2025/11/21号 8面

自由への終わりなき模索

対談=清原悠×野中モモ 『自由への終わりなき模索』(ころから)刊行を機に
<新宿の移り変わり、模索舎の半世紀> 対談=清原 悠×野中 モモ 『自由への終わりなき模索』(ころから)刊行を機に  清原悠編著・模索舎アーカイブズ委員会監修『自由への終わりなき模索 新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』(ころから)刊行を機に、編者で立教大学ほか非常勤講師の清原氏と、翻訳家・ライターの野中モモ氏に対談いただいた。新宿で今もなお独自の存在感を発揮し続ける模索舎の55年の歩みと変遷とは。(編集部)  清原 2020年の「模索舎50周年を祝う会」の際に、様々な資料を展示しましたが、せっかく集めたのであれば、資料集として出せないかという話が持ち上がり、元舎員の安藤順さん、細田伸昭さんを中心にして、本書の監修にあたる模索舎アーカイブズ委員会(CMA)が始動しました。私はこの委員会には途中からの参加です。  本書の制作は、主立つ関係者の方々への聞き取りからはじまりました。皮切りとして、創業メンバーの岩永正敏さん、小林健さんへのインタビューを行いましたが、3、4時間ほどお話しいただいても話題が尽きない。その日だけでは終わりそうにないから、その場で次回のアポを取って、ということが重なり、岩永さん、小林さんへのインタビューは計3回、10時間以上の内容になり、書き起こしたものだけでも15万字ぐらい、本一冊分の量がありました。  当然、そのままの分量では載せられませんが、かといって削るにあまりに惜しい情報がたくさんある。ですから、本人の言葉をなるべく残しつつ、情報量はできるだけ削らずに文字数を圧縮して、収録できる分量に収めました。  関係者へのインタビューが終わる目途が立った2023年6月の段階でクラウドファンディングをスタートさせましたが、その時点ではA5判、400頁、税別3500円の本を想定していました。ところが、原稿化を進めれば進めるほど、その枠に収めるのが不可能だということが分かってきます。話題を限定して大幅にカットすれば想定頁におさめることができたかもしれませんが、半分以下の内容にしてしまうのはもったいないという話になり、結果的に、880頁、7000円の本になりました(笑)。本当は立地する新宿の風景写真なども入れたかったのですが、文字ぎっしりになってしまいました。  ですから、野中さんに原稿依頼をした2022年の時にイメージしていた本とはだいぶ違うものが出来上がったと思います。  野中 すごい大著になっていて驚きました。私が元CMAの細谷(修平)さんから寄稿のお話をいただいたのはもう何年も前のことですから、まずは無事に出来上がって良かったです。  もともと、インタビュー部分をもっと少なく想定していたのでしょうか?  清原 私は、歴代舎員へのインタビュー、関係者からの寄稿、研究者による論文、資料再録がそれぞれ等分というイメージを持っていました。けれども他の委員会メンバーはインタビューを中心に残していきたいという意向が強かったですし、何より聞けば聞くだけいろいろな話が出てくるので、最終的にインタビュー部分がだいぶ分厚い内容になりました。  野中 インタビューのボリュームが多いから、一見するとオーラルヒストリーの本という印象を受けますけど、他にも寄稿論文やコラムもあるし、資料や注もすごく充実していて、大変手のこんだ一冊です。  ところで、「自由への終わりなき模索」というタイトルは、どのように決めたのでしょうか。  清原 本書の冒頭に岩永さんの過去のエッセイ「終りのない物語を……」(11頁)を序論の資料編として収録しましたけれども、タイトルのつけ方もそうだし、何より、模索舎を知らない人がいるからこそ、我々がやっていることには意味がある、といった内容の文章に感銘を受けました。模索舎が知られていないということ自体、出版流通システムの問題が解決されていないことを示しているわけで、だからこそ私たちは模索舎という試みを通じて語り続けなければならないのだ、と。  それと、実方藤男さんのインタビューで、自由主義学生会議の結成について語られます。実方さん自身は模索舎のメンバーではありませんが、自由な社会を実現していくための試み、そして表現の自由の根底にある精神の自由を求める心は、ずっと模索舎の中に流れ続けてきたものであることに気づかされました。その2つのメッセージを掛け合わせて、「自由への終わりなき模索」と名付けました。  清原 模索舎というと、創業者の五味正彦さんのお店というイメージが一般的だと思います。五味さんはオルガナイザーとして有能な方で、ノンセクトのメンバーを集めた模索舎の立ち上げは彼がいなければ実現しなかったことでしょう。また、フットワークが軽く、非常に顔が広い方でした。五味さんは2013年にお亡くなりになりましたが、本書内でも「五味正彦小特集」という形で五味さんの歩みを紹介しました。  野中 ある意味でこの本は、五味さんという不在の存在を浮かび上がらせる作りになっていると言えるのではないでしょうか。知らないことばかりでした。  私が模索舎に通い始めた頃には、五味さんは模索舎から完全に離れていらっしゃったからあまりピンとこなかったのですが、模索舎といえば五味さん、という印象はいまだに根強いのでしょうか?  清原 専従舎員として17年間(創業~87年まで)在籍していたので、一番長く勤めた舎員であるのは間違いないですし、出資金も一番多く払っています。それに、模索舎の法人形態「有限会社ゴミニケート舎」の代表取締役でもいらしたので、内外に「模索舎=五味さん」というイメージが残っています。  だからこそなのですが、模索舎の歴史を本として残すことに積極的でなかった元舎員の方が少なくありませんでした。つまり、「模索舎=五味さん」というイメージを固定化してしまうのではないかという危惧です。CMAのメンバーも、模索舎の始まりはやはり「五味さん」からというイメージはそれなりにあったと思います。  しかし、岩永さん、小林さんのお話を聞けば聞くほど、「模索舎=五味さん」ではなくなってくる。それまで抱いていたイメージとは異なる、模索舎を形成する複数の文脈が浮かびあがってきました。本書ではそれらを描きたかったので、これだけ分厚い一冊になったともいえます。  野中 岩永さん、小林さんのお話も、創業当初からではなく、自身の生い立ちから語っていらっしゃるのが印象的でした。  清原 模索舎の立ち上げを紹介するにあたって、当時の社会状況を明らかにすることは当然として、創業に携わった方々の価値観や判断基準がどのように形成されたのかも重要なポイントだと考えました。そして、お二人のお話から見えてきたのは、貧しさと豊かさの両方を知っている人たちが、何を考え、こういう活動にたどり着いたのか、ということでした。  野中 そのおかげでお二人の学生時代の運動の展開、既存のセクトに入らずに、自分たちで組織を立ち上げていったというお話を細かく追うことができる。これは貴重な情報ですよね。  清原 岩永さん、小林さんともに1966年3月に高校を卒業していらっしゃるので、高校全共闘前夜の登場人物たちだと言えます。そういった人たちの高校時代や、大学1年生になってどのように社会運動に関わっていったかを明らかにする貴重な証言となりました。様々な大学をブリッジして、なおかつセクトとも一定の関係を築きつつ、ノンセクトとしての自分たちの活動の場を作り出していった人たちの物語が見えてきました。  野中 あと、岩永さんと小林さんがもともとプロテスタント教会の日曜学校で出会った友達同士だったというエピソードもあり、学校を超えたつながりの場があったことがわかるのも興味深いお話でした。  野中 当時の活動の中で、創業メンバーたちが新宿に集まってくる流れも見えてきます。模索舎創業当時の新宿は、まだ副都心ができあがっていないですよね。  清原 そうですね。小田急百貨店が開店し、新宿駅西口立体広場が作られていくような時期にあたります。まだ闇市的なところが残っている傍ら、高層ビルがどんどん建設されていく。新宿駅西口側も東口側もダイナミックな変化を遂げている過程にありました。  その高度経済成長の光と影を創業メンバーは都市の風景としても目の当たりにしていて、だから模索舎は新宿の光と影が混じり合う空間にできたという言い方もできます。高度経済成長からはじまる60年間の新宿という街の移り変わりと模索舎は切っても切り離せない関係なんだなと、当時の写真を見ながら強く感じました。  野中 新宿駅西口地下広場では、69年2月からフォークゲリラ集会が盛り上がり、7月に弾圧されて「通路」にさせられる歴史があるじゃないですか。私は通路になってからの姿しか知らなかったので、当時の集会の写真を見るとびっくりします。  清原 あの天井の狭い空間によく数千人も入りましたよね。  野中 その広場が通路に変わったことを受けて、模索舎は開店のときの広告で「新宿を再び広場に」というメッセージを打ち出しますけど、「再び」と言っているくらいだから、広場だった時代を覚えていたんですね。  清原 今、野中さんがおっしゃった広告の図版は本書の213頁に掲載しています。そこにはさらに「新宿を〈通路〉から〈広場〉へ」とも書いてあるのですが、まさにそれが新宿に模索舎を作った理由の一つなんです。新宿の広場が通路にさせられてしまったのだったら、自分たちの手で自分たちの広場を作ろう、という意志表明をしています。  野中 新宿大通りの歩行者天国が始まったのも、この頃でしたっけ?  清原 歩行者天国は70年からですから、模索舎の開店とほぼ同じタイミングですね。  72年に、日本ミニコミセンターの丸山尚さんが新宿の歩行者天国でミニコミ市を開催します。ミニコミ側が努力して解放的で自由なコミュニケーションの空間を成り立たせるためで、第1回は10月でした。170タイトルが出店し大盛況だったそうですが、翌月の第2回は警察の介入で開けませんでした。歩行者天国と言いながら、即座に何もできない空間にさせられてしまいました。  野中 拙著『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社)の取材でも、新宿の歩行者天国でミニコミを売った話を聞いた気がします。斎藤次郎さんだったか村上知彦さんだったか……。  清原 村上さんといえば『週刊月光仮面』ですね。その村上さんには、本書にも寄稿いただきました(328頁―331頁)。  野中 村上さんは昨年末にお亡くなりになりましたよね。  清原 そうなんです。本書の刊行が間に合わずに申し訳ないことをしたなと思っています。  清原 野中さんが本書を読んで、特に興味深いと感じたところはありましたか?  野中 折々に登場する女性たちの貢献でしょうか。武蔵野美術大学の関係者が立ち上げた印刷工房のポポロ工房と連携して模索舎をサポートした 楠葉貴美子さんと模索舎の専従舎員でもあった成田裕子さんのお話がよかったです。あと、専従舎員ではないけれども、毎日のように模索舎にやってきて手伝いをしていた丸山あき子さんについてのコラムも面白かった。  本書には出てこないけれど、そうやって模索舎と関わっていた女性たちがほかにもたくさんいたんだろうな、と思いながら読みました。  清原 おっしゃるとおりで、資料には残っていないので確認しきれませんが、おそらくもっと多くの女性たちが関わっていただろうと思います。  左翼運動や社会運動というのは総じて男性文化的に見えるところがあり、そういった団体の機関紙を扱っている模索舎も同様の見られ方をしたでしょう。たしかに模索舎でも女性舎員は少数派で男性中心的な傾向はあったと思いますが、そこに穴を穿つ存在だったのではないかと考えます。第三部の資料編で載せた今西千賀子さんの書いている文章(425―427頁)は、読むとはっとさせられるものがあります。  野中 私が模索舎に訪れたのは90年代に入ってからで、大学でミニコミを作るようになってからは納品のために足を運んでいましたが、その頃はまだ距離を感じていたんですよ。その距離が縮まるようになったのは21世紀に入ってから。綿貫真木子さんや鹿島絵里子さんといった女性舎員が働いていたことが大きいです。  清原 90年代には女性舎員がほとんどいませんでしたね。99年に浅倉ユキさんと綿貫さんが入舎して、浅倉さんは2002年まで、綿貫さんは2007年まで舎員として勤め、翌年鹿島さんが入舎、という一連の流れがありました。そこで模索舎のイメージはだいぶ変わりました。  野中 風通しが良くなったというか、それまでのちょっと近づきがたい雰囲気がだいぶ和らいだと思います(笑)。  清原 雰囲気の変化は資料からもうかがえます。89年創刊の『模索舎月報』(模索舎に納品されたミニコミ・自主出版物月報)以前に発行されていた『モテック通信』(72年~80年)、『模索舎通信』(80年~89年)だと、模索舎に関係ないことは書きにくく、模索舎自身についても個人の意見が載る余地があまりない。そんな緊張感が誌面からにじみ出ていました。それは、模索舎の特徴である共同経営の仕組みが、ある種相互牽制の機能として作用していた。要するに、舎員全員が合意したことしか外に出しにくいといった無言の圧力がありました。  ところが、2000年代に入ると綿貫さんや鹿島さんらが『模索舎月報』で自分のイチオシのミニコミを打ち出すようになったし、編集後記にあたる「Voice of Mosakusha」でひたすらタイ料理の話しかしない人が現れるなど自分の趣味・嗜好・意見を書き綴る欄になっていくといった具合に、目に見えて誌面の雰囲気が変わりました。  野中 舎員の方々の顔が見えるようになったんですね。  清原 それ以前も個人の意見が載ることはありましたけれども、それがよりストレートに外に出るようになったということです。そういう意味で、綿貫さんと鹿島さんのインタビューのタイトルを「「解放」の時と共同経営のゆくえ」としました。  また、お二人が入舎する以前から変化の兆しはあって、96年から2001年まで舎員だった前田浩彦さんの存在も大きかった。前田さんがサブカルチャー路線の商品を手厚くしたことで、自分の好きなものを好きと言える開放的な雰囲気が店自体から出てくるようになります。  さらに、前田さんの社交的な性格はタコシェの中山亜弓さん、書肆アクセスの畠中理恵子さんや版元の編集者といった近い業態の人たちとの間で、社会運動とは異なる緩いつながりを作り出していった(98年~2001年にインチャリの会という名称で活動)。同業他社との間で店舗運営の悩みを相談しあえる開放的な書店へと変化を遂げていく歴史がそういった活動からもうかがえます。それはタコシェの店長・中山亜弓さんの寄稿(632―633頁)や、畠中理恵子さんのアンケートからも分かります。  野中 2000年代に入ると、模索舎の近所にポエトリー・イン・ザ・キッチンを前身とするカフェ・ラバンデリアやインフォショップのイレギュラー・リズム・アサイラム(IRA)ができたこともあって、私の中で模索舎との心理的な距離がさらに縮まり、それ以来、新宿二丁目あたりにもよく通うようになった記憶があります。  清原 2000年代に模索舎、ラバンデリア、IRAが新宿大三角形を形成したことで、街を訪れる人の流れが生まれましたよね。  野中 今はラバンデリアがなくなり、IRAも臨時休業中で、模索舎だけになってしまいましたけど。模索舎の存在が、この街をほかとは違う場所であり続けさせていると思います。  模索舎という独自の形態の書店の歴史を辿った本書は、出版に関わる人にとって重要な意味を持ちますし、場作りや街のあり方に興味のある人が読んでも大いに触発される一冊になったのではないでしょうか。  なにより、この本に出てくる模索舎に関わってきた方々の言葉を読むと、頑張って生きてきたんだなってことが伝わってきます。みなさん本当に立派です。  清原 本書に登場するみなさんが一生懸命生きてきたということが、野中さんをはじめ読者の方に伝わるのであれば、きっとインタビューに応じてくれた方たちも喜んでくださると思います。  本書で語られた内容というのは、自分たちで活動や経営をすることの面白さと大変さと創意工夫の話であり、さらに言うなら対等な形で集団を作っていくという経験についてです。そこは、ヒエラルキー型の組織に入ることが当たり前になってしまった今の日本社会にあっては得難い経験ではないでしょうか。日本はよく「集団主義」と言われることがありますが、実際には上意下達式の「組織主義」でしかなく、それは自律的な集団とは異なります。一緒に集団を作っていくっていうことの大切さ、面白さ、楽しさ、苦しさ、そして注意しなければならないことなどを、本書から汲み取っていただけたらありがたいです。(おわり)  ★きよはら・ゆう=立教大学ほか非常勤講師・社会学。編著に『レイシズムを考える』など。一九八二年生。  ★のなか・もも=翻訳家・ライター。著書に『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』など。

書籍

書籍名 自由への終わりなき模索
ISBN13 9784907239787
ISBN10 4907239785