、作家の役割とは、いまここにある根本問題――当時ならば「世界の飢え、原水爆の脅威、人間の疎外」――を直視することにあり、そこから「全体」をなすものとして創作された文学作品でもって、読者を「世界への参加」に巻き込むことだった。そうであるならば、形を変えながらも変わらない根本問題――現在ならば、気候変動、戦争、ジェノサイド、難民など――について、今日の私たちもまた二〇世紀を生きたサルトルのように、文学を通じて考えるように誘われている。
その一つの実践は、作品享受の特権を自覚した上で、目下の諸問題を念頭に置いて本書を読むことだろう。そのように読む努力をすることがサルトル劇への正当な向き合い方であり、その先にこそ、それ以外の読みの可能性は開かれていく。サルトルとはそうした構えを読者に求める、きわめて倫理的な作家である。(岩切正一郎訳)(なかむら・たかゆき=早稲田大学教授・フランス文学)
★ジャン=ポール・サルトル(一九〇五―一九八〇)=フランスの哲学者・小説家・劇作家・批評家。二〇世紀を代表する思想家の一人であり、実存主義哲学を発展させた。主著『存在と無』において現象学の手法を用い、存在の本質を探求する。その哲学は文学や演劇を通じて表現され、代表作に小説『嘔吐』や戯曲『出口なし』がある。
書籍
書籍名 | アルトナの幽閉者 |