2025/10/17号 5面

蜜蜂と遠雷

〈書評キャンパス〉恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(毛利桃子)
書評キャンパス 恩田陸『蜜蜂と遠雷』 毛利 桃子  音を文字に落とし込むことを完璧になしえたのが恩田陸なのではないか。  物語の舞台は「芳ヶ江国際ピアノコンクール」、四人の出演者を追っていく群像劇だ。このコンクールは作中で若手の登竜門とされている。このコンクールに参加する四人を順に紹介する。風間塵、十六歳。養蜂家の父の下、フランスを中心に世界を転々として育った。作中で巨匠とされるユウジ・フォン=ホフマンを師事している。亡き師匠からの推薦状を持ち、コンクールに現れた。栄伝亜夜、二十歳。かつては天才少女として名を馳せていたが、十三歳の時彼女のピアノの師でもある母が亡くなり心の支柱を失うことでピアノが弾けなくなる。表舞台から姿を消したがこのコンクールを最後のチャンスとしてやってきた。高島明石、二十八歳。音大を卒業し、楽器店で働く家庭を持ったサラリーマンで、「生活者の音楽」というテーマを掲げて参加。コンクールの参加年齢制限により最後の挑戦となる。マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、十九歳。幼少期を日本で過ごし、現在はジュリアード音楽院の学生。音楽界での評判が高く、最も優勝に近いと目されている。四人の才能ある若者たちの演奏はどれも心躍り、鳥肌が止まらない音ばかりだった。  筆者は幼いころから習い事の一環として、ピアノに親しんできた。五線譜を読める人であれば、作中に音楽用語が羅列されている方が、より演奏に対する理解が深まるかもしれない。しかし、この作品は徹頭徹尾「文字」で音を表現している。この作品の素晴らしい部分はここに集約されていると思う。特に、第二次予選で演奏される『春と修羅』内のカデンツァという自由演奏のシーンで、それを見ることができる。恩田陸が十二年間という長い年月をかけて浜松国際ピアノコンクールに通い、音楽と向き合うことで到達した領域なのだろう。   音楽が文章として表現されていることで、音楽に詳しくない読者だとしても、登場人物たちの演奏を楽しめると思う。例えば、高島明石の演奏は宮沢賢治の引用や彼の生活の中に息づく音で表現されているため、読者はクラシックや音楽に興味がなくても彼の音楽性についてのイメージを構成できる。  本文中の課題曲『春と修羅』のカデンツァ作曲シーンより、  うん、そうだ、カデンツァはあの台詞をメロディに乗せよう。  パッとそう閃いた。  あめゆじゅとてちけんじゃ  あめゆじゅとてちけんじゃ  (中略)  よし、右手でトシの台詞をメロディに乗せ、点に召された彼女の声が繰り返し降ってくるところを表現し、左手で水晶を拾いながら世界や宇宙に思いを馳せる賢治の日々を描こう。  この部分、小難しい音楽用語は一切なく、高島明石の作り出す音楽を宮沢賢治の作品に紐づけ表現している。  更に、この小説を盛り上げているのはこのコンペティションが他人との競争という観点だけでなく、登場人物たちがそれぞれに自分との戦いで成長していく点に重きを置いているところにあると思う。これが音楽のプロたちが競う場だったとすれば、素人からは理解が難しいし、風間塵や高島明石が登場する意味も失われてしまうだろう。これらの現実感のある舞台設定と、フィクション性のある登場人物たちがうまく折り重なり、多くの人が音楽に没入できる今作が生まれたのではないか。  ★もうり・ももこ=二松学舎大学文学部国分学科国文学専攻2年。バドミントンが好きで、地域の社会人チームに所属して練習に励んでいる。自宅ではゲームや手芸をして過ごす。最近のブームは手帳をデコること。

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