2025/11/07号 4面

昭和の謎

昭和の謎 本橋 信宏著 昼間 たかし  思えば昭和は遠くなった。わずか7日間だった昭和64年生まれでも既に30代半ばをすぎている。そんな時代の出来事は、遠い過去のようでいて誰もが色濃く覚えている。だから、ふと回想したくなる。そんな読書の時間を、この本は伴走してくれる。単に蘊蓄を語ったり資料に基づいて論証するのではない。近年は『全裸監督』で知られる本橋は1956年生まれ。自分の目で見て感じた体温を文章に込めることに長けている世代。だから懐かしい体験を読者と共に語り合う感覚が、この本にはある。  最初ページをめくっていて『ボーイズライフ』で指が止まった。かつての小学館の人気雑誌。そこに連載されていた大藪春彦の小説が三億円事件で参考にされたのではないかというくだり。ここでも本橋は「私の記憶に残るボーイズライフの広告は、少年サンデーでよく見かけた」と一行を挟む。この僅かな言葉が、単なる資料本とは違う血肉を与えてくれるのだ。もうひとつ、こうした過去を語る書籍で欠かせないのは作者が懐かしさのあまりに下世話になってしまうこと。大藪春彦をめぐる記述では、それが存分に現れている。まず語られるのは、大藪春彦の作品の主人公のクルマ好き、女好き、セックス好き、煙草好き、大食漢で権力嫌いという共通項だ。その上でちょくちょく登場し男をシビれさせた独特の表現……女性器は「蜜壷」、男性器は「凶器」そして「収縮をくりかえし」「したたかに注ぎこむ」を紹介する。最後に今なら問題になるとは断りつつも、大藪作品の凄みはここ、女体を男の快楽装置としか見做さない独特のハードボイルドだと書ききることが出来るのは、本橋自身が当時熱狂していたからこそである。ここでまた、読者は「昭和はスゴかった」と懐かしみ、末尾に記された大藪の筆の荒れた晩年の記述に、もののあわれを感じることになるのだ。  そんな文化史ばかりが続くと思いきや、一転出てくるのはラーメン屋「えぞ菊」の話。まだ、醤油ラーメンばかりだった東京に少なかった味噌ラーメンの店舗である。ここで凡庸な記述ならば初めて食べた味の衝撃に文章を費やすところだろう。しかし、本橋は違う。描くのは当時の客達の顔ぶれだ。明治通りの西早稲田店にはタクシー運転手やホステス、サラリーマンややくざ、浪人生が集まってラーメンを啜っていた姿を「運転免許更新の教室に似た光景」と記すのだ。さらに、この濃い味は在日韓国人好みで、大量の唐辛子をかけて食べる者が多かったという記述も。本当に通ってなければ書けないものだ。  回想ゆえに昭和への郷愁を抱いて読んでいたら、突然驚くようなエピソードがシレっと載っているのも嬉しい。特に驚いたのは、本橋が編集長を務めた伝説の写真週刊誌『スクランブルPHOTO』のこと。10号で潰れた雑誌にうちでやらないかと声をかけてきた中に、壁村耐三がいたというのだ。手塚治虫伝説で必ず出てくる、工業高校中退。左手の小指が欠けた、その筋にしか見えない伝説の編集者。ビニ本の流通網で売っていた『スクランブルPHOTO』独特のアウトロー感覚が、壁村の琴線に触れていたのだろうか。もしも、この話を受けていたならば、多くの人の人生が変わっていたと思うと、いささか残念だ。  最後に。実は何度も読み返したのは、わずか3曲で消えたアイドル歌手・三木聖子が登場するページだ。本橋はテレビ番組で出会ってから40年あまりヘアヌード・プロデューサーの高須基仁が仙台のスナックで豪快なママになっていた彼女と出会ったことを記す。思えば高須が死して早や6年。死の数週間前に病院から直行したイベント会場で最後の挨拶だというのに、いつものように私やスタッフに説教。翌日、病院に本当に最後の挨拶に見舞うと、さらに説教された記憶がまだ鮮明だ。きっとああいう人も、もう出ない。きっとこんな、歴史を自分目線で語る感覚を、読者はそれぞれに得るだろう。(ひるま・たかし=ルポライター)  ★もとはし・のぶひろ=ノンフィクション作家・ルポライター。著書に『東京の異界 渋谷円山町』『歌舞伎町アンダーグラウンド』など。

書籍

書籍名 昭和の謎
ISBN13 9784813076360
ISBN10 481307636X