日本政治思想史
原 武史著
齋藤 公太
「日本政治思想史」は、文字通りには日本の政治思想を対象とする政治学の一分野である。同時に、戦後日本を代表する思想家・丸山眞男によって確立されたという歴史的経緯を有する。それゆえに、日本政治思想史の研究は隠に陽に丸山を意識しつつなされてきた。本書はこの分野を代表する政治学者の一人である著者が、自らの研究を集大成しつつ初学者に向けて著した入門書であるが、読者は全編を通じて著者自身と丸山との内的対話を聴き取ることができるだろう。
たとえば「まえがき」で述べているように、著者は個々人の思想を超えたところにある「言説化されない政治思想」に着目し、とりわけ天皇制の問題に焦点を合わせる。そして言説化されざるものをとらえる方法として「空間政治学」を提起する(第二章)。ここからは丸山の問題意識を受け継ぎつつ、方法論のレベルで乗り越えようとする著者の姿勢がうかがえる。他方で著者は所与の政治体制を「自然」として受け入れる傾向や(第一章)、現実のなりゆきに順応する「なる」論理(第三章)に、日本の政治思想に一貫する特徴を見出そうとする。これらは、時に「文化本質主義」として批判される丸山思想史学の可能性をあえて再評価しようとする試みであるといえよう。
第四章以降は時系列順に具体的なトピックが取り上げられていく。丸山以降の学問を批判的に継承しつつ、宗教や女性、鉄道、団地など、従来の「日本政治思想史」の外部にあるものに目を向けようとする著者の姿勢がここでも見て取れる。まず第四章では徳川政治体制を同時代の朝鮮と比較し、「御威光」のフェティシズムによる支配という特質を明らかにする。第五章では近世の国学者から明治期の出雲派に受け継がれたオオクニヌシへの信仰にもとづく復古神道の系譜をたどり、第六章では水戸学を背景として明治期に宮中祭祀や祝祭日などが創出される過程を取り上げる。第七章では近世以来の街道の行列による「視覚的支配」に加えて、鉄道の導入が正確なダイヤによる「時間支配」をもたらしたことが指摘される。
第八章は「文芸的公共圏」や近代の公園、鉄道の車内などを例として、日本における「公共圏」の可能性を探る。第九章は大正期の大阪と東京を比較し、「私鉄王国」「新聞王国」としての大阪における市民社会の誕生を描く。第十章は貞明皇后の例を中心に、近代化後も皇后が保持していたシャーマン的性格を明るみに出す。第十一章では大正期から昭和期にかけて行われた天皇制の再編成、とりわけ「君民一体」の政治空間の創出に注目し、それが下からのナショナリズムである「超国家主義」の登場をうながしたと考察する。第十二章では「国体」に対する「異端」の代表例として、キリスト教やマルクス主義、また北一輝や出口王仁三郎の思想が紹介される。
第十三章では戦後の「アメリカ化」が取り上げられるが、そこで著者は基地問題などを契機とする反米意識が市民運動につながったという歴史のアイロニーに目を向ける。他方で第十四章では「ソ連化」の流れ、すなわちソ連と同様に戦後日本で大団地が建設され、そこに住む人々が革新政党の支持基盤となったことが明らかにされる。第十五章では戦後天皇制の「皇后化」という流れを概観しつつ、国民自身が天皇制のあり方について議論し、決定することの必要性を説き、本書全体がしめくくられる。
以上のように本書の内容は多岐にわたるが、著者の明快な筆致に導かれ、読者は「日本政治思想史」という学問分野が持つポテンシャルを十二分に味わうことができるだろう。著者が取り上げた事例に関しては別様の解釈をすることも可能だろうが(たとえば天皇の資質や出雲系の神々をめぐる思想の系譜など)、もとより本書は「正解」を与える教科書ではない。著者と丸山との対話と同様に、本書もまた読者との対話に開かれている――未知の場所へと向かい、多様な対話にいざなう「鉄道」さながらに。(さいとう・こうた=北九州市立大学文学部准教授・近世近代日本の宗教史と思想史)
★はら・たけし=明治学院大学名誉教授・放送大学客員教授・日本政治思想史。著書に『「民都」大阪対「帝都」東京』『大正天皇』『滝山コミューン 一九七四』『昭和天皇』『レッドアローとスターハウス』『「線」の思考』など。一九六二年生。
書籍
書籍名 | 日本政治思想史 |