黄金の函から緑のハードカバーを取り出せば、ヴィクトリア時代に出版されたクロス装の書籍を思わせる。表紙を開けば、コナン・ドイルの伯父であるリチャード・ドイルの色鮮やかな妖精画が次々に現れる。全四巻本となる編者荒俣宏氏単独の翻訳集成の第一巻である本書は、見方によってはヴィクトリア時代「裏」英文学アンソロジーのように見える。アイルランド、スコットランド、ウェールズ、イングランドの田園地帯。ロンドンを中心とした英国メインストリームの対局にあった文学的想像力が、地域と時期に配慮されてバランスよく配されている。それでいて、評者のような年代の読者にとってはたまらないある種の偏りが、本書を同種のアンソロジーとは大きく異なるものにしている。二〇世紀後半、荒俣氏はもちろんのこと、平井呈一、紀田順一郎、澁澤龍彥、種村季弘、須永朝彦、東雅夫(敬省略)といった目利きの先達によって、怪奇と幻想の文学は日本の読者に届けられた。かような大人たちによってもたらされた異界の楽園に、昭和の時代に中高生であった評者はどっぷり耽溺したのであったが、本を手に入れて読む順番と出版された時期の関係性はばらばらであったし、すでに入手困難になっている書籍も多かった。今回刊行されたこの翻訳集成を繙くと、リアルタイムでは感得することがかなわなかった、日本において幻想文学的なるものに対する感性が醸成されてゆく過程を正しい順序で味わい直せるように思える。評者にとっての人生の先輩にあたる読者にとっては、それは当時の興奮を追体験する過程なのかもしれない。
したがって収録作品は既読のものはもちろん、未読であっても多くの作品にはある種の既視感がある。それも当然で、荒俣氏のこれまでの訳業の文字通り「精華」が本書には収められているのであり、新訳となる作品も幻想文学史における重要作品だからである。そうしたラインナップでありながら、冒頭にいきなりリチャード・ドイルの妖精画が並ぶのが虚を突かれるところで、このあたりは荒俣氏の別ラインのお仕事である博物学的なヴィジュアルのインパクトが存分に活用されている(そもそも妖精は人目に触れぬものなのだ)。しかも解説によると、本書収録の妖精画集は一九七二年頃に荒俣氏が月給の二倍の額を支払って購入した大判書籍の復刻であるという。このように本書収録の諸作品がどのように荒俣氏の人生と結びついているか詳らかにされるのが六〇頁を越える解説で、そちらを読んでゆくと氏の『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』(KADOKAWA)のスピンオフを読んでいるような気分になる。解説で取りあげられる作品は必ずしも本書に収録されている順番に沿って並んではおらず、そこがまたかえって興趣をそそる。本書にはところどころにヴィクトリア時代の書籍に付された美しい挿絵が散りばめられており、ウォルター・クレーンの絵本、『夏の女王』までもが収録されている。ウィリアム・モリスの影響が色濃いクレーンの絵は残念ながらモノクロ印刷だが、解説を読む限りカラー印刷にする構想もあったらしい。解説を読みながら、本書の別の形を想像するのもまた楽しい。
許された紙幅が少なくなってきたので収録作を具体的にいくつか紹介しておくと、イェイツの『ケルトの黄昏』からは新訳で三編。かつて芥川龍之介が柳川隆之介名義で同書から三編を訳していたことが思い起こされる。イェイツの後にロード・ダンセイニが二編並ぶところは、かつて団精二という名で翻訳に携わられた荒俣氏ならではの配列。スコットランドからジョージ・マクドナルドとフィオナ・マクラウドが二編ずつ並ぶのは一九八〇年代の幻想文学少年にとっては感涙もので、ウェールズからはアーサー・マッケンが選ばれているところからは、本翻訳集成が第二巻以降怪奇や恐怖の色合いを濃くしてゆく気配が感じられる。本書には詩も複数収められているが、白眉はやはりたくさんの挿絵と共に訳出されたクリスチーナ・ロゼッティの「小鬼の市」。ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティの「召された乙女」も収録されており、英文学史の正典ど真ん中のラファエル前派においても妖精の主題が重要であったことがわかる。変化球は、意外にもH・G・ウェルズの手による妖精譚「妖精の国のスケルマースデイル君」で、これは新訳。最後はA・E・コッパードの作品二編で締められるが、この選択には二十代の頃の荒俣氏のお仕事が大きく関係しているようだ。バランスよく広範に目配りされていながら最終的な作品選択の決定は編者の個人的な理由と感性によっており、そこが全く隠されていないところこそが、この翻訳集成の大きな魅力なのである。
本書の版元である春陽堂書店は昨今の厳しい出版事情のなか、この企画を後世に遺るものとして採算を度外視して実施することを決め、クラウドファンディングに打って出られた。幸い、結果は芳しいものであったようだ。幻想と怪奇の物語を収めた美しい本を愛する全ての人たちに、どうぞ幸あれ。(しもくす・まさや=同志社大学教授・英文学)
★あらまた・ひろし=小説家・博物学者・翻訳家・妖怪研究家・コメンテーター。一九七〇年代より、「団精二」の筆名で海外SF&怪奇幻想文学の翻訳をスタート。京都国際マンガミュージアム館長。一九四七年生。
書籍
書籍名 | 妖精幻想詩画帖 |
ISBN13 | 9784394904618 |
ISBN10 | 4394904617 |