2025/08/22号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 75・内藤廣

百人一瞬 小林康夫 第75回 内藤 廣(一九五〇―    )  「赤鬼と青鬼の場外乱闘」というので、どんな修羅場か、見に行かなければと行ってみたら、やはり内藤さんの原点とも言うべき「海の博物館」(一九九二年)からはじまって、最後は「益田市都市模型」と「渋谷都市模型」まで、BuiltもUnbuiltも含めて、彼が構想した建築・都市の模型五〇点あまりが展示されている大展覧会だった。  じつは並行して、別の場所で「なんでも手帳と思考のスケッチ」と題した何十冊もの手帳の展覧会も行われていて、こうなると「建築家・内藤廣」のこれまでの道のりの痕跡一挙公開となって、いや、正直に言うと、ひとつひとつの展示作品へ反応する以前に、なんと言っていいのか、こんな「総括」をやってしまうのか、君は!という驚きが強かった。  内藤さんとわたしは同い年。彼の建築と出会ったのは、一九九五年、雑誌『建築文化』の連載エッセイのために「海の博物館」を訪れたとき。その後、彼が東大・工学部の教授となってからは、彼の21世紀COEプログラム「墓地研究会」で小発表を行ったり、一緒に東大のある古い建物の再活用プロジェクト案を練ったりもした。その後も、彼から呼ばれて、彼がいま会長となっている日本デザイン振興会の評議員になったり、つい最近一昨年五月には、彼が学長になったばかりの多摩美術大学で連続講義をしていたら、不意に、学長が会場に乱入してきてみんながびっくり、すると内藤さんは笑いながら「だってダチだからさ」と一言。なにか不思議なご縁である。  で、冒頭の「赤鬼」「青鬼」だが、どうやら内藤さんの分裂した自我のようで、「青」が「目の前のことを受け止める」真面目なキャラ、「赤」が「違う次元に飛んでしまう」過激なキャラということになるらしい。  だが、そうなると、(自宅に戻って、昔、書いた拙論を久しぶりに読み返してみたのだが)、その分裂を、はじめからオレはちゃんと見抜いていたんじゃん、と言いたくなってきた。  なにしろ、そこで「海の博物館」について、一方では、「はじめから海の博物館という建物の生命とともにあろうとし、そこから出発して構想された建築」、すなわち、われわれの「記憶の奥深くにあるなつかしい共同性が立ち現れてくる無名の風景の建築」だと言いつつ、他方、同時に「内藤廣という固有名詞に触れなければならない強烈な建築的思考の表出」もあって、それは、「竜骨状のリブ構造体」に集約される「建築を地面との関係において決定される力学的な構造体として徹底的に考え抜く」思考であり、その二つがついには「きわめてシンプルで独創的なジョイント形式」として連結されると論じているのだった(拙著『建築のポエティクス』、彰国社、所収)。  なつかしい無名の共同性の風景、そして独創的な力学的構造。どちらが「赤」でどちらが「青」かはわからないが、内藤さんの建築の本質は、その二つの異なった「鬼」の(「裂け目」ではなく!)ジョイント・ユニットにこそある、と三〇年前にオレは見抜いていたんだぜ、とここで乱暴に言い放っても、この文字通りの「場外乱闘」、きっと「しようがない、ダチだから」と、ゆるしてくれるよね、内藤さん!  「建築家・内藤廣、赤鬼と青鬼の場外乱闘in渋谷」(渋谷ストリーム・ホール)は八月二七日まで、「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチin紀尾井清堂」は九月三〇日まで。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)