長年に渡り日本の経済政策論壇をリードし、日本銀行副総裁を務めた岩田規久男先生の新著である(書評で敬称はおかしいと思うかもしれないが、評者にとって直接の指導をうけた「先生」なのでしょうがない)。時論集でありながら、経済学入門であり、そしてメモワールでもあるという一冊で三つの「味変」を楽しめる著作だ。
若い読者のなかにはご存じないむきもあるようだが、岩田先生は日本で初めて「主流派経済学に基づくわかりやすい経済解説書」をものした人物といっても過言ではない。かつての経済書は主流派経済学とは無縁の時事解説か、一般読者の理解を求めない難解な著作に二分されていた。主流派経済学に基づき、かつ初学者にも理解できる教科書・解説書が豊富に存在する現代の状況はうらやましい限りである。私にとって岩田先生は研究上の師であるだけではなく、啓蒙書執筆者としての大先達でもある。本書においても、理論的なバックグラウンドとわかりやすさの両立が達成されていて、初学者でもストレスなく読み進めることが出来るだろう。
そして、わかりやすさにとどまらない岩田流経済論の特性が本書の通奏低音になっている点も見逃せない。その特長はおもにふたつ。
その第一が「中道」である。これは岩田先生の論争的なスタイルからみると意外に感じるかもしれない。しかし、中道なのに論争的なのではない。中道だから論争的なのだ。
例えば、あらゆる経済活動に政府の指導や規制を必要だと考える経済学者とあらゆる規制・指導が有害だと考える経済学者の間では――意外なことに論争が生じることは少ない。お互いが依拠する論理、価値観、さらにはテクニカルタームに隔たりが大きすぎて対話が成り立たないのだ。その結果、お互いがそれぞれの陣営の仲間の中で敵陣営の悪口をいって溜飲を下げるような言説ばかりとなる。一方で、マルクス経済学やラディカリズムといった左派の経済理論ではなく、サプライサイド経済学や構造改革論のような手放しの自由放任論とも異なる立場から発信を続けるのは容易なことではない。いつもその両陣営から論争を挑まれ続けるからだ。しかし、評者は(おそらくは岩田先生も)いずれの極論も正しい経済政策に至ることはないと考えている。
岩田流経済論の第二の特長は「知行合一」、または「知言合一」である。本書の中では具体的な氏名・書名を挙げての論評が多いが、そのなかでも日本の経済学界における巨人たちについての人物評は読みごたえがある。これは岩田先生クラス(?)のベテランでなければ書けない内容なだけに、貴重な記録でもある。
経済学者が政策提言や時評を語るときに「自身が論文で書いたこと」に忠実であるとは限らない。要は、論文で言っていることと提言する政策が関係ない、何なら論文と政策提言が正反対という人も少なくない。
その理由は理論と現実とのギャップにある。経済学者が政府委員や公職につくと、現実と経済理論の違いや法・制度の複雑さに驚かされる。理論は現実の実寸大コピーではあり得ないため、当然のことなのだが――このギャップにショックを受けて、突然官僚や活動家による「現場の知識」の追従者になってしまう専門家が多いのだ。
しかし、理論と現実が異なるからこそ、理論をいかに生かしていくかの工夫のしどころのはずだ。本書からは日本銀行副総裁という要職中の要職を経験した岩田先生が、実務家による現場の知識を生かしながら、いかにして経済政策を考え抜いたかを読み解くことも出来よう。
右でも左でもない。主流派経済学の中道にたち、その理論的背景に忠実に書き下ろされた本書は、知行合一、知言合一の人である岩田経済論への入門書としても有用な一冊である。(いいだ・やすゆき=明治大学政治経済学部教授・経済学)
★いわた・きくお=上智大学名誉教授・学習院大学名誉教授・金融論・都市経済学。二〇一三年から五年間日本銀行副総裁を務める。著書に『資本主義経済の未来』『日銀日記』など。