無意味なんかじゃない自分
荒井 裕樹著
川村 のどか
「二類相当」か「五類」かといった議論はまだ耳に新しい。コロナを社会の中でどう扱うかという話だ。この議論の前提となる「感染症法」には、過去のハンセン病施策への反省が明記されている。「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」(厚生労働省ホームページ)。
法律としては異例の前文だが、その異例さは、この前文を守ることの難しさを表している。私たちはコロナ禍の混乱の中で、感染者個人を幾度もバッシングした。おそらくその声の中の一部が、今は排外主義を叫んでいる。「安心・安全」という、いつの時代も神話でしかないものが脅かされたと感じたとき、私たちの社会は意にも介さずこの前文を破る。だからこそ大事なのは、この文言を空虚な建前にすることではなく、内実を伴う生きた反省とすることだろう。本書を読んでハッとさせられたのは、そのための営みはそのまま文学とも呼び得る、という視点だった。
この点を説明するために、まずは本書の主題である作家・北條民雄にふれたい。「いわれのない差別や偏見」の渦中を、北條は患者として生きた。「らい病」と呼ばれたハンセン病は、容姿に影響が出ることから、中世より宗教的な忌まわしさと結びつけられてきた。近代になり科学的な解明が進むと、衛生環境の不整備によって発症することがわかる。患者の存在は都市の遅れを証明する不名誉なもの。そう捉えた当時の政府は、西洋への体面を考慮し、隔離政策を断行した。それが一九三一年、満州事変が起きた年に成立した「癩予防法」である。軍国主義的な世相を背景に、患者は「国辱病」「日章旗の汚点」といった中傷に晒された。このような状況下、北條は隔離された療養所で小説を書いた。
『いのちの初夜』で北條民雄を知る人の中には、「いのち」の意味を思索する魂の作家、といったイメージを抱いている人もいるだろう。それは一面では正しい。しかし、等身大の北條は、もっと卑近な若者だった。学歴を楯に自分たちを区別したり、他の患者の短歌や詩を見下したりしていた。プロレタリア文学に影響を受けたにも関わらず、療養所内に存在した経済格差に無感覚だった。これらの点は、本書の原型である『隔離の文学』でも詳論されている。ただし、著者は北條を一方的に批判しているわけではない。傲慢さや心浅さを指摘しつつも、彼がそうせざるを得なかった背景に注意を向けている。
匿名の第三者が叫ぶ社会の声は、身近な家族や友人の口を介して、当事者の耳に届く。そういう社会の声は、巧妙で強力に内面化される。曖昧で勝手な他人の評価が、いつしか自分の基準となってしまうのだ。凡近な例で言い換えよう。数学や英語が苦手とか、仕事が上手くできないといったことは、人の評価において、数ある基準の一つでしかない。さして重要ではないことすらある。それなのに、特定の基準を持った声に晒されていくうちに、いつしか同じ目で自分を眺め、自らを無意味だと宣告させられることがある。
差別においては、この内面化が、時には自らの死を選択させるほど苛烈に作用する。北條が格闘したのはこのような状況だった。その中で傷つけられた自尊心を守ろうとした結果、同じような境遇の人々を攻撃したり、「自分だけは違う」と言って見下したりする。それはそのままでは容認できない一方で、一律に否定すれば、別の差別に通じていくような問題でもある。著者は、このような「問いにくい問い」が当事者の表現にこそ宿る点に、まずは注目する。安易に白黒をつけて断じるのではなく、ましてやバッシングに走るのではなく、彼がそうせざるを得なかった背景に思いを馳せるのだ。
私が著者を尊敬したのは、「問いにくい問い」へのこの姿勢が、現実の人間関係の反映でもある点だ。著者の成果は、歴史の当事者たちとの交流を通して成されている。ハンセン病図書館の山下道輔氏との交流から、北條の日記原本(真筆版)を共同で刊行した実績も、その一例だろう。本書は、内実を伴う生きた人間関係の中で、著者の文学が問われた、その結果でもある。書いたように現に生きている。そういう人の言葉にしか宿らない、凜とした佇まいを感じた。(かわむら・のどか=批評家)
★あらい・ゆうき=二松學舍大学教授・障害者文化論・日本近現代文学。文筆家。著書に『障害と文学「しののめ」から「青い芝の会」へ』『凜として灯る』『隔離の文学 ハンセン病療養所の自己表現史』『障害者差別を問いなおす』『まとまらない言葉を生きる』など。一九八〇年生。
書籍
書籍名 | 無意味なんかじゃない自分 |