2025/11/07号 6面

「読書人を全部読む!」13(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光  1958年に別れを告げる前に、年末号を見ておこう。12月15日(第254号)と次の22日(第255号)は2号連続で1年の回顧に充てられている。254号では「一九五八年の文壇」について臼井吉見と山本健吉が、255号では「一九五八年の論壇」について戒能通孝と日高六郎がそれぞれ対談している。  この連載では登場する人物について、紙面に載せてある肩書きと生没年、掲載号の時点での年齢(概算)を添えている。臼井と山本については肩書きの表記が見当たらないので別の号で補えば、それぞれ臼井吉見(文芸評論家/1905-1987/53)、山本健吉(評論家/1907-1988/51)となる。また、論壇担当の2人は、戒能通孝(東京都立大学教授・民法専攻/1908-1975/50)と日高六郎(東京大学助教授・社会学専攻/1917-2018/41)である。日高以外は3人とも明治末頃の生まれで、終戦時には37から40歳だった人たちだ。  まず文壇の回顧から見てみよう。文壇の崩壊、マスコミの浸透、中間小説の氾濫といった状況に触れた上で、何人かの作家と作品が俎上に載せられている。大きくは、伊藤整『氾濫』、武田泰淳『森と湖のまつり』、中野重治『梨の花』の3作に多くの言葉が費やされている。いずれも1958年に連載が完結したり、単行本として刊行された小説である。伊藤整は技術面では褒める一方、小説としては失敗ではないかとの評価。「何か悪口めいたことになったけれども、たいへんな力作だから申し上げるわけだ」とは臼井の言葉である。  編集部から「小粒でぴりっと印象に残ったもの」はと問われて両人が答えたのは吉行淳之介、安岡章太郎らのいわゆる「第三の新人」だった。吉行、安岡については人見知りする恥ずかしがり屋で、大江健三郎、石原慎太郎、江藤淳にはそういうところがなかったなどと対比する大雑把な人物評価がかえって印象に残る。  論壇の回顧のほうはどうか。こちらは「中央公論」「世界」などのいわゆる総合雑誌に掲載された論文からよかったものを挙げながら、選挙、勤務評定問題、警察官職務執行法の一部を改正する法律案(警職法)、原水爆禁止世界大会、松川事件などの時事が論じられている。こうした過去の記事を読むと、それぞれの雑誌記事も並べて読みたくなるのだが、デジタルアーカイヴが発達してきたいまでも、残念ながら自在にそうできる環境にはなっていない。  戒能通孝が警職法に触れてこんな指摘をしている。戦前に言論関係の仕事を少しでもやっていた人は多かれ少なかれ特高警察にやられるか、その近くにいた。また、現在では特高はなくなったと言うが、実際には警備警察という名でやられている。敗戦後の占領期に検閲はないといいながら実際には非常に激しい検閲があった等々。  思えば1958年とは、まだ戦後から十年ちょっとの時期である。彼らのそうした言葉に触れていると、その背後にあった出来事の痕跡を追って、少しでも近づいてみたいという気持ちも湧いてくる。こうしたアーカイヴを活かす一つのやり方として、それぞれの時代を知るための手がかりをなんらかの形で提示したり、他の資料を示唆するということもあってよいかもしれない。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)