石油が国家を作るとき
向山 直佑著
片岡 剛士
国家を成立させる要因とは果たして何だろうか。海に囲まれた島国である日本に住む我々にとってみると、こうした問いは意識しがたいものかもしれない。確かに21世紀最初の20年間で新たに誕生した国家の数はわずか4つしかないことを念頭におけば、国家の盛衰は今ではマイナーな話題に過ぎないのかもしれない。だが現在存在する国家の半数以上が70年未満の歴史しかないことを念頭におくと、世界的にみて国家の盛衰は依然として重要である。統合から分断が意識され、地政学的リスクや紛争・対立の拡大・深刻化が懸念される現在においてその重要性は更に増している。
本書は、第二次世界大戦後の脱植民地化により誕生した主権国家の形成過程を、戦後世界経済において最も重要な天然資源である石油に焦点を当てながら議論している。本書の読みどころは大きく3つある。
まず第1の読みどころは、東南アジアのブルネイ、中東のカタール、バーレーンといった国々を対象として、これらの国々がなぜ主権国家として成立したのかが議論されている点だ。
戦後の脱植民地化は多数の植民地が主権国家へと統合される過程であった。著者によれば、ブルネイ、カタール、バーレーンは、本来ならば他の地域に統合され、独立国家として存在しえないはずであった。それがなぜ独立国家として成立しえたのかと言えば、石油と保護領制度という2つの要素が決定的に影響した。産油地域であるブルネイ、カタール、バーレーンは石油収入から莫大な収益を享受していた。これらの地域が大きな国家に組み込まれれば、産油地域自らが石油収入から受け取るメリットは減るため、産油地域が統合を受け入れるメリットは薄い。そして石油から得られる膨大な収益は経済面や財政面で産油地域が宗主国から自立する手助けにもなり、周辺地域の脅威から自国を守る盾にもなり、宗主国から独立を果たす際の交渉材料にもなる。本書では、保護領制度の有無と石油資源の有無の2軸で想定される合計4つのケースのうち、保護領制度を有し石油資源があるとのケースに当てはまるブルネイ、カタール、バーレーンが周辺地域とは異なりなぜ主権国家として独立しえたのかを比較歴史分析の枠組みに基づき明らかにしている。その分析は明晰で門外漢にもわかりやすい。
第2の読みどころは天然資源が領域主権に及ぼす様々な影響についてである。天然資源の有無が独立国家の成立に影響すると言っても、影響の度合いは天然資源の持ちうる商業的価値や天然資源の発見時期に応じて異なる。本書では石油だけではなく、石炭や貴金属、天然ガスの歴史的影響を分析しながら、植民地化から脱植民地化までの時期に石油が発見されると、その地域が単独独立するのか、その理由を明らかにする。石油は第二次世界大戦後の脱植民地化の時期において他の化石燃料と比べ最も価値が高く、かつ輸送が容易であるため、産油国に経済的メリットが集中しやすい特徴を備えていた。こうした特徴を有した石油が植民地化から脱植民地化までの時期に発見されたからこそ、ブルネイ、カタール、バーレーンは保護領制度も相まって他地域に統合されることなく、単独独立することが可能になったということだ。著者が指摘するとおり、こうしたポイントは著者の他の分析と合わせて国家がなぜ形成されたのかという問いに対する理解をさらに拡げることにもなるだろう。
最後に第3の読みどころは、本書の分析の射程の広さについてだ。戦後の脱植民地化に石油と保護領制度という2つの要素が影響していたということは、今後、当時の石油と同じような特徴を有する資源が新たに見出された場合、そうした地域が国家の分離独立の起点となりうる可能性を示唆する。また脱植民地化の流れの中、独立国家としての道を選択しなかったいくつかの地域がなぜ属領に甘んじ続けているのかという点に対しても、宗主国と植民地との経済的な関係性やインセンティブが重要な決定要因であるという見方から得られる示唆は多いだろう。
あとがきによれば、本書の「起源」は著者が「資源の呪い」(豊かな天然資源を有する国や地域において経済成長が遅れたり、経済水準が低下する現象)という議論に対する違和感から始まったとのことである。違和感をなおざりにせず、問いを立て、論理の道筋を検証・分析し、結論を得る。本書を読むことで、読者はこうした試みの面白さも体感することになるだろう。(かたおか・ごうし=PwCコンサルティング合同会社・上席執行役員・チーフエコノミスト)
★むこやま・なおすけ=東京大学未来ビジョン研究センター准教授・国際関係論・比較政治学。
書籍
書籍名 | 石油が国家を作るとき |
ISBN13 | 9784766430042 |
ISBN10 | 4766430042 |