2025/05/23号

佐野洋子全童話

佐野洋子全童話 佐野 洋子著、刈谷 政則編 小池 昌代  もう死んでしまったし、会ったこともないが、その人が書き残したものは、偽善の追い払われた荒野のような魅力で、今もさっぱりと、人を励ます。焚き火が消えるまで(死ぬのは)待つという話(村上春樹「アイロンのある風景」)があったが、佐野洋子の、とりわけ本書の創作の持つ力は、さながらその、海辺で焚く火だろう。野性的で温かく官能的で、そして死ぬのは、これを読んでからにしたらどうだと、束の間、人を引き止める。  少女の「私」が、子供時代を語る「北京のこども」。詩のような分かち書きになっていて水流のように言葉が流れこんでくる。佐野洋子は詩人と結婚し、そして別れた。これは事実だが比喩でもあるとわたしは感じている。この人が、時に現実から乖離するふるまいを持つ〈詩〉に対し、憎悪を持っていても不思議じゃない。わたしは、そう思っていた。そう、感じさせるところが実は魅力だった。ところがこの『全童話』には、詩人を名乗らなかった佐野洋子の、本質から汲み出されてくる〈詩〉が至るところに散らばっていた。むき出しの岩のような顔をして。  虚構を通して、初めてあらわになったもののひとつが独特の時間感覚だ。「北京のこども」に限らない。「あのひの音だよ おばあちゃん」「あの庭の扉をあけたとき」「はこ」「白いちょうちょ」「ぼくの鳥あげる」「100万回生きたねこ」「ともだちはモモー」。過去・現在は入り混ざり、時間は歪み、いきなり飛ぶ。原初の記憶が呼び起こされ、三次元、四次元の世界構造が、透明な建築物のようにむきだしになっている。それでいて、今、現在が、始終、棒のようにぬっと顔を出すのだ。生きる苦しみも喜びも、この世の汚れも美しさも、わじゃわじゃと同居し闘う世界。  外界を虚飾のない目でみる子供の眼差しは佐野洋子のなかで生涯、死ななかったように思う。一例に過ぎないが、「北京のこども」に、佐野洋子の物の見方を表す面白い記述があった。隣家には、三味線を弾く小母さんが住んでいて、ものすごくきれいな着物を着た女の人たちが出入りしている。「父」は、(小母さんは)「芸者だったんだろう」などと言うが、「私」は芸者が何であるかも知らず、ただ、ひたすらそのきれいな着物と女の人たちにみとれている。そして、「私は着物と中身の区別がつかなかった。/とてもきれいな着物は、からだから生えてきているみたいに見えた」。  余計な想像力をまったく使わず、徹底的に現実の表面を見尽くすことで、対象の内奥に誰よりも早く到達する。これは文筆家というより画家の目ではないか。この「画家」は、見えるものだけでなく、見えないものの輪郭をも、強い握力で描き出した。たとえば、「私」は、非言語であるところの「視線の流れ」に多くの意味を感じとる繊細な子だ。「兄」の残した物言わぬ「目」を、いつまでも忘れないでいる。佐野洋子は、その「黒目」だけを、ピリオドのように文のなかに置く。あるいはまなざしの「線」だけを引く。そこに意味を込めない。言葉で説明しない。  「私」はお母さんのおっぱいを沢山飲んだせいか食への欲望が半端なく、父親には、「こんな太いくそをする子供は見たことがない」と言われている。その生命力が佐野洋子の指先に乗り移り、次々、「くそ」ならぬ「文」を押し出していった。どの一行も、もはやこの世にはない肉体から、ついさっき飛び出してきたもののように生々しい。  著者が亡くなって十五年。「編者あとがき」によれば、最初にこの企画が生まれたのが二〇〇九年頃だったらしい。佐野洋子の身体には、すでに癌が進行していた。「あんたに頼みたいことがあるんだけど…(略)…私の全童話集って本を作ってくれない」。その依頼を形にしたのが、編者、刈谷政則さん。本書は遂行された約束の一冊だった。(こいけ・まさよ=詩人・作家)  ★さの・ようこ(一九三八―二〇一〇)=絵本作家・エッセイスト。著書に、絵本『わたしのぼうし』(講談社出版文化賞絵本賞)『100万回生きたねこ』『ねえ とうさん』(日本絵本賞、小学館児童出版文化賞)、童話『わたしが妹だったとき』(新美南吉児童文学賞)、エッセイ『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)など。

書籍

書籍名 佐野洋子全童話
ISBN13 9784652206638
ISBN10 4652206631