- ジャンル:随筆・読物
- 著者/編者: 吉田寮百年物語編集委員会
- 評者: 石附鈴之介
京大吉田寮百年物語
吉田寮百年物語編集委員会編
石附 鈴之介
学生寮の玄関をくぐるのが好きだ。生活空間として、学びの場として、歴史的建築物として、物語の生起する場所として、今も生き続けている、そんな建物と学生の長年の呼吸を感じ取れるからだ。
大学の学生寮はその管理・運営形態において大雑把に二種類に分けられる。管理寮と自治寮だ。前者は大学が直接管理・運営する寮で、大学の一施設のあり方として一般に了解されやすいものだろう。後者の自治寮とは、寮生で構成される寮自治会が寮の運営主体である学生寮のことであり、その管理・運営体制をめぐって長年大学との微妙なパワーバランスの上に成り立ってきた生活共同体であるとも言える。では一般に馴染みの薄いであろう自治寮とはどのようなものであり、管理寮にはない何らかの魅力があったりするものなのだろうか。
それらの疑問に答える手がかりとなる本がある。現存する国内最古の学生寮、京都大学吉田寮の歴史をまとめた『京大吉田寮百年物語 現役最古の学生寮がたどった歴史と寮自治』だ。この本は、寮の記録文書や大学新聞の記事、当局の文書など、膨大な史料に基づいて寮の歴史が紡がれており、時の大学の姿勢、国の教育政策、時代状況なども寮を通して浮かび上がる。歴史記述の合間にコラムや一次資料の掲載、吉田寮関係者らによる論考や証言が挟まれるという構成である。
寮自治については初代京大総長の告示にその始まりが看取される。それは冨岡勝氏の論考の言葉を借りれば、「自治をおこなう寄宿舎を教育機関として重視する」という方針だ。自治寮に教育的価値があるということである。では具体的にどのような自治が歴史的に行われてきたのか、いくつかの事例を引こう。
戦後、寮生が中心となって新寮建設運動を推進し、設計案を作製したという事例(そして実際に六五年に熊野寮など今も続く寮が新設された)。二〇一二年に新棟が建設される際、築約百年の現棟を取り壊そうとする当局に対して寮自治会が具体的な補修の対案を提出し、現棟を歴史的建築物として配慮した上で補修するという確約を結んだ事例。これらは建物に関する寮自治の成果と言える。
また寮の運営に関わる面では、八五〜九四年にかけて寮自治会が入寮資格枠を拡大し、「性別・国籍を問わず、院生・聴講生・科目等履修生・研究生・医療技術短期大学部生、さらには家族や介護者などの入寮が可能になった」とあるように、京大で学ぶあらゆる人のためのセーフティネットとしての機能もまた獲得した。八六年には食事提供機能の停止を受けて、寮食堂が寮外にも開かれたイベントスペースへと変化した。新棟建設時には「二元論的な性別という枠によってトイレから排除される人がいる」という問題意識のもと、トイレがオールジェンダートイレとして運用されることにもなった。
このように数々の寮自治の歴史がある吉田寮であるが、現在大きな危機に直面している。二〇一七年、寮生への退去通告が突然発表された。しかしこれには大学側が「老朽化対策」と銘打っておきながら築数年しか経っていない新棟からも寮生の退去を求めたり、耐震補修が完了したばかりの食堂を危険視するなど不可解な点が多かった。ついには大学は過去の確約を反故にし、寮自治会との話し合いにも応じず、現棟に住む寮生数十名を提訴した。この本で語られる歴史は二〇年までのものなので、その後の寮の歩みや裁判の経過などは寮自治会のHPなどを見られたい。京都地裁での一審判決は原告である京大のほぼ全面敗訴で、つい先日、八月二五日に大阪高裁で和解が成立したが、大学が寮自治会との話し合いに今後応じるかは不透明である。
この本で語られるのは世紀を超えて受け継がれる学生たちと大学との対話の歴史だ。二〇一二年に大学との間に結ばれた確約には吉田寮の「一世紀にわたり動態保存され続けてきたことによる価値」が確認されている。動態保存、これである。「寮空間のあり方の見直しは自治のなかで現在も連綿と続いている」と大隈楽氏も論考で述べるように、人が住み、その時々の状況に合わせながら自分たちの空間を作り上げ、定義し守り続けていく、このことに自治寮の意義がある。
自由を怖れるものたちがあらゆるものを管理化していくこの社会、民主主義がないがしろにされている近年の大学、これらに足元から再考を促すのは吉田寮現棟の玄関のあの仄明かりだ。寮から考えよ。そこに百年の物語がある。次の百年に向けて、多摩の酒でも土産に今度また吉田寮に遊びに行きます。(いしづき・すずのすけ=一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程・一橋大学中和寮(院生寮)寮生)
書籍
| 書籍名 | 京大吉田寮百年物語 |
| ISBN13 | 9784909782182 |
| ISBN10 | 4909782184 |
