2025/09/26号 6面

「読書人を全部読む!」7(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光 第7回 そんな手があったのか!  創刊号を読みながら、声を出して笑ってしまった記事がある。そんなことでいちいち立ち止まっているのもなんだけれど触れておきたい。  第3面「文学 芸術」のコーナーに、室生犀星(作家/1889-1962/69)が書評を寄せている。とりあげているのは、深沢七郎(作家/1914-1987/44)の『笛吹川』(中央公論社)だ。深沢七郎は、1956年の「楢山節考」で第1回中央公論新人賞(選考委員は伊藤整、武田泰淳、三島由紀夫)を受賞したばかりの期待の新人。本紙創刊号が発行された1958年5月は、姥捨伝説を下敷きにした同作が木下惠介監督により映画化され、公開される直前でもあった。  深沢の本としては2冊目となる『笛吹川』は、戦国の世で武田家3代の興亡と、乱世に翻弄される農民らの生死を描いた書き下ろしの長篇小説である。同作については、平野謙と花田清輝の評価の違いから、江藤淳その他の批評家も加わっての論争が生じている。  では、室生犀星は同作をどう評したか。「読みよい歴史小説」との見出しにあるとおり、先へと読まされる点を褒めながら、「かなめを克明に描くことをしないで、さっさと惜気もなく通りすぎている」ところはやや物足りない様子。ただ、それも良し悪しがあるようで、作中、川中島の戦いをただの戦として扱っている点については面白がっている。  さて、ここからもう少し詳しく論じるのかなと思っていると、急に終わりを迎えそうなことがレイアウトで感じられる。文章はこんなふうに締めくくられる。  「もっと書きたいが私は半分しか読む時間しかなく、編集者にこの原稿を渡さなければならないので、半分読みの感想を述べることになったのである」  「それでええんかい!」と笑いながら紙面につっこんでしまった。これまで書評と名の付く文章はそれなりに読んできたけれど、ここまで率直に読み終えてないことを述べた文章を見た覚えがない(読まずに書いてるナ、と感じる書評はあれど)。その手があったのかと心のメモ帳に記したあとで、とはいえ老境の大先生だから許されたのかもしれないとも思う。  ところでこの半分書評が載った号には、『笛吹川』の広告が出ている。「不滅の国民文学「楢山節考」の作者が満を持して放つ書下ろし長篇!」とあり、「諸家絶賛!」という欄には、武田泰淳、青野季吉、宇野千代、石坂洋次郎による推薦の言葉が並ぶ。いまでもそうかもしれないが、こうした文章は作家の全集類にも入らないことが多く、古新聞や雑誌を読む楽しみの一つでもある。「広告意匠 竹内六郎」と、単行本の装幀も担当している谷内六郎の名が添えてあるのも目を惹かれる。この時点で「七万部突破!」とのこと。  ついでながら、『笛吹川』は現在、講談社文芸文庫で町田康の解説とともに読める。そろそろ創刊号に別れを告げて、時計を先に進めよう。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)