書評キャンパス
北村薫『空飛ぶ馬』
正木 照乃
密室殺人も大爆発も起こらない。しかし、これは日常に潜む謎をくっきりと描き出した、歴としたミステリー小説なのである。
本書は北村薫のデビュー作で、「円紫さんと私」シリーズ第一作目である。五編がおさめられている。主人公の《私》は文学部。噺家・春桜亭円紫の大ファンである。この「円紫さん」が名探偵なのである。ひょんなことが起こり、《私》は円紫さんと出会うことになる。
第一編は、不思議な夢の話である。《私》が、円紫さんと文学部の加茂先生と話しているとき、先生がいった。「理に合わない夢というのは見ないものですかね」 先生は幼少期に、割腹した知らない男の夢を繰り返し見たという。ある夏、叔父が集めている骨董の中に、その男の肖像を見つけた。腹は切っていない。加茂少年は叔父に聞く。「――この人は腹を切らされたの?」 叔父は答えた。「――どうして知っているんだい」
この不可解な謎を解決しようと《私》は思案するが、結局さじを投げてしまう。しかし、円紫さんは普通の調子で「結論は――」といった。「はっきりしている、と思います」
このように、円紫さんは話を聞いただけでほとんどの真相を見抜いてしまうのである。円紫さんが謎を解くことができるのは、誠実に人間と向き合った結果である。
本書には、大学二年生の夏頃から冬までの《私》が描かれる。その間に《私》は、円紫さんに導かれながら、人の哀しみ、醜さ、そして温かさの一端に触れる。第五編で《私》が出会った謎は、人が人を想う気持ちから生まれたものだった。真相を知った帰り道、《私》は思う。「今夜は丁寧に髪を洗おう」と。
私がこの本を読んだのは、大学入学をきっかけに上京した頃だった。その頃の私は、早く大人にならなくては、というような、漠然とした焦りがあった。誰とも目が合わない街中にポンと放り出されたような感覚があって、「自立」というものが背中に重くのしかかっていた。そのような時に読んだこの本には、年の近い《私》の日常が、実感を持って描かれていた。どこか私の日常と重なるような気もした。誰かとの会話、読んだ本、小さい頃の思い出、心に引っかかったこと……。《私》は生きていて、私は彼女の成長を確かに見た。そして、何かが胸にすとんと落ちた。本書を読んだ私が思うに、大人になるということは、自分の中のもやもやから目をそらさず、よく考えて、日々をしっかり生きることである。そうしてひたむきに生き抜くことが、きっと私を大人にしてくれる。焦らなくて大丈夫、この本と《私》がそう言ってくれた気がする。私にとって《私》は、友だちのような、そうでないような不思議な存在である。でも、ずっと支えてくれている大切な人なのである。
作品中に「人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る」という言葉がある。私はどんな馬を駆ろう? どこを走らせよう? いろんなことを経験して、考えよう。きっと簡単なことではない。それでも、手綱を握ることができるのは私しかいない。自分の人生をまっすぐ生きる努力をして、時々「円紫さんと私」に戻ってこよう。そして私は、私と《私》を行き来しながら、《私》と大人になっていく。
書籍
書籍名 | 空飛ぶ馬 |
ISBN13 | 9784488413019 |
ISBN10 | 4488413013 |