- ジャンル:民俗学・人類学・考古学
- 著者/編者: 鶴岡真弓
- 評者: 川村悠人
渦巻の芸術人類学 死と再生のスパイラル
鶴岡 真弓著
川村 悠人
本書が描き出すのは、渦巻・螺旋をめぐる人類の壮大な物語である。人類は、渦巻・螺旋の文様を遙か昔から描き続けてきた。そこに表された意味、託された想いが本書において優美かつ力強く語られる。およそ四〇年にわたる著者の研究成果が一つの芸術ともみまがう結晶となって、ここに結実している。
時代や地域、対象を問わず、多種多様な「渦巻・螺旋」が議論の俎上に載せられ、途轍もないスケールのもと人類の内奥へと接近する。抽象度の高い事柄をこれだけ具体的かつ躍動的に語り尽くす著者の筆致には、脱帽の一言しかない。
渦巻・螺旋の文様は、現代でも目にするものである。そのような文様を人が描くとき、あるいはそのような文様を人が観察するとき、人の無意識下にどのような思考が存在しうるのかを、本書は教えてくれる。余談になるが、私には、古代インドの至高神を表す名の文字を使ってその神の深淵なる性質を完全にとらえたような文様を描けないか、苦心していた時期がある。そのとき、無意識的に私が描こうとしていたのがまさしく渦巻・螺旋であった。なぜ、渦巻・螺旋だったのか。
直線でもなければ単なる曲線でもない渦巻・螺旋の文様が、人に喚起させてやまない表象。それは、静的に調和して完成された宇宙ではなく、動的な変化を永続的に繰り返し、いつまでも未完なるものとして蠢(うごめ)く宇宙である。
すべての存在はいつでも、そしていつまでも過程の只中にある。ほんの一瞬たりとも、世界が動きを止めることはない。人の死は当人の世界が止まる瞬間とも言えるが、それもまた、次なる生へと至る過程の一つである。いま私たちが生きているこの宇宙の死すらも、次なる宇宙への分節点にすぎない。
永遠なる循環性、無限性。破壊と創造、死と再生、いつまでも続く生命の循環。もはや人間の言葉では語ることができない大宇宙の呼吸にも似た律動、それを直観させる最たる象(かたど)りが、渦巻・螺旋の文様である。それは、いうならば言葉よりも雄弁に何かを語るものである。芸術は、言葉を超えた真理を直視するための扉となる。
渦巻・螺旋の文様は、死した何かをも「反転」させて、「生まれ変わらせる」ほどの呪力を秘めている。それは、描かれた文様として静的なものであるにもかかわらず、一方では動的な生命力となってほとばしる。渦巻・螺旋の文様は、いつまでも続く動的な生命循環への切なる祈りでもあった。
絵や写真には、世界を静止画として切りとるという側面が確かにある。その場面その瞬間だけの美しさが、そこには映し出されている。古典インドの文学でも「絵」は静止の象徴として語られるのが常である。たいして渦巻・螺旋の文様は、いわば動く絵、動き続ける絵であって、人々の想いをのせたその円舞が終わることはない。
本書のタイトルには「芸術人類学」という言葉が使用されている。著者の鶴岡には『芸術人類学講義』(筑摩書房、二〇二〇年)という編書もある。芸術人類学(アート・アンソロポロジー)と呼ばれる分野において、私たち人間は「マン・オブ・アート=芸術人類」としてとらえられる。人間は、何かを描かずにはいられない衝動をその基底的な本質としてもつのである。子どもたちが驚くべき集中度と信念をもって「お絵かき」に没頭するのも、故なしとしない。そしてそれは、所詮は子どものお絵かきだからといって軽視できるものではない。子どもたちが必死になって筆先を動かしているその紙の上には、言葉で表現することのできない人間の深層、精神の深奥において渦巻いている何かが、姿をとって現出している。
芸術・言語・宗教・神話・哲学といった領野を横断しつつ、桁外れの学識と規模をもって人類の根源へと迫る本書を、ぜひ手にとってみてほしい。人間とは一体いかなる存在なのか、その途方もない問いを思索していくための礎石の一つとなってくれるだろう。
膨大な時を越えて紡がれてきた渦巻・螺旋の文様は、終わりなき人類の歌である。私たちはこれからも、渦巻・螺旋の文様を描き続けていくに違いない。(かわむら・ゆうと=広島大学教授・インド哲学)
★つるおか・まゆみ=多摩美術大学名誉教授・芸術人類学者・ケルト文化・ユーロ=アジア文明交流史。著書に『装飾する魂』『ケルト 再生の思想』(河合隼雄学芸賞)など。
書籍
| 書籍名 | 渦巻の芸術人類学 死と再生のスパイラル |
| ISBN13 | 9784791775972 |
| ISBN10 | 479177597X |
