2025/10/31号 4面

アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか

アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか 藪 耕太郎著 佐藤 雄哉  私は歴史の授業があまり好きではなかった。年号と出来事の暗記ばかりで、授業で語られる歴史を「人間の営み」ではなく、「記号の羅列」としてしか捉えられなかったからだ。  本書で主題の「サンテル事件」も同様である。米国のプロレスラーが、柔道の総本山である講道館に異種格闘技戦を申し込み、講道館はその申し入れを断るものの、一部の門弟が独断で対決し、のちに講道館から処分される。そんな記号的な理解しか持っていなかった。そしてそこにあったのは、「喧嘩を売ってきた輩を一笑に付した講道館」と、「講道館の方針に則さず喧嘩を買った門弟」というなんとも短絡的なものの見方である。しかし本書は、その浅薄な理解を大きく覆し、事件を取り巻く人間模様と時代背景を鮮やかに映し出す。記号でしかなかったサンテルや同時代の柔道家は、読後の私にとって、紛れもなく人間であった。  本書は冒頭において、この事件を「ミステリー」として捉えている(10頁)。言い換えればそれは、サンテル事件を単なる歴史上の出来事として捉えるのではなく、なぜ事件が起こったのかという過程に着目する姿勢である。それを示すように、本書はサンテルが柔道や柔術と関わりを持つ以前、1910年前後、アメリカ西海岸の日系社会から始まっていく。サンテル事件が1921年に起こったことを考えると、実に10年以上もの歳月を追うミステリーである。当時の西海岸では排日運動が盛んで、その鬱憤を晴らすべく、日本古来の運動文化である柔道や柔術が、白人スポーツの代名詞であるレスリングやボクシングを打倒する「異種格闘技戦」が熱狂の中心だった。そんな中、圧倒的な強さで君臨し、日系社会に「打倒サンテル」(114頁)の気運を高めさせたレスラー、アド・サンテルは、度重なる柔道家、柔術家との対戦で彼らを蹂躙する。しかし、そこに芽生えたのは単なる敵対心ではない。現に、日系社会の中にもサンテルを支持する者が現れ始める(70頁)。極めつけは、サンテルがアメリカレスリング界からの「黒船」ではなく、井の中の蛙と成り果てた日本柔道界に、日系社会が送り込んだ「刺客」であったという解釈である(153頁)。この主張を見る限りにおいて、少なくとも海の向こうでは、日本人がサンテルに対して、奇妙な友情を抱いていたことは間違いないだろう。そしてミステリーの顚末は、著者の述べる通り、不可能性と無意味性という身も蓋もない結論(10―11頁)へと進んでいくのだが、その内容は実際に読んで確かめてほしい。  さて、視点を現代に戻してみよう。世界的に普及・発展した柔道においては、度重なるルールの変更、柔道強豪国に根付く「ブフ(モンゴル)」や「チダオバ(ジョージア)」といった民族格闘技からの新技術の輸入、そしてそれに伴う戦略の多様化により「今のJUDOは柔道ではない」という言説が根強い。例えばその言説を、岡部平太に代表される「第三世代(本書では、各格闘技がそれぞれ独立し、分化していった〝整理と分別〟の世代とされる)」(208頁)以降の講道館に求めるのであれば、確かにその見方は正しいのかもしれない。しかし、第一世代の嘉納治五郎や、第二世代に代表される前田光世といった「創世記の姿(本書では第一・第二世代を、未知の格闘技と遭遇し、その技術を柔道に取り入れ続けた〝冒険と進取〟の世代とされる)」(206―207頁)、すなわち原点から見るのであれば、「今のJUDOこそが柔道である」と捉えることも不可能ではない。  本書では、創世記の柔道家にとって、柔道が「未完の文化」であったと述べられている(207頁)。では果たして、創設から150年余を経た今、柔道は完成しているのだろうか。半ばこじつけに過ぎない私の意見だが、未知の技術を柔軟に吸収していく姿勢もまた、柔道の「柔」が示す理念の一端だと思う。そして、仮にそうであるならば、あらゆる状況に対応し、変化を続けていくことこそ、嘉納が私たちに託した課題ではないだろうか。柔道の益々の発展を願う上では、そんな解釈の余地すら残しておきたい。(さとう・ゆうや=国士舘大学体育学部武道学科講師・体育哲学)  ★やぶ・こうたろう=立命館大学産業社会学部准教授・体育・スポーツ史。著書に『柔術狂時代』(第四四回サントリー学芸賞)など。

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