臨床犯罪心理学
門本 泉著
掛川 直之
本書は、心理臨床家にとっては「自身の仕事の評価・承認へつながる」ものに、それ以外の者には「加害者への心理学的支援をする者が、どんなことを考えて、どんなふうに感じながら日々働いているか想像するきっかけとして使」うことを想定して「臨床犯罪心理学」の立場から編まれたものである。評者は「臨床司法福祉学」を志向する立場から、司法福祉臨床の現場と接続しつつ本書を読み進めた。以下、司法福祉臨床の現場にも応用可能な点を5つに絞って紹介したい。
1つ目は、非行少年や罪に問われた人への視線である。著者は次のように語る。「人それぞれの心の中に土壌があるとすれば、受刑者や非行少年のそれは乾燥し、ひび割れていることが多い。種を蒔いてもなかなか芽が出ない状態である。こちらが、その土壌に足を踏み入れることを躊躇していたり、無神経にずかずかと足を踏み入れたりすれば、彼らは傷つき、面接者に対して怒りをあらわにし、面接者が傷つけられることもある」。すなわち、「支援者」による「支援」が過去の被害体験を再発しないよう、トラウマのメガネをかけてケースに臨むことの重要性を指摘している。
2つ目は、「反社会的行為に及ぶ傾向を示す背景要因と自殺のリスクファクターには、かなり重な」るところがあるという点である。「加害者」の多くに「被害者」的な側面があることを見落としてはならない。「支援者」は、「問題が深刻であればあるほど」、「しばしば「なぜ」、「何を」に関心を向けたがる」が、なぜ、どうしてと理由を問いただすのではなく、「(たとえば、自傷行為の場合)切ったらどうなった?」と問う方が受け止められやすいと説く。理由の探索より、経験の連鎖を安全に言語化する枠組みが必要である、という含意は司法福祉的臨床実感にも適うものである。
3つ目は、彼らは「人に迷惑をかけ、時に反社会的で、直接的に他者に害を及ぼさなくても社会や周囲の人たちにとって「厄介な存在」として扱われてきた歴史を持っている」という点である。自傷や非行の「始まりの事象は、誰かに何かを訴えたいといったメッセージ性はないことが多」く、「他の対処法を見つけていれば、自傷はそれ以上進まない」という。さらに「自己破壊的傾向を持つ若者は、援助の希求性が低いと言われるが、特に非行少年について言えば、処遇者とのやりとりに彼らが関心を持てるかどうか」が決定的であるという。くわえて、「矯正・保護の対象者は、自発的に来談しているわけではなく、変化への意欲があるとも限らない」からこそ「自傷行為にせよ、非行にせよ、当事者が、自らの逸脱行動を問題だと考え、やめたいと望むか」を見極めることが重要であるという。著者がいうように「意志を強く持って」逸脱をやめるというよりは、「続ける必要がなくなるというニュアンスの方が正しい」と考えられるとすれば、行動を〝やめさせる〟より、やめられる条件を整えることこそが求められていることになる。
4つ目は、「発達障害を有し、触法行為に至る人たちの多くは、他者と気持ちよく交流する経験が少ない」という点である。つまり、「発達障害が触法行為の原因になっているというよりも、発達障害が何らかの形で彼らの環境を住みにくくし、彼らが安寧に生活しにくくなり、その反応として触法行為が起こる」ということになる。発達障害を「生きづらさ」ということばに置き換えるとより汎用性が高くなるのではないだろうか。
5つ目は、「長期あるいは幼児期の被害体験に起因する被害感情が健全な社会生活を広く妨げている場合、その主体を四六時中圧迫し、社会適応に踏みとどまる力を麻痺させてしまう」という点である。だからこそ「社会的孤立状態になると、他者とのつながり、自尊感情の低下、抑うつ感の上昇などの精神的な健康にも害を及ぼし得る」。極めつけは「非行や犯罪は、犯罪者や非行少年の「脚本」(本人によって作られた無意識の人生計画)の一部であり、彼らの脚本信条を如実に反映している」ということである。この視角は被害者支援と加害者臨床との併走を可能にするのではないかと考えられる。
以上のように、本書が示す「加害者理解の「枠」」は、犯罪心理臨床の場だけではなく、司法福祉臨床の場にも応用可能な点が多く、広い意味での加害者臨床にかかわる人びとにより広く読まれるべき1冊であるといえよう。(かけがわ・なおゆき=立教大学コミュニティ福祉学部准教授・社会福祉学)
★かどもと・いずみ=大正大学臨床心理学部臨床心理学科教授・臨床犯罪心理学・Transactional Analysis(交流分析)。名古屋少年鑑別所、府中刑務所などを経て現職。著書に『加害者臨床を学ぶ 司法・犯罪心理学現場の実践ノート』など。
書籍
書籍名 | 臨床犯罪心理学 |
ISBN13 | 9784772421102 |
ISBN10 | 4772421106 |