<「文明と野蛮」を問い直す>
早尾貴紀×丸川哲史 対談イベント載録
『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち』(皓星社)
『イスラエルについて知っておきたい30のこと』(平凡社)
ガザ地区で停戦協議が続くも、根本解決の見通しは明るいとは言えない状況の中、社会思想史研究者の早尾貴紀氏が二冊の本を刊行した。パレスチナで起きている暴力の根源を読み解く『イスラエルについて知っておきたい30のこと』(平凡社)、植民地主義という負の遺産を検証し、思想史からもその経緯を追う『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち 〈民族浄化〉の原因はどこにあるのか』(皓星社)。五月二四日には東アジア思想・文化史研究者の丸川哲史氏と、西荻シネマ準備室にて対談イベントを行った(今野書店主催)。その内容を載録させていただく。(編集部)
早尾 本日は私が刊行した二冊の本を切り口に、どのようにこの日本社会の中で議論を広げていけるのか、その可能性や課題を、丸川哲史さんとお話しできたらと思っています。
対談のテーマを「「文明と野蛮」を問い直す」としました。私が出した二冊の本は、現在のガザ攻撃についてニュース的に解説するものではありません。が、イスラエルによるガザ攻撃がジェノサイドとなっている、その事態について何が起こっているのか、なぜ止めることができないのか、その問題意識から書いたものです。
「文明」の言説として、二〇二三年十月七日の直後から、イスラエルのネタニヤフ首相、ヘルツォグ大統領ともに、「ガザ攻撃は西洋文明を守る戦争である。欧米諸国は我々を支援せよ」と機会あるごとに語っています。実際にアメリカ、ドイツを中心にイスラエルに武器を入れて、具体的に支援する状況となっています。
一方、「野蛮」の言説としては、10・7当時国防大臣だったガラントが、「ガザ地区で我々は「人間動物」と戦っている」と言いました。ガザにいるのは我々と同じ人間ではない。人間動物にはそれなりの対応をするのだと、電気、ガス、水道、食料、医療すべてを止めると宣言し、実行し続けているのです。
さらに「ガザには無辜の市民などいない」「全員がテロリストである」という言説がまかり通っています。「文明と野蛮」という構図が現実的な力をもって軍事力に繫がってしまっているのです。
丸川 「人間動物」という言葉が出ましたが、日本の戦後史では、返還前の沖縄でコザ事件の際に出て来た米軍司令官の発言が思い起こされます。「まるでジャングルみたいだ」と。これはベトナム戦争での米軍の戦場感覚をそのまま表現したものですね。それとセットになる軍事作戦として、枯葉剤の散布も想い起こされます。こういったことは、朝鮮戦争からのもので、公にはされていませんが、「細菌爆弾」の使用はほぼ確実だった。すなわち(動物)実験場としての戦争です。
早尾さんの話を少し原点から言い直します。「民族浄化」は、目下イスラエルのパレスチナに対する行為を表す言葉として認識されていますが、端的にその語源はナチズムに由来するものです。日本の戦後教育、あるいは世界的な平和教育の中で、ナチズムの「ホロコースト」を起点として、戦争犯罪として確定されました。また早尾さんが目下の事態を「ジェノサイド」と評しましたが、これもナチスの事績からのもので、ジェノサイド学という学問領域も生じました。
そのナチズムの文脈では被害者に当たる民族の国家が、現在ジェノサイドの加害者として名指されているわけです。その転倒した世界史の展開に対して消化不良が起こっている。端的には、現在のドイツでパレスチナ側に立ったデモがやりにくいことに、明白に現れています(現時点で、ドイツの首相は軌道修正をはかりつつあるようにも見えますが)。
一方、日本は東アジアという立地のため、イスラエル/パレスチナについて、他人事にできてしまうのかもしれない。それゆえの、ある種の萎縮した語りにくさもあるかもしれない。しかしそれは、日本の歴史を忘却しているからにほかなりません。
日本が朝鮮半島や中国(大陸)、また台湾に対して、歴史上行ってきたことにも目を向けないわけにはいきません。東アジアから、イスラエル/パレスチナ問題をいかに語るのか、そのことを改めて検討する必要があると思います。
早尾 丸川さんから、歴史の転倒による消化不良という話がありました。ホロコーストの被害者がイスラエルを建国したわけではないことを、ここに明確にしておきたいと思います。シオニズム運動はホロコーストから生まれたものではなく、むしろヨーロッパの国民国家の、レイシズムや植民地主義を継承して作られたものです。つまりイスラエルにはナチズムの思想が継承されているのです。
シオニストからむしろ侮蔑されていたホロコースト生存者が、イスラエルの公的言説で政治利用されるようになるのは一九六〇年代からで、シオニズム批判を「反ユダヤ主義」だとして封じるためでした。
ドイツの社会哲学者のハーバーマスは、ガザに対する攻撃がジェノサイドの様相を呈してなお、ハマスのテロに対抗するためにイスラエルと連帯せよ、との共同声明を出しています。ハーバーマスのような、近代ヨーロッパの民主主義思想を代表すると見られている人が、こうした主張を行ったことに、私の同僚のドイツ研究者もショックを受けていました。
現在、ドイツ国内ではパレスチナに対する支持やイスラエルに対する批判の言説が、押さえつけられています。パレスチナの旗をもって街頭に立ったり、デモに参加しただけで、逮捕、辞職、退学に追い込まれるという状況が起こっているんです。
コロンビア大学のハミッド・ダバシは、ハーバーマスの声明を批判して、ドイツではナチズムの思想が清算されず継承されていると指摘しています。ハイデガーのナチズムへの傾倒は、ハーバーマスのシオニズム支持と同型でかつ通底しているというのです。だからこそ、ネタニヤフらの「西洋文明を守る戦争だ」という言葉が、ドイツの多くの人にダイレクトに響き、ガザで行使される暴力に繫がるわけですね。イスラエルを取り巻く価値観もロジックも、ナチズムの思想で一貫しているというダバシの批判は鋭いと思います。
丸川 イスラエル建国の主導者にはヘーゲル左派や社会主義者なども多かったわけですが、ヨーロッパ内部の反ユダヤ主義の強まりの中でシオニズムに転向します。しかもイスラエルの建国地に現パレスチナが選定されたのは、そこがまさにヨーロッパの植民地だったがためです。ヨーロッパの植民地主義の継承が、この構図にも見えてきます。
先ほど「ジェノサイド」、「民族浄化」という言葉を出しましたが、未だ日本の中で使いこなされていない概念の一つが、「植民地主義」です。
私たちは日常用語として「植民地主義」という言葉は口にしません。テレビをはじめとするマスメディアで、パレスチナ/イスラエルや、ウクライナ/ロシアの戦争を解説するのは、たいてい国際政治学者たちですが、その中で「植民地主義」という言葉を使わない人が多数派です。学問の世界でも決して一般的ではありません。
特にパレスチナ/イスラエル問題を語るときに、植民地主義という概念を除いて議論は成り立たない。ところが主流の国際政治学者の会話には、それがない。まず端的に、問いの立て方が違っているわけです。
さらに国連憲章にある「帰還権」という概念も、主流国際政治学者は無視している。違法に土地を奪われた人は元の土地を返されるべきであり、その地に戻る権利がある。国際政治を語るときに、「植民地主義」「帰還権」といった概念を無視しては、何も論じられないはずです。
研究者や学者は、いかに世界を解釈するのか、その前提には、いかに「正義」を回復するか、というモティベーションも必要です。
早尾 先ほど「人間動物」という言葉にまつわって沖縄のコザ事件に触れられましたが、そこから想起したのは、一九〇三年の大阪博覧会で起こった「人類館事件」でした。沖縄、アイヌ、台湾原住民、朝鮮、清国、インド等々の生活を生身の人間によって展示して見せ、それに対して人種差別であると抗議が起こった事件です。現在開催中の万博でも「いのち輝く未来社会をデザインする」と謳いながら、ジェノサイド進行中のイスラエルが出展しています。万博というもの自体、「帝国主義の巨大ディスプレイ」とも言われる歴史的産物ですが、二一世紀に現在進行形でジェノサイドを行なっているイスラエルの展示が「いのち輝く」の表題の万博でなされることの皮肉な意味は、百年以上を経てなお植民地主義も人種主義も克服されていないことがまたも万博にて表出しているということです。
そして取捨されていく言葉として、「シオニズム」もメディアやアカデミズムの中で聞かなくなっています。シオニストたちは、シオニズム運動の一環として、イスラエル建国運動を進めてきました。それを正当化する知識人がいる一方で、シオニズムが植民地主義の一形態であり、人種主義の一形態であることを批判する人たちもいました。国連総会では一九七五年に、シオニズムが人種主義の一形態であるという決議がなされています。しかしどんどん骨抜きにされ、アメリカ主導で決議は撤回されてしまった。そうした流れの中、シオニズムは人種差別であるというところから、現状のイスラエルのあり方についても批判をするべきなのに、その現象が名指されなくなっているわけです。
シオニズムを批判的に再検討するときの大前提として、シオニズムはユダヤ教に基づいていないということが言えます。古代ユダヤ王国を失いディアスポラとなったユダヤ教の伝統からすれば、国家主義や排外主義、異教徒の支配などは、タブー中のタブーです。古代ユダヤ王国が滅ぼされたのは傲慢さからの神罰である。その結果として、ユダヤ教をディアスポラの地で解釈し体系化したときに、その神罰をいかに教訓化するかという思想がありました。異教徒に暴力を働いたり、ユダヤ人だけで固まって人為的に国家を作り、排他主義を展開したりするようなことが、再び神の怒りに触れるという恐れが、本来のユダヤ教の中にはあります。逆に言えば、シオニズムは世俗ナショナリズムですから、ディアスポラおよびユダヤ教を徹底的に否定してきた、反ユダヤ的なものなのです。
丸川 歴史の転倒の上の、まさに宗教(教義)の転倒ですね。
早尾 東アジアにおける日本の存在の二重性についても触れておきたいと思います。脱亜入欧を掛け声にした近代と米国主導の戦後体制を引きずりつつ、G7(いわゆる「先進主要国会議」)の一員という自己認識をもつ一方で、否応なしに東アジアの一国であるという立場もある。
つまり明治近代以来、日本は東アジアの中で帝国主義の一国として振る舞い始めたときから、欧米とアジアに挟まれた二重性を帯びていました。欧米は中東地域を分割し、反ユダヤ主義に基づき「人種」としてカテゴリー化したユダヤ人を、先兵として分割したパレスチナに送り込み、セトラー・コロニアリズムを展開していく。同時期に日本は列強の一端に並び、東アジアで植民地主義を進行させた歴史があるわけです。その歴史を忘却し、パレスチナ/イスラエルは遠い地の問題だと、ジェノサイドを他人事として傍観しています。
日本が東アジアで行ってきた具体的な植民地主義と、現在、パレスチナ/イスラエルで展開されていることを、どのように接合して語ることができるのか、そのあたりを伺いたいと思います。
丸川 靖国神社には、遊就館という(歴史)記念館があります。そこには明治維新からの日本の近代史が展示されているのですが、たとえば「満州国」に係わる叙述です。興味深いのは、靖国神社側の解釈では、現在の中国東北部は中国共産党が統治している、という表現になっている。
もう一つ歴史展示の中で、中国側の抗日ゲリラに対して「テロリスト」と名付けています。抗日闘争は「テロ」行為なのです。また興味深いことに、明治維新からの近現代日本史を一貫性のもとに展示しているのは、靖国神社だけです。付け加えると、現在使われている「テロ」なる概念は明らかに、二〇〇一年の9・11事件からの「反テロ」戦争の影響の下でやり取りされているわけですが、その言葉の使用、またその宛先の転倒に驚きます。
さて満州国建国の年(一九三二年)に起こったのが、平頂山事件です。撫順の日本軍に対して抗日ゲリラが急襲行動をとった。その翌日、「テロリストが村に潜んでいる」として、平頂山集落が焼き払われるという虐殺事件が起こります。
この構図はガザで起こった出来事に近似していますね。10・7のハマスのイスラエルへの攻撃をきっかけに、ガザの中に潜んでいるテロリストを根絶やしにするためにはこうするしかないと、一般の民衆を巻き込む無差別攻撃が行われました。その記憶に新しい惨劇は、日本が一九三〇年代に中国大陸で行ったことと、二重写しに考えるべきです。
やや視野を広く取りますと、中国は日本(その他の勢力)の侵略により一九三〇年代後半には多く見積もって七つに分割されています。大陸中国の人々が、そうした分割状態から、自分たちを取り戻していこうとするとき、かつての日本による分割統治の延長線上で、台湾問題を考えるだろうことも、付け加えておきます。
早尾 丸川さんから平頂山事件の話がありましたが、重慶大爆撃も、ガザでの絨毯爆撃に通じる無差別攻撃でした。南京が陥落して中国国民党政府が漢口へ、さらに内陸の重慶へと撤退戦をしていくときに、日本軍は大規模な空爆を仕掛けました。「重慶には抗日ゲリラやその指導者たちが隠れている。戦略爆撃だ」と言って、しかし実際には「ゲリラを民家に匿っている」として多くの民衆を犠牲にした無差別爆撃をしました。これは「ハマス掃討」と言いながら、「ガザに無実の人間はいない」として無差別爆撃をしていることに通じます。ガザを論じるのに、重慶爆撃がもつ先駆的・世界史的な意味を忘却していてはならないと思います。約三年の作戦期間とさらに二年続いた爆撃とで、合わせて三万人近くを殺害したとされます。ガザと平頂山事件、重慶爆撃を結びつける思考を私たちはもたなくてはなりません。 丸川 さらに私たちが再提案すべき概念とは何なのか。
「植民地主義」などの言葉に加えてもう一つ、目下の問題を解くべき重要なキーワードとしてあるのが「第三世界」です。しかしこの言葉は最近、「グローバルサウス」という言葉にとって代わられています。もちろん旧第三世界の国々が、自分たちはグローバルサウスです、と名乗ったわけではない。植民地主義を行使した「先進国」側が、グローバルサウスと名付け、カテゴリーとして使用し表象しているわけです。(一見するとそうは見えませんが)実はその名称にも、「転倒」が含まれているわけです。
つまり、第三世界という概念は、今は使われる頻度が下がったものの、先の「グローバルサウス」への対抗概念として再生し得るものか、あるいはリニューアルし語ることは可能なのか。かつて植民地とされた側の主張や主体性を再構成することが、いまどのように可能になるのか、そうした問題提起となります。
一方、かつての第三世界運動への回顧として、インドのガンディがいたこと。ネルーと周恩来がバンドン会議前後に会談で握手するイメージなども、日本社会から消えつつあります。最近注目したのは、トランプと南アフリカ大統領の会談です。南アフリカで白人が迫害されていると、トランプが主張したという。南アフリカでアパルトヘイトが廃止されたことは、第三世界運動の成果として解釈されるものですが、こうした文脈も忘れられつつあるのではないでしょうか。
早尾 『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち』では、南アフリカ現代政治研究者の牧野久美子さん、在日朝鮮人史研究者の李杏理さんと、アパルトヘイトから、日本と朝鮮の歴史までを語った、長い鼎談を収載しています。
アパルトヘイトは、二〇世紀のシオニズムの展開と並行性があります。一九一〇年の南アフリカ連邦成立から次々と人種差別的立法が進められ、アパルトヘイトは四八年に正式に国家体制となります。シオニズム運動も一九一七年のバルフォア宣言が大きな画期となり、四七年に国連分割決議、四八年にイスラエル建国ですね。さらに東アジアに目を向けると、日本の韓国併合が一九一〇年で、そして四八年に南北朝鮮が分割されています。これらはもちろん偶然ではありません。中国においても四八年前後は国共内戦が決着する時期であり、敗走する国民党が四七年に台湾で二二八事件を起こし、四九年に共産党によって中華人民共和国が成立します。「四八年の世界史」という問いの立て方で現代史を見直すことは、重要な課題だと考えています。
丸川 いま話をした中で、もう一つ拾い直したいキーワードは「分割」です。イギリスの植民地から一九四七年にインド、パキスタン、スリランカ(セイロン)などが独立する現象は、「分割(パーティション)」という言葉で表現されています。インド研究者にとってかなり一般的な歴史観となっているのは、パキスタンが独立するのに、イギリスからの「援助」があったのではないかという疑惑です。つまりパキスタンが自ずと独立を目指したわけではなく、ムガル帝国の一体性を切り刻むという、イギリスが政治的に行っていた分割統治の延長上に「分割=独立」があったのではないか、という見方です。それにより、多数のイスラム教徒がパキスタン側へと移動、また(パキスタン領の)多数のヒンドゥー教徒がインド側へと移動することが余儀なくされ、つまり膨大な難民が突然生じ、多くの人々が迫害や暴行を受け、命を失いました。しかしてその同じ頃、欧帝国主義に後押しされたイスラエルがアラブ世界に対して「分割」を行っていたわけです。
またその同じ時期、朝鮮半島も二つに分割され、台湾と大陸中国も同時期に分割体制(内戦体制の固定化)になります。それらの「分割」の背景全てに植民地主義が横たわっているのは言うまでもないことです。
少しだけ目下のインドをどう観るかという視野を紹介します。与党人民党とはどんな政党なのか、日本人はほとんど関心をもちません。人民党は、ガンディを暗殺した人物が属した政治組織の系譜にある政党です。つまりガンディが目指した「分割」を克服した(広域)インドの独立、この理想に反する人たちが現在、国の中枢にいて外交を行っているということ、この問題性について、ほとんど誰も気づいていないわけです。
早尾 後半は日本におけるアカデミズムの問題、ジャーナリズムの問題、そしてアクティビズムの課題について考えます。それぞれの場で頑張っている人はいますが、端的に言って脆弱です。 まず大学内に政治規範に踏み込んだ発言をする人がいない。路上で発言する人がいない。ガザの問題について、パレスチナ/イスラエルの歴史的文脈を視野に入れ、アメリカ=イスラエルによる「ニュー・ミドルイースト(新中東)構想」と結びつけて、これが新植民地主義だと批判できる中東研究者がいない。ジャーナリストは状況分析できず、ステレオタイプな解説しかしない。先ほど丸川さんが、学者はこの問題を国際政治の枠組みでしか見ていないと言いました。ジャーナリストはと言えば、地域紛争としてしか見ていないので、「対立激化」といったステレオタイプな報道しかできないんです。そして左派的な批判力は鈍り、ジャーナリズムが中道路線になっていくという問題が生じています。
ただパレスチナの反戦平和運動については、特に若い世代に励まされることがあります。たとえば環境運動やLGBT運動に係わる人たちが、パレスチナ/イスラエルについての発言も積極的にしていたり、批判の表現方法が工夫され、多様化していたりします。
ただ全体としてみれば、反戦平和運動は二〇〇〇年代以降どんどん縮小しています。内容も、即時停戦や封鎖解除といった単純で拙速な訴えに留まっています。なぜこの事態が起こっているのか、イスラエルは何をしようとしているのか、問題の本質に響くような批判が出てこないんです。
これはメディアと学者の責任が大きいわけで、自戒を込めて、本日の後半の問題提起としたいと思います。
丸川 私の勤めている大学で、ガザ攻撃に関して教員を対象に署名運動をしました。署名していただけなかった教員に、国際政治学者が多かったことには驚きました(「中立」幻想があるようです)。またハーバーマスに近い見解で署名できないと言うドイツ研究者もいました。大学の中に世界の縮図があることを感じましたね。それから、世界に対するアンテナをはっていない教員も多く、よく分からないからと、署名をしない人たちもいました。本当に大学教員なのか(笑)。
一方では、学生による運動に、感銘を受けました。大学構内でパレスチナに連帯する運動を行ったのですが、パレスチナ関連の本を並べて、「本を読んでください」と呼びかける「本読みデモ」です。かつての学生運動とは表現形態が違ってきている、という印象を受けました。
ところが、それに対して大学職員が出てきて、「やめろ」と。これまた興味深いですよね。つまり、大学で本を開くことが禁止されたわけです(笑)。
早尾 本読みデモは、最初に始めたのが松本市の方たちで、私もスタートしてまもなく声をかけてもらい、松本駅でのデモに参加しました。その方たちはアカデミズムやアクティビズムのバックグラウンドがあるわけではない、普段は会社に勤めている女性たちです。自分たちに何ができるか考えたときに、問題の本質を学びたいとの発想から、読書とデモを合わせて「本読みデモ」を発想したと。駅前広場に折り畳み椅子を並べ本を広げて、通りすがりの人がひととき本を読んでいく。本を媒介に問題について立ち話が始まることもある。あの理想的な空間にはちょっと驚きましたし、触発も受けました。長野県内で上田や安曇野など各地とも繫がっていて、本読みデモの広がりも感じました。
丸川 イスラエルの建国によりパレスチナの人々が故郷を追われた「ナクバの日」にちなんだ、昨年の新宿南口での集会に参加しました。集会では、日本語あるいは英語で、奪われた土地への愛着を詠った詩などが朗読されました。外国の人が多い印象で、大きな布へ記された参加者の署名には、中国系や韓国系の名前もありました。一九七〇年代までの日本と比べたら、その規模は小さく微々たるものです。でも従来の運動にはない、新しいスタイルが生じていることに、希望を見出しました。
私は、五〇年代の社会運動の研究もしているのですが、最近注目しているのが「原爆の図」が全国巡回されていた事績です。東松山市の丸木美術館に展示されている「原爆の図」を、複数の模写を作って各地に見せに行くという運動があったんです。美術品はオリジナルでしかあり得ないという考え方ではなく、模写してでも多くの人に見てもらうべきだと。模写の出来栄えに差があったりして議論にもなりました。またその移動形態が面白いんです。くるくる丸めて持ち歩き、剝き出しで展示していたそうです。絵が傷んでしまうなど難点もあったようですが、それも含めて興味深い運動があったわけです。つまり、「展示デモ」ですね。
興味深いのは、作品を前にして観客どうしが議論になったり、作品の前で泣き崩れる観客がいたり。さらに、原爆なんてこんなに大げさなものかよ、と誰かが言ったのに対し、当事者が反論する場面もあったそうです。最も感銘を受けるのは、絵の前でケロイドの傷を見せた観客(当事者)がいたとか。丸木美術館学芸員の岡村幸宣氏が書いた『《原爆の図》全国巡回』(新宿書房)に書き留められています。
つまり言いたいのは、社会運動と芸術や学問が、どのように交わることができるのか、ということです。一般に本も絵も、管理された閉じた世界に置かれることが多いものです。ところが、路上で本をめぐって議論が起こり、またかつて絵画作品の前で赤裸々に感情をぶつけ合う事績もあった。
朝鮮戦争、それからビキニ環礁での核実験が行われた五〇年代前半は、日本社会の中で芸術運動も社会運動も盛んだった時期ですが、当時の感覚が忘れられている、それをどうにか新しいかたちで復活できないか、そんなことも考えています。
早尾 近年、丸川さんは『野生の教養』という論集を二冊刊行されました。「野生の教養」とは、型に嵌ったアカデミズムの単なる知識ではない。社会運動と結びつく、演劇や文学や詩や絵などの創作活動が念頭に置かれているのではないかと思います。丸川さんが「野生の教養」と思われる取り組みを教えていただけますか。
丸川 この論集は、明治大学大学院教養デザイン研究科の教員たちで作った本です。先ほどの話に繫がりますが、絵も本も知識も、街頭で剝き出しに眺められたり、風にパラパラめくられたりしながら享受される、というのが良いのではないかと思っています。
『野生の教養Ⅱ』の私の序文ですが、これも第三世界色を強く出しました。ただそれは地域区分としてではなく、です。文化的なものと政治的なものが矛盾を孕みながら葛藤して同居する、そのような「舞台」としての第三世界です。
実は来月、中国の広州に出かけます。広州市内と郊外に芸術家村があって、そこには、ポストコロナ時代の芸術のあり方を考えつつ、活動している若者たちがいます。彼らは広州と高円寺を行き来して、素人の乱のスペースで学習会を開いたり、展示したりします。私はこの活動に一つの希望を見ています。
私が所属している芝居集団「野戦之月」にも、中国人留学生がいます。表現の自由がなかなか許されない中国で、社会の隙間を見つけて芸術家村を作ったり、日本やヨーロッパ、東南アジアに場を移して、芸術運動の種をまこうとする若者たちがいます(あるいは、中国国内で地下出版をする人たちも)。彼らは検閲を受けずに自作した冊子を配り、知識を共有し合っています。これらはいま、世界的な動きになっていると思います。もちろん、パレスチナもそうです。芸術運動と社会運動が一体化しています。
早尾 パレスチナの抵抗運動の中に、民族抵抗詩人たちがいます。彼らの詩は広く読まれており、場合によっては、曲をつけて歌われたりもしています。
『ガザ=ストロフ パレスチナの吟』というドキュメンタリー映画のアフタートークに二度登壇しましたが、この映画の起点にあるのがマフムード・ダルウィーシュという民族抵抗詩人の詩で、映画の中で農民がダルウィーシュの詩を、あるいは自作の詩を即興で朗読するのです。
「野生の教養」に通じると思うのですが、それぞれの人がそれぞれの持ち場で、ゲリラ的に活動すること。演劇でも絵画でも歌でも勉強会でもいいので、各地で行動を起こしていくこと。パレスチナ問題をはじめ、問題を世界に訴えるには、それしか方法がないだろうと思うんです。数を動員して大声で叫べばいいわけではなく、時間がかかりますが、今日のイベントのような機会も含めて、アイデアを繫いでいく。文化的な抵抗運動が大きな力をもつ。それが希望なのだと思います。
丸川 たとえば韓国では、作家を筆頭に様々な人がデモに参加しています。ハン・ガンさんのノーベル賞受賞の言葉を引用して集会が行われたりするなど、社会運動と文学が一体となっていますね。韓国は大統領制の不安定さの中でも、常に草の根からのプロテストが湧き上がってきます。かつては日本にもそういうものがあったはずですが……。今の日本で文化を担っているのは誰なのか、「オリンピック」や「万博」のことを考えると複雑な気持ちになります。
韓国は、様々な経緯の中で共和制に移行して、統治のあり方が日本とは全く違うものになりました。一九四五年の前には日本統治があり、南北が分割され、そして李承晩、朴正煕の近代化が志向された。この現代史の矛盾が、ときに街頭や広場でぶつかる。いわば歴史が舞台化されているようです。
いずれにせよ、諸々の経緯の中で、中国も、そして朝鮮半島の二つの政権も共和制に移行している。翻って、日本には「天」が頭につく存在がいて、日本の文化的なアイデンティティを体現しているかの構図があります。これは中華圏の視点から見ると、とても奇妙なものなんです。中国では天と君主は峻別されていて、その下に民衆がいるという構図です。天が民衆の「声」を聞き、君主(王朝)を取り替えるのが、易姓革命であって、中華世界の革命の源流となる発想です。逆に言うと、中国では天に対する信頼が強く、だからこそ歴史的にも革命が起きやすい構造があるのかもしれません。
先鋭的に天皇制を廃止せよなどと言うつもりはないのですが、日本は天皇制がある限り社会変革が文化的に封じられる構造があるのではないか、そういう仮説も立ててみたくなります。
結果論ですが、第二次大戦の結果として、日本は分割もされず、むしろ隣人の戦争を漁夫の利として、ある種の安定的な戦後をむかえることになりました。ここから振り返らなければならない、と思います。日本はいまこそ自分たちがどういうアイデンティティをもつべきなのか、大きな目で摑み取る必要があります。個人のアイデンティティの話ではありません。自分たちのよって立つ歴史的・地政的基盤を、今後どのように組み替えられるのか。その問題意識が必要です。
たとえば韓国で起こる事件、そして運動をどのように自分たちの内に取り入れるのか。また中国研究者は、中国で歴史的に革命が起こってきた理由を考えてみる。そういったことは、日本の市民運動、文化運動において、一九八〇年代まではかなりありました。そうした幾つかのリンクが失われているようにも思います。
イスラエル/パレスチナで起きた出来事について「利用」主義的に運動化してはならないとも思います。しかし今日、早尾さんが書かれた本が最も必要とされるものに(ある意味では不幸にも)なりました。イスラエル/パレスチナ問題を東アジアの視点に繫げ、そして「自分事」にするということです。
そのヒントとして、早尾さんの二冊の本を使った読書会を開くのもいいですね。その場に早尾さんをお呼びする。これも一つの有意義な運動です。
早尾 ここを始まりに対話が広がればいいと思いますし、本を読んで、活用いただければと思います。(おわり)
★はやお・たかのり=東京経済大学教員・社会思想史。著書に『国ってなんだろう?』『ユダヤとイスラエルのあいだ』、訳書にジョー・サッコ『ガザ 欄外の声を求めて』など。一九七三年生。
★まるかわ・てつし=明治大学教授・東アジア文化論・東アジア思想史。著書に『思想課題としての現代中国』『台湾ナショナリズム』『野生の教養 Ⅰ・Ⅱ』(共編)など。一九六三年生。
書籍
書籍名 | パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち |
ISBN13 | 9784774408576 |
ISBN10 | 4774408573 |