2025/06/06号 6面

世界が見たキモノ

世界が見たキモノ 桑山 敬己著 石井 正己  著者は文化人類学を学ぶために一九八二年に渡米し、大学院生・大学教員として一一年間を過ごして帰国した。そのときには、外国人に見間違われるほど日本人離れしていたという。それほどアメリカ化した眼で見ると、キモノが実に興味深い対象として立ち現れた。日本にいたならば、世界的な視線に晒されたキモノに気づくことはなかったにちがいない。アメリカで学び教えた著者でなければ書けなかった一冊だと言っていい。  まず第一に注目されるのは、キモノに関する写真と図版を一三五点入れたことがある。一九八〇年代からキモノを見つければ写真を撮ってきたという。実は、実家が戦前から東京の内神田にある写真屋だというのだから、筋金入りの写真家だった。だが、そのことと被写体としてのキモノを認識することは異なる。渡米とともに無意識に撮り始めたキモノが次第に意識化され、キモノを通して写真の方法が明確になっていったにちがいない。この一冊を「写真民族誌」と呼んでもよいと述べるのは、そうしたことに由来する。  本書は、キモノについて、西洋人がどのように「見た」のか、日本人がどのように「見られた」のか、日本人はどのように「見せた」のかを論じる。この「見る」「見られる」「見せる」という視線を可視化するために、写真が必須だったことはよく納得される。パリ万博に訪れた三人の芸者を人間展示した様子など貴重な図版も多いが、圧倒的なのは著者自身が撮った写真である。それらは、ヨーロッパの街角から博物館のミュージアムショップ、国際空港のギフトショップに及ぶ。あらゆるキモノを撮そうとした執念さえ感じられる。  文明の格差から見ても、日本人女性のキモノがオリエンタリズムの視線に晒されやすかったことは、容易に納得される。だが、意外なのはエロチシズムと結びつく点である。西洋人女性は窮屈なコルセットを着けていたが、ナイトガウンに相当するキモノは開放的だった。しかも、西洋人が入手した浮世絵の中には春画が多く含まれ、それらにはキモノを脱がずに性の営みができる様子が描かれていた。キモノがエロチシズムを喚起したのはそうしたところにもあるという。  なかでも、キモノと結びつけられたのは、遊女と同一視された芸者だった。芸者は西洋人高官の接待をし、西洋人の現地妻になることもあった。やがて〝ゲイシャ〟は日本文化を象徴し、官能的で異国性あふれるファッション・リーダーになる。そうしたイメージは潜在しつづけ、やがてゲイシャ・ガールとして復活する。日本航空の国際線でスチュワーデスがキモノ姿で乗客をもてなしたのは、まさにそれだった。そこにあるのは性的な魅力に溢れた日本の演出だったと見ている。  近年の問題として注意されるのは、アメリカで起こった二つの事件であろう。キモノを着てクロード・モネ作の「ラ・ジャポネーズ」の前でポーズをとるボストン美術館のイベントが、人種差別的・帝国主義的だと批判され、中止された。また、女性タレントのキム・カーダシアンが自ら開発した女性用の矯正下着を、キモノと名づけて商標登録しようとして批判され、新名称に変更した。  これらの事件について、日本人が西洋人に嘲り笑われた時代に、日本の誇りとなったキモノの歴史に配慮することなく、日本人の心に土足で入ってしまったことに問題があったと分析する。だが、二つの事件が起こった背景に、アメリカにおけるアジア系の人々に対する侮辱があることは無視できない。アメリカにある根強い差別を西洋に一般化すると、見誤る危険性がある。それとともに、キモノを日本人の心に強く結びつけることにも躊躇がある。普段着としてキモノを着なくなった日本人は、キモノを儀礼の場で着る伝統衣装にする一方で、キモノをインバウンド向けの商品にしていて、その意識・無意識は一元化しにくい。  著者は、「調査者が自らの日常を意識的に離れて、日本を一つの異文化として見なければならない」と提唱する。確かに、グローバル時代の研究はそうあるべきだろう。だが、文化人類学の立場からキモノを捉えたのに対して、民俗学の立場ならばどう応えるだろうか。『明治大正史世相篇』などを書いた柳田国男ならば、もっと内在的に、キモノに対する日本人の心を明らかにする必要があると批判するのではないか。この労作に対して、民俗学をはじめとする諸学問からの対話が望まれる。(いしい・まさみ=東京学芸大学名誉教授・日本文学・民俗学)  ★くわやま・たかみ=北海道大学名誉教授・文化人類学・英語圏における日本人と日本文化の表象。著書に『ネイティヴの人類学と民俗学 知の世界システムと日本』、共著に『文化人類学と現代民俗学』、編著に『日本はどのように語られたか』など。

書籍

書籍名 世界が見たキモノ
ISBN13 9784812224045
ISBN10 4812224047