2025/07/11号 7面

映画時評・7月(伊藤洋司)

映画時評 7月 伊藤洋司 パヤル・カパーリヤー『私たちが光と想うすべて』  アヌはイスラム教徒の恋人シアーズと会った後、青いレインコートを夜の雨に濡らして無言で帰宅する。アヌが壁に掛けられた楕円形の鏡の前で着替えだし、カメラはその鏡を捉える。鏡にアヌが映り、その奥にプラバが現れて、彼女の様子を窺う。二人はムンバイの同じ病院で働く看護師で同居しているが、性格の異なる二人の間には心の距離がある。しかも、昼間に病院で、プラバはアヌの男性に対する態度を不快に感じ、「だらしない人間は誰からも尊敬されない」と責めたばかりなのだ。鏡の奥に映ったプラバは、居心地悪そうにしながら、「何か食べるの」と尋ねる。アヌが半裸になると、プラバは視線をそらして、「あなたの好物を作ったの、お魚のカレーよ」と言い足す。「お腹空いてない」とアヌが断る。視線を壁に向けたままのプラバをカメラが直接捉える。「ひどいことを言ったわ。ごめんなさい」と、プラバが謝る。アヌが表情を変えて振り向く。時間が飛び、天井から垂れた青い布が夜風に揺れる。アヌが「昔から知ってた人なの」と尋ね、「誰のこと」と聞き返されると、「旦那さん」と言う。「お見合いよ」とプラバが答える。「父から帰省しろと言われて家に着くと結婚が決まってた」寝床に並んで横になる二人を、カメラが交互に示しだす。「見知らぬ人と結婚できるものなの。私には無理」とアヌが言い、「よく知ってると思っていた人が他人みたいになることもある」とプラバが返す。カメラが部屋の窓越しに夜の闇を捉え、夜景のショットがいくつか重なる。プラバは夫に対する複雑な想いを語り続ける。日が変わり、肩を寄せ合いつつ無言で空いた電車の座席に座るプラバとアヌが示される。  パヤル・カパーリヤーの『私たちが光と想うすべて』の中盤に出てくるこのくだりが圧倒的に素晴らしい。魚のカレーがどうなったか見せなかったり、会話が終わると翌朝になっていたりといった時間の省略が上手い。だがそれ以上に秀逸なのが、人間関係の変化のこの上なく繊細な描写だ。二人の女優の演技もそれを撮影するカメラも、どちらもとてもいい。アヌは熱烈な愛を生きるが、両親は異教徒との結婚を決して許さない。プラバは両親が決めた相手と結婚したが、その夫は仕事でドイツに行き、一年以上連絡がない。性格の異なる二人の女性が互いの心に潜む孤独に気づき、真の友情に至る物語。映画の物語をそんな風に要約するのは間違いではない。だが、この映画の真の魅力はそこから滑り落ちる人間関係の極めて微妙な何かだ。例えば、医者のマノージはプラバを好いていて、彼女も好感を抱いている。だが、夜の公園で並んでブランコに乗りながら、彼が彼女に想いを告げると、「私には夫がいる」と言って彼女は去る。プラバが告白を拒絶したのは夫への愛のためではないし、二人の男性を天秤にかけた訳でもない。長回しのカメラがこの複雑で微妙な状況を夜の闇のなかに繊細に捉える。  また、病院の食堂で働くパルヴァティも忘れ難い。彼女は高層ビルの建築のために立ち退きを迫られ、結局、故郷の海辺の村に帰ることになる。プラバとアヌが村まで彼女に付き添う。映画の後半はこの村が舞台となる。その海辺で起こるある出来事と、そこからの一連の展開が素晴らしいが、それは是非、映画館で自分の眼で確かめていただきたい。  今月は他に、『ルノワール』『国宝』『メガロポリス』などが面白かった。また未公開だが、大塚信一の『Poca Pon ポカポン』も素晴らしかった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)